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短編小説 - 害から守る(Safe From Harm)

読むのにかかる時間の目安: 5−6分
(前置き)
これはイスラエルの「超短編小説家」エトガル・ケレットに対するオマージュ小説です。

2019年10月13日に予定されていた東京での彼の来日イベントが、台風19号の影響でキャンセルになってしまいました。

「世界的な作家が、遠い国で台風にあってホテルから出られなくなったら、何して過ごすんだろう?」
と妄想したことをきっかけに作ってみました。いちおう小説と名乗ってますが、中年男性が、ホテルの部屋を一歩も出ずに、テレビをつけて、消して寝るだけの話です。

なお、この内容はフィクションです。現実のエトガル・ケレット本人とも、現実の災害とも、一切関係はありません。架空の作家が、架空の国を訪れたときの話としてご覧ください。
*エトガル・ケレット&シーラ・ゲフィン2019来日特設サイトはこちら

(1)
カーテンを開けて窓の下をのぞいてみると、ホテルの庭園で一番大きな木が、強い雨と風にさらされて枝をしならせていた。 

あの木はきっと、このホテルのシンボルみたいな存在なのだろう。乾いた気候の私の国ではあまり見かけないような種類の木かもしれない。

部屋のテレビをつけた。最初の案内画面に、ホテル名の大きなロゴと一緒に、庭園の大木が映し出される。ほら、やっぱりシンボル的な木だった。

ホテルの案内画面は夏のリゾート期間を思わせる快晴の天気だったが、すっかり暗くなった窓の外では、街灯の光が横殴りの雨に反射している。

(2)
「こんなに激しい雨と風は私の人生で経験したことがない」

 そこそこ長い人生を経験しているであろう、この国に私を招待してくれた出版社の人間がそう語る台風の影響で、交通機関は麻痺して、今日予定されていたイベントは全て中止になってしまった。窓からは繁華街も見えたが、世界で最も人口が多い都市圏の中心部を、誰一人歩いていない。

現地のテレビ局のニュースが、被害状況を伝えている。自分が理解できる言語の副音声に一度切り替えて、概況を把握した。死者が複数出ているらしい。テレビの音声を主音声の現地語に戻した。ニュースキャスターが何を言っているかは全く理解できないが、口調は深刻だ。氾濫しそうな河川の映像が流れている。

リモコンを持つ自分の手が冷たい。不安を感じているのだろうか。出版社の人間やホテルのフロントと連絡を取ってみる。

情報収拾の結果わかったのは、今日、このホテルに留まっている限り、大した心配は無いという事だった。近くに大きな河川はなく、地震の多い国のこのホテルは堅牢な造りで、暴風を受けても窓は揺らいでいなかった。物流が止まっているようだが、食料はホテルに十分に確保されていて、もし停電になった場合も、予備電源が作動するという。台風は明日の朝には過ぎ去るらしい。

(3)
自分がほぼ安全だと分かると、私は部屋のソファに身を沈めた。無言でテレビを眺めているうちに、ある考えが頭に浮かんだ。

ひどく大きな台風が来ている。けれど、自分がいるこの場所には危害がない。だとしたら、窓の外で起きていることを全て無視して、テレビも消して、スマートフォンも見なければ、何も起こっていないのと同じように過ごせるのではないか。たまたま今この時間、何も知らずに眠り続けている人と同じように。

そう考えると、奇妙な罪悪感を覚えるのと同時に、心が落ち着くようにも感じた。実際のところ、自分の身には、物理的な危害は何も及んでいない。けれども、この国の少し離れたどこかで、誰かが現に被害にあっている。そんな情報に自分の注意は侵食されて、何をする気にもなれなかった。テレビの中では、どこかの地域の川が氾濫して、茶色い水が住宅地に浸水していた。

(4)
部屋のカーテンを完全に閉めてみた。外の様子が見えなくなると、自分が今いるホテルの部屋がより一層安全な場所に感じられて、核シェルターのように思える。ダブルベッドに広いバスタブ、尻を洗ってくれるトイレも備えた、豪華なシェルター(朝食付き)だった。

そして、急に思い立った。台風に限らず、自分の身に影響がないなら、どんな大変な出来事も、関心なんか持たない方が、自分を守れるのではないか。

(5)
私が始めて小説を書いたのは、兵役義務中に、親友の自殺を目撃した数日後だった。陸軍基地の中にあった、シェルターではないけれど、それ以上に世界から孤立していたとも言える窓一つないコンピュータ室で、最初の小説を書き上げた。

自殺したのは親友であって、私ではなかった。でも、彼の絶望はそのまま私の一部になってしまった。心の損傷から身を守るために、部屋に閉じこもって小説を書いたのかもしれない。

人間は、そこにいない他人の感情を、自分の感情として受け止めてしまう。

いったいどうして、そんな能力をこの猿たちは身につけてしまったのだろう。「共感」や「思いやり」という言葉が、急に呪いの言葉のように感じられた。

台風のニュースを横目で見ながら、共感なんかクソだと私は思った。他人を思いやる前に、自分を危害から守るべきなのだ。物理的な暴力に対して、人間は事前の防御ができる。けれども、勝手に心の中に侵入してくる他人の痛みから自分を守るには、どうしたらいいのだろう。

相変わらず私には全く理解できない言語で話すテレビのボリュームを、聞こえるか聞こえないぐらいの微かなレベルに下げた。

映像は台風の被害を伝え続けている。氾濫する川。決壊する堤防。浸水した家屋の二階のベランダで、子どもを抱えて救助を待つ女性。竜巻で倒壊した家屋。十月の半ばだったけれど、なぜだか「きよしこの夜」を私は口ずさんだ。Silent night...Holy night...All is calm...All is bright...(きよし この夜 すべて静か すべて輝く)

スマートフォンを取り出して、SNSやテキストメッセージの通知を全てオフにした。現実への共感を遠ざけるために。そもそも、窓の外でいま起こっていることやこの国のテレビに映っているものだけが、この世界の困難な出来事ではないのだ。私が暮らす国は、世界でも有数の、バカみたいにとっ散らかった政治情勢を抱えていて、今日も暴力の犠牲が生まれているかもしれなかった。ある受難に共感するなら、離れた場所で起こる別の悲劇にも共感しないとおかしいのではないか。たとえば遠く離れたどこかの銀河の惑星に文明が存在していて、今まさにそれが滅びようとしているとしたら?彼らを思いやって、心を痛めるべきなのだろうか。

そんなことは、全知全能の神がやればいい。罪深き民である私は不毛な神様ごっこをやめにして、ベッドに横になった。

(6)
仰向けになったまま、両手を胸の上で組んでみる。手の冷たさは無くなっていた。シーツが自分の体温で暖まるにつれて、幼い頃に、両親が眠るベッドに潜り込んだときのような安心を感じた。

テレビのニュースは、気象情報のコーナーに戻ったようだ。派手な色のスーツを着た太った男性が、大きな身振りを交えて、宇宙から見た台風の映像をバックに何かを喋っている。地球を俯瞰するその映像を使って、台風のサイズがいかに大きいかを解説しているのだろう。

私はぼんやりと考える。もしも、遠い銀河の滅びかけの文明に存在する知的生命体が、この地球にも生命は存在していて災害や紛争などの悲しい出来事が数多く起こっていると知ったら、彼らは私たちに共感して心を痛めるのだろうか。

眠気が襲ってくる。テレビを消して、灯りも消した。

どこかの銀河にいる、滅びかけの文明のみなさん。だいじょうぶ、そこはここからとても離れていて、あなたたちは安全ですよ。私たちのことは心配しないで。


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以下、ネタ元や関連情報へのリンク
1: Massive Attack - Safe From Harm (Apple Musicへのリンク)
2: Simon & Garfunkel - 7 O'clock News / Silent Night (Apple Musicへのリンク)
3: イ・ラン - 神様ごっこ(Youtubeへのリンク)
4: 物語のウソとホント~エトガル・ケレットの超短編小説~
5: エトガル・ケレット「あの素晴らしき七年」
-> ケレットが兵役中に親友の自殺現場を目撃して、陸軍基地の窓のない部屋で小説を書き出したというエピソードは、上記4.と5.で実際に語られている話
6: 筆者のブログ「未翻訳ブックレビュー」内の、ケレット関連記事(いっぱいあるけど、一番気に入っている記事)



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