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三十路女がストリップに魅せられてきた話

時は、2021年11月27日。
なんとなく寒い、秋の終わり。私は横浜にいた。

先日、『ストリップの帝王』という本を読んだ。
詳しくは過去の記事を参照されたし。

その本ではストリップに対する情熱や特別性といったものが生々しくえがかれていて、絶対にストリップをこの目で見たいと思った。
その本を読んでも実際にストリップを見ないことにはわからない部分があった。作中では、ストリッパーではなく、彼女たちは「ダンサー」と呼ばれる。ダンサーと呼ばれるほど華麗にダンスするのであろうか。私の考えているストリップは、妖しげな音楽とともに1枚1枚服を脱いで局部をみせるようなものだ。ダンサーという単語とは程遠いイメージだ。
この目で、確かめなばならない。

と、言ったがそもそも。女の裸を女が見たいのかという疑問を男性諸氏(女性諸氏も)もたれるかもしれない。
では、映像ではない生の女性器を諸氏はどれほどみてきただろうか。もちろん、懇ろになった女性のをまじまじと見たことはあるかもしれないが、よほど懇ろ関係を大量に結んでいなければ浴びるように生で女性器を見る機会など到底あるまい。

女性はもっとその機会に恵まれない。男性と違って体表面にプラプラ露出されているわけではない。たとえ、公衆浴場でも毛がみえる程度である。
女性は、看護師さんとか、医師とか、介護士とか、そういう職種の方しか女性器をまともにみることはないのではなかろうか。レズビアンの女性でも男性と同じく懇ろ関係でないとまじまじはみたことはないだろう。

わたしは、他人の女性器をみてみたかった。
興味である。
性器に性的興奮をもとめていたわけではなく、他人の性器がどうなってるのか見たった。
性器は顔と同じく、十人十色だとどこかで聞いたことがあった。
しかし、私が知っている性器はわたしのもののみである。
秘部、、、、秘められた他人の部分をみてみたい。
知的好奇心という名の欲望が私の魂からわきあがった。(そんなたいそうなものではないが)
かくして、私は、この話にのってくれたツイッターの友人と、横浜ロック座にむかったのである。

横浜ロック座


横浜ロック座は京浜急行鉄道の日ノ出町駅から徒歩1分に位置する。
JRでいえば、桜木町駅から徒歩9分である。
周りには競馬のたてものがある。JR側にいけば、通り一面の居酒屋街があり、朝まで飲み歩けるようなそんな街である。

横浜ロック座は、外観は、紫の横浜ロック座という上りがでているだけで、およそストリップ劇場であるとは思えない。中にはってみると、ほんの2~3畳の待合室、そしてすぐ扉がありおよそ10畳と少しあるだろうかという非常にこじんまりした空間が会場だった。
正面舞台(あるかないかのような)、そして中央に円形のお立ち台がある。

衝撃的だったのが、入った瞬間全裸の女性が女性器を露わにして、写真撮影に応じていたことだ。度肝をぬかれた。
ストリップというからには、最初は服を着ているものだと思った。
私たちが入場したのは全4公演中に3公演目だった。前の公演からいる客が1枚1000円のポロライド写真を購入・撮影していたのである。
その撮影ポーズは実に卑猥で、いわゆるくパぁやでんぐり返しの姿勢で性器の後ろに顔をのぞかせるものなど、これでもかというほど性器を露出したポーズだった。

私は、どんどん脱いで最後に露出というパターンだと思い込んでいたので、ちょっとびっくりして固まった。

やがて、舞台が暗転し、ステージは始まった。
ステージはオープニング、出演者5人のショー、エンディングという構成だ。

オープニングとエンディングには5人の出演者が全員出演し、簡単なダンスをしてお立ち台に煽ったようなポーズで座り、これから始まるストリップを予感させた。

1人目。
ショッキングな出来事が起きた。ストリッパーが脱がないのである。
ストリッパーが踊るのは、2曲から3曲程度なのだが、なんと1曲目は局部の露出がなく、ただ踊っていたのだ。卑猥な衣装でもない。
私は大いに当惑した。
たしかに、ダンスは素晴らしかったが、脱がない!スリップなのに、脱がない!!そんなことある!?と思いながらも曲は2曲目へ。
心の中で、「ぬーげ、ぬーげ」とコールした甲斐はあった。ようやく、少し脱いでくれた。といっても性器はチラ見え程度、おっぱいがみえている程度だ。
ちがう、ちがう、そうじゃない。
半裸で踊る女性はきれいだ。大変きれいだ。これだけでもきた価値は十分あった。
しかし、しかし、私が見たいのは秘められた女性のもうひとつの顔なのだ。
そして3曲目、ついに。
ついに、脱いだ。全裸ではないけれど、先ほどまでダンサーはお立ち台で踊っていたが、次はお立ち台に座った。もちろん、音楽に合わせてムーディに。
そそ、と開くわけではない。大胆にバシッとポーズを取る。ストリッパーのポーズは独特だ。
性器をチラ見えさせる露出と大胆に露出する2パターンがある。
大胆に露出させる場合には、例えば、片足をまげて後ろ手に体をそらせ、もう片足を天井に向けてビシッとあげる。お立ち台はゆっくり回転する。その間、踊り子はふらつきもせず、びくともせず、ポーズを取り続ける。
むろん、ポーズはこの1種ではなく、様々なポーズがあるのだが、どのポーズにも共通していえるのが、その大胆さゆえに、筋肉を使うのだ。同じポーズをしてみろいわれても一切できない自信がある。
実際に、よく観察するとダンサーたちの体は痩せてスレンダーというよりは、筋肉で引き締まっている。ベテランのダンサーほどその割合が顕著なように思える。
わたしは、引き締まったその体と女性器をまじかにして、感動を覚えた。これは芸術だ。身体がなせる技をみているようだった。
一切瑕疵のないようなその秘めたる部分はもはや神聖といってもよい。
性的な興奮は全く私の中でおこらなかった。

そういえば、ベテラン、といったがこの道20年の方もいる。年齢は数えたりしないのはお約束だ。

2人目
次は打って変わって、ダンスが特徴的だった。
1曲目は性器の露出がないのは共通だったが、露出までのダンスがエロかった。
そのダンスはようは、性行為を模しているようなダンスだ。目には淫蕩が浮かび、腰を上下に振る。それが妖しげな音楽とともに流れていく。
そしてようやく性器の露出に向かうのだが、今度は先ほどの1曲目の女性と同じポーズでも全然雰囲気がちがうことに気が付いた。
これこそがストリップの骨頂であるのではないかと思った。

ダンサーたちは1曲目の脱がないダンスでしっかりと自分たちがこれから踊る空間を作る。世界観を共有するのだ。やや、物足りなく感じることもあろうが、ストリップは「出会って3秒」で見せるわけではない。AVでいえば、インタビューがあって、どういう子なのかわかって、それで秘部を露出するのだ。いわば、ストリップという舞台を通して、客とダンサーは疑似的な性の時間を共有するのである。

そして、その後あと3人をみたのだが、どのダンサーも明確な世界観をもっている。
衣装だけではなく、脱ぐまでのストーリーを表現しているのだ。
そこに言葉による説明はない。

和物の衣装のダンサーもいた。和物は非常に艶やかでよかった。
なお、その後別の機会にいったストリップでは明らかに衣装と世界観が凝りすぎてて、ストリップ部分がないがしろにされている作品もみかけた。ストリップの深淵を覗いた気分だ。

横浜ロック座は客席と舞台の距離が非常に近い。
舞台にダンサーは1人きりである。それゆえに、世界観を表現することは至難の業だ。
例えば、小劇場ほどの大きさのある浅草ロック座では、1人のストリッパーに5人のバックダンサーがでたりする。
集団である分、場の雰囲気を形成しやすいのだ。

私は舞台芸術についてはさっぱりわからないし知らないのだが、ストリップショーの照明は非常に特殊だそうだ。
それはそうだろう。スポットライトの妙によって、秘部の見え方が全然違うだろう。
それに、ダンスの時のブレイク感のあるライトから、まるで誰にも知られてはいけない秘めごとのようなダンスに対するスポットライトは全然ちがうだろう。それが、短い時間でくるくる変わるのだ。
きっと、照明技術者には学びが多いのであろう。

さて、そして、ストリップショーの合間には先ほど書いたポロライド撮影がある。
ダンサーが客の要求通りのポーズを取り、1枚1000円で売る。客も心得たもので、それぞれの卑猥なポーズに名前がついているようで、(猫、とか)、一人何枚も撮っているし、1センチ単位でポーズの調整を行うものもいた。

私も、ぜひ1枚欲しかったのだが、全裸の女性を前にしり込みしてしまった。
結局、エンディングのあと、全員が着衣のうえでの撮影を1枚させてもらった。記念に持ち帰って大事に飾っている。

そんなこんなで、私はすっかりストリップショーにはまってしまった。
機会があればぜひ行きたいというほどに。

浅草ロック座


そして、その機会はすぐに訪れた。
親友の女子にストリップにいってきた~と話すと私も行きたい!とのことで、今度は浅草ロック座にいった。
先ほども触れたが、浅草ロック座は小劇場程度のホールである。
驚いたのは、入る前から長蛇の列ができていた。浅草ロック座は浅草寺付近、ドン・キホーテのすぐ隣にある。そこに男女問わずの長蛇の列ができていたのだ。意外に女性が全体の4割ほどいたように思う。
近年、ストリップのその芸術性の高さから、女性ファンが急増中なのだそう。
そして、その収容人数の多さからも個別でのポロライド撮影はされておらず、ホールに展示されている写真をみてそれを購入するという様子だった。浅草ロック座にはドリンクを買えるバーもあった。

先ほど述べた通り、浅草ロック座は舞台に5人ほどまでのバックダンサーがついている。むろん、一人で舞台にたつものもいるが、基本的にはバックダンサーをつけているようだ。
おそろいの衣装や、演出を数人でやる。もちろん、ストリッパー以外は脱がない。

浅草ロック座にくらべて空間が大きいからか、秘部がよく見えなかった。残念である。客が食いつくようにみているのは変わらないのだが、むせかえるような熱気がない。
横浜ロック座では「自慰禁止」の張り紙があったが、そういうこともあろうかと思った。しかし、浅草ロック座は良くも悪くも大衆ショーなのである。ここで一人で慰めるようなことはだれもしないのではないかと思った。ディープに違いがあった。
しかし、浅草ロック座は大道具をばんと使えて、衣装も豊富、目に楽しいショーなのである。
まさに両者は一長一短といったところで、甲乙つけがたい。
私は、横浜ロック座のようなディープな雰囲気の方が好きだ。何より、やはり性器がめちゃくちゃ近いのがよかった。

というわけで、わたしのストリップショーをみる体験は以上だ。
行ったことのない人はぜひ行ってほしい。

あと、ショーの中でファンの人がテープを使って場を彩ることがある。
ぜひ、これも楽しみにしてほしいと思う。

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