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あなたの中に答えはある

「あなたの中にあなたがするべきことはもうあるんですよ」

……と言われたのは20年くらい前だろうか?
それと同じようなことをこの一年半の間に結構言われた。

元アロマセラピスト(今も趣味程度にはしてますが仕事ではしていない)からスピリチャルな人が結構周りにいる。(?)

子供の頃は物心ついた頃から霊媒師さんが家に出入りしてたり(この人のことがとても大好きで大変慕っておりました)してたので、そういうことには抵抗がない。
というか、むしろ身近に感じている。
見えないものがそばにいて、それらとの境界線は何かの拍子にふいっと容易く超えられてしまう。
ただ波動が違うと見えたり見えなかったり、感じられたり感じられなかったり、聞こえたり、聞こえなかったり……
そういう世界があると私は感覚で知っている。

だからかそういう人からよくアドバイスを受けることがあった。
中でもピンと来る人には自分から進んでセッションを受けさせてもらった。

そして言われる冒頭の言葉。
「あなたの中にあなたのするべきことはもうある」
特にこの一年のうちに五、六回聞いた気がする。

それは「文章を書く」ことだったんですけど、子供の頃から宿題の感想文から何やかんやと、私が書いたものには母の横槍が入っていた。
読書は好きだったけど、乱読派の母からしたら私の好みが偏っていたからか「お前の読む本はしようもない」と決めつけられたり。
トドメは「あんたの描く文章なんて誰も読みたくない!価値のない駄文」と罵られたあの時の光景は忘れられない……。
と、これは「物を書くということ」にも書いたエピソードなんですが。

長年この言葉が楔になってて文章を書くことに躊躇いがありました。

だからか「あなたのやりたいこと、やるべきことはすでに決まっているよ」と言われるたび、
「物を書く、小説を書く」
という言葉が浮き上がってくるものの、
「いやいやいやいや、私なんて……」
と、思ってました。

けれど友達から
「生存確認のためにもFacebookはじめろ」
と言われ、最初は日記みたいに書いていたけど、障害者になって思ったこととか、経験したことを書いているうちに楽しくなっていた。

そこには母親の目はないし、個人が趣味レベルで書いていることだから気にせず文飾を書くことができた。

ただ書き散らすと取り止めのない内容になるから、テーマを決めてタイトルもつけて展開を考えて、ダラダラと書くことをしないように注意した。
そういうことをしているうちに文章を人に晒すのが怖くなすなってきた。

そして前にも書いたけれど、どうしても二次創作をやりたくなって、さりとて同人誌を作るほどの余裕も時間もないからweb投稿という手段をとって、とうとう顔も知らない人たちに自分の文章を晒すことを決意した。

「あんなの文章なんか誰も読みたくない!価値もない!」
と思春期に打ち込まれた楔を数十年かかって私はぶち壊した。

そこからは、楽しくて……
文章表現がうまくいかなくて凹んだりして「やっぱり私は飽きっぽくて無理?」と諦めたくなったり。
でも、エターナル(未完結作品)にだけはしたくない!
これ書いたらやめよう!
と考えていても次の作品の設定考えてプロット書いていたり……

そうしているうちに気がついた。

「あなたの中に答えはある」

ああ、そうだ……
私は描きたかったんだ。
ただ、文字を編みたかったんだ。

13歳の時に読んだ谷崎潤一郎の春琴抄のような美しい文章は書けなくても、それでもそれを追いかけてみたかった。
富島健夫、渡辺淳一、藍川京さんのような感応的な文章を目指したいと思った。

道はまだまだはるかに遠い……

けれど、私の中には確かに「書きたい」という欲があった。
それはどれだけ無視をしても無視しきれず、意識して認めようとしなくても、それは常に自分の存在をアピールしてきた。
そして抑圧を跳ね除けてそれは溢れ出した。

それが私の中の答えでやりたいこと。やるべきこと。
答えは私の中にありました。

みんなの答えもみんなの中にある。

誰も見向きをしてくれなくてもやらずにはいられないこと。
どんな抑圧にも屈せず、意識して無視しても溢れ出す強い思い。
それがやりたいこと。そして高めるうちにやるべきことも見えてくる。

最後までお付き合いをありがとうございました。

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