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親愛なるセローへ〜YAMAHA SEROWへ送るラブレター〜

セローという名車がある

 YAMAHA SEROWは、30年以上発売されているロングセラーのマウンテントレール車である。
 225から250に形を変えても、人気だから来年も再来年も新モデルが出るだろう。30thアニバーサリー?んんんこのカラーリングはかなり魅力的かもしれない。が、まだ我が家の225は現役である。いよいよ潰れてから買おう。そう思っていた矢先、「生産終了」の記事を目にした。そしてついに先日、大変に惜しまれながら最後の一台が出荷された。

 オフロードバイクといえば、どいつもこいつも、短足・低身長お断りの車体ばかり。(※個人の感想です。)
 セローのコンセプトは二輪二足。その名に恥じない足つきの良さで、150cm台・足短めの私でも十分に受け入れてくれた優しいやつだ。どんなに下手くそだって、嘘っぱちにクラッチを繋いだって、うまい具合に林道の奥へ奥へと連れて行ってくれる。初心者から玄人まで、オンもオフもとことん楽しめるバイクだ。
 足も遅いし、体力もないわたしだけれど、こいつとならどこへだって行けると本気で思った。
 セローが好きすぎて乗り回すあまり、学生時代、気がついたらセローしか友達がいなくなっていた。
 そんな、大好きな親友、セローが生産終了…辛すぎて震えた。

 だから今日は、ただただセローについての愛を語ろうと思う。

沼にハマると、セローは増える

 まず、わたしの愛車、セローたちを紹介する。

 初代はSEROW225WE。我が家の通称は「オレンジセロー」。大学時代にやっとの思いで買った、オレンジ色がキュートなオフロードバイクだ。よくオイルを食うし、2ストかと思うほど漏れる。年式が古いこともあり、とにかくオイル漏れに悩まされた。

 2代目は同じく225WE。通称「黒セロー」。初代のエンジン焼き付きのドナーとして購入したが、整備なしでも走ったのでしばらく山を楽しんだ。そしてまさかのこいつが焼きついた。いまはフレームとパーツになって、ガレージで待機している。

 3代目はSEROW250。通称「新セロー」。30thアニバーサリーと最後まで悩んだが、赤ボディにオレンジホイールの彼にした。2017年式のほぼ新車。わたしの中では新車。初めてのnotキャブ車である。
 仲良くなろうとしている途中だが、ちょっと足つきがイマイチだったり、なかなかに気難しい。あと225より満タンからの走行可能距離が短くて難儀している。

 こんな感じで、我が家のガレージはセローだらけなのだ。このほかに、腰上がだめなエンジンが1つと、腰下がだめな225のエンジンが1つずつころがっている。
 セローに乗り始めて、8年近く。あれよあれよという間に増殖した。いつか、林道で出会ったおじさまが言っていた。「沼にハマると、セローは増える」それは本当だった。

好きすぎて、結婚式にも招待した

 そろそろ気がついたと思うが、これはただただセローが好きすぎてちょっとおかしくなった重たい女から、セローへのラブレターである。
 ただ懐古しているだけなので、なにも言わないでほしい。

 わたしの大学時代は、前半はセローを買うためにバイトに明け暮れた。そして後半はやっと買ったセローで通学するつもりが、気がついたら山奥にいた。
 そんなことを何回もやらかしていたら、2回生の後期、単位が6つしかもらえなかった。
 いよいよもしかして、卒業できないかも、というところで、やっと我にかえった。働きすぎて主力になってしまって、無理やりシフトをねじ込んでくるバイトを辞めた。

 バイトを辞めると辞めたで暇だった。(お分かりだと思うが原因はバイトではなくバイクだから。)
 ある日、ふらりとセローで普段使わないコンビニでタバコを買って、一服していたら、ボロいオフロードバイクに乗ったお兄さんにナンパされた。
 ヘルメット被ってる時が最高にかっこよかった。セルなしのバハをキック一発でかける姿に惚れたから、連絡先を交換した。
 それが今の夫だ。

 夫曰く、汚いセローが止まっていたから、絶対に「山に行くやつ」だと思ったらしい。
 バイク女子は当時希少だった。その上オフロードとなればなおのこと希少だった。
 先日、「おれ、かもふらのこと顔で選んだんじゃないから」という迷言を吐いた。最高に失礼である。

 そしてしばらく付き合って結婚した。結婚式のとき、ウエディングプランナーさんに「好きなものを持ち込んでいい」と言われたので、セローとバハとインプレッサを持って行った。
 招待した数少ない友人達は、ちょっと呆れて引いていた。
 女の子がバイクなんて、と古臭いことを言っていた祖母はキレかけていたけど、知ったこっちゃなかった。

セローとならどこまでも行ける

 とにかくセローとは、どこへでもどこまでも行った。北はフェリーに乗せて北海道の宗谷岬から、南は熊本くらいまで。
 藪に突っ込んで大量のアブに追われたり、登山道に迷い込んで転げ落ちたり、しょうもないところで立ちゴケしたり、寒さでガチガチに震えながらエンジンでわずかな暖をとったり、浅い川を渡ってみたり、いろいろと。

 兎にも角にも、セローは最高のバイクだ。
 その最高度合いを表現するのに、いくら言葉を尽くしても足りない。わたしのいまの人生は、セローなしではあり得なかった。いま娘がいることも含めて。

ありがとう、これからもよろしく

 だから、セローの生産が終了するのはとても悲しい。本当は大きくなった娘に新しいセローを買ってあげたかったけど、仕方がないので、225を綺麗にレストアし、譲ろうと勝手に決めた。(要らないって言われたらどうしよう。)

 いまでも、生産終了といいながら、モデルチェンジしてまた出すんでしょ。そうだと言って、という気持ちでいる。

 生産は終わっても、わたしの人生の中ではこれからもセローは走り続ける。250買ったばかりだし、げちょげちょになるまで付き合ってもらうつもりだ。

 もうこれ以上いくら言葉を並べても伝え尽くせないのでこのへんにしておく。

 セロー作った人、本当にお疲れ様でした。

 YAMAHAさん、セローに続く楽しいバイク、これからも期待しています。