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光景その1「る?」を終えて

ルレーベルの加茂です。

肉体やビジュアルを発端に演劇をつくり上げるプロジェクト”光景”の1作目「る?」の本番から1ヶ月が経ちました。

だいぶ前ですが、ご来場くださったみなさま、改めまして誠にありがとうございました。

公演を終えた翌週にはロクコレ短編フェスで別の作品「万歳」(これについてもいつか文章化します…)を上演し、年末年始にはまた別のプロジェクト”ニューイヤー演劇”を実施し、レーベルとしてもかなり慌ただしい期間でしたが、公演から1ヶ月経った今でもまだ過去のものにしたくない、噛み締めたい大きな感触をいただいた公演となりました。

加茂本人はロクコレなどの運営にてんてこ舞いだったこともあり、この公演にまつわるいろんなことを文章化することに割けるパワーがまったく無くて時間が経ってしまいましたが、ひとつの区切りとして記したいと思います。


この文章の要旨は、
・手応えを感じました
・光景その2のクリエイションを2月から始めます
の2つのみです。それでは。


公演として

マルレーベル演劇公演 光景その1「る?」
12/2(金)〜4(日)、福岡市のぽんプラザホールで開催しました。

観客総数はぴったり100名。
まぁ少ないです。広報が完全にヘタクソでした。
目標に全く届いていません。収支も真っ赤に真っ赤です。
100名というのは、僕が前までやっていた団体”ジャカっと雀”の解散公演と同じ数字です。

多くの人に観てもらわないと意味がないという通説には賛同です。
そして、もっと多くの方にご覧いただきたい作品だったと思います。
広報がヘタだった言い訳としては、この公演に割けるパワーを、作品をつくり上げる、良くすることに全振りしてしまったことが挙げられます。
どんな作品になるか直前の直前まで分からなかったし、でき上がった感があったのは小屋入りの週になってからでした。
そのくらい、全力で作品をつくることができたことは胸を張れると思っていますが、公演を企画運営する人間としてはかなりお粗末でした。
作品が良いことが何よりも大事だとは思いますが、シンプルに制作に他の人に入っていただくとかするべきでした。
次回以降改善します。今回はプロジェクト自体初年度で初めての公演だったのでハンドリング全て自分でやりたいという気持ちもありました。




クリエイション

今作は1月から稽古をしてきました。
というかその前の2021年末に、このプロジェクトの参加者を募集しました。
その時点からこの作品は始まっていて、またそのときに立てたコンセプトがとてもとても重要でした。

今作は出演者に出演オファーを行っていません。
(マルレーベルは出演オファーをしません。)
note(その頃は加茂慶太郎個人としてのnoteでした。削除してしまいました)にクリエイション参加者募集の記事をアップし、そこからご応募いただいた3名と面談を行い、結果的にその3名が参加することとなりました。


その募集記事に書いていたのは、
■「身体が先、言葉があと」に取り組みたい
■みんなで大きな壁画を描くところから始めたい
■約1年という長い時間をかけて作品を生み出したい
■趣旨に賛同する方なら誰でもウェルカムです
といったことだったと記憶しています。
と同時に、加茂のなかで決めていたことに、
◆参加者は公募する
◆参加者の合意をもってものごとを決定していく
◆参加できない者がいるときは稽古を行わない
といったことがありました。記事にも書いてあったかもしれません。

それによって目指したのは、一人の人間では生み出せない強度のある、人間が集まって創作することの意義を感じられる、加茂のではなくみんなの、私たちの作品をつくることでした。

このコンセプト群が、今の自分のしたかったことと、とてもマッチしていたように思えるので、手応えを感じています。


ながーい時間をかけて、とにかく会話・対話・議論をして作りました。
ひとつひとつを決めるのに、こちらを捨ててこちらを選ぶ、というところに、とにかく時間をかけました。
そしてその決定は、ある程度参加者の合意をもっておこないました。
(本当は全て合意をとって進んでいきたいところ、クリエイション終盤、本番が迫るなかで、厳密には合意が取り切れていない箇所があったように感じています。この程度の精度を上げることは次回の活動の目標になります。)


これにより、参加者がある程度同じ深さの視点を持ってクリエイションに携わることができていました。
なにか、例えばAという話題について、みんな揃って同じAか、よく似ている、近いAについて話せている感覚。
カンタンにいうと、”話が通じる”感覚。
が、クリエイションが進むにつれてどんどん鋭くなり、そして創作は円滑になり、参加者同士の発語・コミュニケーションは活発となり、それによって作品は強くなっていきました。

作品の強度を増す方法は様々あるようですが、私は、参加者の”自分ごと”として捉えている率が高ければ高いほど、その作品の強度は増すと考えています。


俳優4人でこの公演の打ち上げをしたときに、なんだかわりとみんな上機嫌で、それはもちろん長い創作が終わったからですが、それはそうと、「私はやったぞ」という感じが、企画者・演出者でもあった私以外の皆さんからも漂っている風に感じられて、あぁ、僕(加茂)の作品なんじゃなくて、風間さんの、平川さんの、柳田さんの作品でもある、僕たちの作品になったなと思えて、これがまさしくしたかったことで、とても嬉しかったのでした。




演劇観

僕は、演劇とは「人びとが時を同じくして共通のなにかに直面すること」だと、いまのところ考えています。

と、公演のチラシに書きました。
今のところこのように考えています。

この考えは、元からなんとなく持ってはいたけれど、この創作のなかで強くなっていきました。

先に述べましたが、クリエイション中も、目の前の課題、問題、話題に対して、メンバー一丸となって直面し取り組みながら進めることができました。
これはもう、僕にとってはだいぶ演劇でした。

演劇しながら演劇作品をつくっていく、これは今後もやり続けていきたいことになりました。


今のところ、こんなことを思っていますが、きっとまた、変わってゆくだろうと思います。




感想

終演後にロビーでご挨拶をしていて、たくさんの方に「面白かった」と直接お声がけいただきました。とてもたくさんいただきました。過去にこれほどお伝えいただいたことはありませんでした。とても嬉しかったです。

一方、「分からなかった」というお声もたくさんいただきました。

これについてはお詫びします。
分かるとかわからないとか、そういうことではないので。
見ていただきながら、「分かるとかわからないとかそういうことじゃないな」と感じていただけなかったことが、申し訳ないです。演出力不足です。


先日とあるダンスの公演を観て、シンパシーを感じました。
目の前で起きている一つ一つの出来事と客席に居る自分とが時を同じくして現在進行系でここ(劇場)にあることを感じ、自分の体験として鮮明に刻まれて、たいへん心地の良い劇場体験でした。

自分は、このような体験を提供することを目指しています。

自分は演劇としてつくっていますし、これが何よりも演劇だと心から思っていますが、上演物としてはコンテンポラリーダンスのようなものに近く、そしてまたコント的でもあり、そういった包括的な演劇の力に魅せられ、信じているのだと終演後しばらく経って気づきました。

なので、お客さまには、「演劇」と思って観にお越しいただくよりも、どちらかというとダンスのような、パフォーマンスであることを念頭に置いて観劇いただいたほうがストレスなくご覧いただけそうだ、と感じ始めました。
これは公演時には思っていなかったことです。

「る?」を観ていただくなかで、あまりにも実態のつかめなさ、ストーリーとしての展開のなさを感じられたのではないでしょうか。
けれども舞台上では何が起こらないわけでもなく、時間も進んでいる。
演出家としては、そのように進んでいるなかで、ドラマではなくパフォーマンスとして受容していただく下地をつくっているつもりがありました。
このように作っていけば、予備知識がなくても、またお客さまと演劇というものとの距離感に関わらず、作品に乗っかってどなたにも楽しんでいただけるのではないか、と苦心した部分でもあります。

結果的に好評もいただき、それが功を奏した面はありますが、「分からなかった」というお声もいただいている以上、伸びしろをとても感じています。


お客さまにいまなにを手渡せていて、何を観ていただいているか
という視点は、創作のあいだずっと気にしていました。

客席と伴走しながら作品を進めていくこと。
これを過去にこれほど考えて創作できたことはありませんでした。

この点が、ひとえに、公演当日パンフレットに記した「いまの私たちにできる最高の作品」の真意です。
これからも客席でご覧になっているお客さまの存在を重視して作品をつくっていくべきだ、と感じています。
この感触を得られたことも、この公演の手応えのひとつです。




演劇観2

いまこれから始まる約 60 分のひとときを、お客さまとともに舞台上の私たちも過ごします。
その時間が最大限良いものになるように、つくってまいりました。

公演当日パンフレットに、このように記しました。
この感覚を抱くようになったことも、この公演での財産です。

この作品を経て、私の中に演劇作品づくりの指針ができました。

それは、「出演者や観客が一同に会し、また過ごす劇場での時間を、最大限良いものにすること」です。
そのために、先に述べた、客席のお客さまを重視することは不可欠となります。


以下記すことは、加茂のなかで言語化して整然と並べることがとても難しく、思いつくままの列挙のようなものになります
ーーーーーーーーーー

自分は自分の書く脚本にあまり自信がありません。
少なくとも、演出や、演劇作品を構成する諸要素のうち自分が持っている他の諸能力と比べて、劇作については劣っているように感じています。


加えて、伝えたいこととか、そういうものもない。

そういうテーマみたいなこととか、メッセージとか、そういうものの伝達に使われてしまわない作品が作りたい。


ドラマを作り上げて、それをお見せすることから脱却したい。
何かを見せるのではなく、ある(在る)ことに終始したい。


お客さまからお金を頂戴して作品を上演します。
それは”何料”なのか。

自分は今作で掴んだ気がします。
入場料、あるいは体験料です。

良質な物語を作り、それをお見せするのではない(それは僕にはできない)けれども料金を支払っていただくのは、一体何についてお代をいただいているのか、少し悩みました。

が、最終的にこれなのかな、と思っているのは、

作品を中心として、60分なら60分の時間をつくり上げる。
舞台上の演劇作品を作るんだけども、その作品が劇場にあり、舞台上には出演者が居り、客席には観客がいる。その劇場全体で流れている時間を作る。
お客さまはその時間を体験する。
時間の体験料としてのチケット料金。

という整理です。
テーマパークとかに近いかもしれない。




手応え

とにかくまとまりと流れのない文章で恐縮です。
これまで書いてきていますが、たくさんの手応えを得た公演となりました。

それは、
・自分は脚本を書けない
・みんながみんなプロの俳優というわけではない福岡
というなかで、
・時間を長くかけて
・対話を行って
・合意をもって
そして何より、
・(そこに)あるものを大事にして
作っていけば、強度のある作品が作れそうだ、という見通しが立ったことです。

実力はまだまだで、今作でお楽しみいただけなかった方もいらっしゃることは重々承知ながら、道筋が見えたような気がする、ということになります。


なんだかまだだいぶ感覚として淡いもので、言語化・整理することが難しくて、この記事もとてもとりとめがなく見にくいものになってしまいました。
これから洗練させてゆきます。


とにかく、


マルレーベルとして、というより、いち演出家の加茂慶太郎として、「オレの演劇づくりとはこういうことなのかもしれない」という感触を得られたことが、とても大きな財産です。

光景に限らず、今後自分が演出して作っていく作品は、まず今回得たこの諸要素を礎に、創作をスタートしていく気がしています。


やがてはマルレーベルらしさというか、加茂らしさに通じてゆくのかもしれない。
”色”のはじめの一歩を獲得できたような気がしていて、嬉しいです。




光景その2

今回得た感触を確かめることもしながら、「光景」第2作を作り始めていきたいと思います。

クリエイションメンバーを募集します。
(募集は別記事を立てます)

そのメンバーだからこその光景を、そのメンバーで生み出せる最高の光景を用意して、劇場に持っていきます。

関心のある方にはぜひクリエイションに参加していただいて、そうでないお客さまにもどうぞ劇場で、その時間を味わっていただけましたら幸いです。