読書記録その3 『白鳥随筆』正宗白鳥

しばらく間が空いてしまいました。何とか一冊読めたので、また記事にしようと思います。

今回は『白鳥随筆』(坪内祐三・選、講談社文芸文庫)です。

私が正宗白鳥を読んだのはこれが初めてです。以前から名前は知っていたのですが、なかなか手が出ませんでした。あまり本屋に売っていないからというのもあります(田舎に住んでいるので余計です)。

何故もっと早く読まなかったのかと後悔しました。

物々しく書きましたが、理由は単純に面白かったからです。随筆なので一つひとつが数ページと短く、さくさく読んでいけました。久々に、「早く続きを読みたい」という気分を味わえました。

文章の印象

白鳥先生は、決して美文家ではないです。所々引っ掛かりを感じる文章です。けれども、それゆえのとっつきやすさ、親しみやすさがあります。

例えば、谷崎潤一郎先生の文章などは、いっそ浮世離れしたというか、別次元の言葉のような感があります(私の文章が乱雑だから、そう思うのでしょうか……)。それはそれで、小説の雰囲気に合っていて大好きなのですが、白鳥先生の方はより素直で、愚直な印象です。飾らない淡白な筆の運びが、一層、一言ひとことに重みを持たせています。一篇が短いから、余計そう感じるのかもしれません。随筆という形式ゆえな気もしますが。

白鳥先生はニヒリストとして知られているようです。確かに、読む文章の端々に、傍観者的というか、一歩引いたような描写が感じられます。自分自身をも客観的な視線で見つめることは、容易でないことです。それでいて自嘲気味にならないのも、小気味良い感じがして好きです。

随筆だからこその内容

白鳥先生は、晩年まで雑誌に寄稿され続けました。そのためなのか、随筆にも雑誌に関する事柄がよく出てきます。「新小説」「改造」「中央公論」あたりが主な印象です。こういう実際の編集者とのやり取りなどは、小説ではあまり見られない気がするので(私が寡読なだけですかね?)、新鮮で、面白く読みました。後藤宙外は覚えました。

また、自然主義についてや、他の文士との交流、徳田秋聲と室生犀星への弔辞など、興味深いものがありました。同い年の永井荷風先生と比べると、文士界隈での付き合いは(特に戦後は)少なくなかったようです。島村抱月や小杉天外の名がちょくちょく出ていたので、また調べたいなぁと思うばかりです。

たぶん、小説はあまり好きにはならないだろうなという予感がします。白鳥先生自身、「自然主義の一派とみなされた」というような内容を書かれています。私は自然主義が特段好きというわけでもないので(読みますけれどもね!)、次は評論を読みたいと思っています。

結局、『白鳥評論』とは

今回の総括です。

・文体が素朴で読みやすい。

・ニヒリストの一端が垣間見える(厭世主義とは違うことがよくわかる)。

・当時の雑誌の「リアル」がうかがえる。

以上です。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。今回はここまでに致しましょう。それでは。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?