歩くオブジェ

歳をとったら丸くなる、は本当だろうか。
確かに、昔とげとげしていた人と久しぶりに会うと、「あれ?こんなに話しやすかったっけ」と思うことはしばしばある。
怖かった学校の先生とか、若いころについていた上司とか。
彼らは、年齢とともに心に丸みを帯びたのだろうか。
自分はどうだろうと、かえりみる。

ネガティブな言い方をすると、「たいていのことはどっちでもいい」という半分諦めのような気持ちに支配されている感じが、あるようなないような。
「そんなことで怒っても、疲れちゃうし」というむしろ自身のメンタルを思い遣っている節もある。
あと、「僕も怒らないから僕のことも怒らないでほしい」という嘆願のような想いもある。
自分の場合は、丸くなったというよりは情けなさに磨きがかかった結果こうなっているような感じだ。情けない。少し落ち込む。

そもそも、人に対して怒りや憤りを素直にぶつけられる人は、相当な自信家か、もしくは思いやりがある人なんだと思う。人に感情をぶつけるということは、すごくエネルギーを使うことだ。
何回か、無理をして後輩を叱ったことがある。
そのあと頭痛がして早めに帰宅した。お風呂に長めに浸かって布団に包まれたけど、もやもやして寝付けなかった。情けない。

年齢を重ねて丸くなった人たちには、過労によってガス欠になった人か、本来持っていた慈悲深さが顕著に表れてきただけなのかもしれない。
おつかれさまです。もしくはありがとうございます。
人間なのだから、きっと感情をぶつけ合いながら生きていくべきなのかもしれない。
そんな風に勇気を持てる人たちが、社会を動かしていくのだろう。おそらく。
僕は社会にタダ乗りさせてもらっているところがあるので、黙ってついて行こうと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?