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誕生日の翌日のnote

昨日は私の57回目の誕生日に、沢山の方々から温かいメッセージを頂戴し、大変ありがとうございました。

昨年より暮らし始めた名古屋の街は、私にとって予想を超えて楽しく面白い街で、多分私にとってサラリーマン生活最後になるであろう部署と勤務地を、コロナ禍の中ですら、毎日楽しく過ごすことができています。

今年になってから、昨年末にあるプロピッカーの方から問われたことが私の頭の中で自動反芻し続けています。

「斎藤さんの中で、成功と幸福のバランスはどうとっているのですか?」と。

その質問の前提としては、成功とは人生のアセットをどれだけ増やすか、幸福とは人生の過程で得たアセットをどれだけ享受するか、ということ。

その時私は「この前提だとすれば、私は多分成功ということを考えたことがない」と答えました。

その時はそれで終わったのですが、とても哲学的な質問で、そして自分の答えにも私自身が多分釈然としていなくて、ずっとその質問が頭の中に残っています。

私はいわゆる「成功者」ではないし、経営者としては失敗に終わり、サラリーマンとしてはうだつが上がっていません。

でも毎日を楽しく過ごしているということは、なんらかのアセットを享受しているということになるのでしょう。

私には地位も名誉も金もないので、私に今あるアセットは少なくとも地位や名誉や金ではありません。

地位や名誉や金は、誰かと共有することは出来ない、または共有するなら分割されて一人当たりは減り総量は変わりません。

私が享受しているアセット(なるものがあるとしたら)、多分それは誰かと共有可能であり、共有することでむしろ総量が増えるかもしれない類のものではないか、と、最初の質問を反芻する内に感じ始めています。

私の57歳の一年間に、一人でも多くの人とそのアセットを共有する機会が持てることを願います。

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