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残すことが良いことなのか。


現代までに無くなったものはたくさんある。
それは、お菓子やおもちゃ、街の食堂などの馴染みのあるものや、
人力車や、穴蔵屋などの仕事自体も無くなってきた。
はたまた伝統工芸品や文化などの長い間受け継がれてきたものも
誰にも気づかれないうちに無くなってきたのだろう。
そして、これから無くなっていくものもたくさんあるだろう。
便利になるかわりに、生産されなくなるものたちが。


使わないものは無くなっていき、
「価値のあるもの」だけが残っていく。

それは本当なのだろうか。

じゃあ、その「価値」ってなんなのだろう。



古くからあるものを「残す」ということが
良いことなのか。
悪いことなのか。
考えていきたいと思う。


1、「 残す / 守る 」ということ

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「“何か”が長く続いてきたって、時代に合わなければ使う人がいなくなる。
 そうなれば、それを残す必要もない。」

そう言われたら、なんと反論したらいいだろう。

「続いてきたのだから守るべきだ。」
こんな漠然としたことを言ったところで納得してもらえない。

どこかの文化がなくなりそうだ というニュースを見た時
あなたは何を思うだろう。
「自分には関係ないけれど、残した方がいいよね。」
なんとなく、でも共通認識として、こう思っている人も多いと思う。

では、なぜ残した方がいいのだろう。守るべきなのだろう。


続いてきたものには意味がある。
しかし、「目的」というのは忘れられがちだ。
いつでも「手段」が残っていく。

だから現代人が続いてきたものの中に意味を見出すのは難しい。

わかりやすいように具体例をだす。
私の地元では毎年、夏になるといくつかお祭りが開催される。
現代においては、ただ楽しむためだけにあるようなお祭りだ。
しかし、その中の1つのお祭りは、もともと雨乞いのためのものだった。
昔、夏に雨が降らないことに困った農家が始めたのだ。

これはつまり
“お祭り”という手段のみが残り、
“雨乞い”という目的は完全に忘れられている。

このように現代では習慣的になっているものでも
1番はじめにはきっかけがあり、理由があり、意味がある。

その意味を知らない現代人にとって
そこに価値を感じないことは自然なことだ。

ここで、もう一度さっきの例に戻るが、
もし現代人が“雨乞い”という目的を知ったとしても
そこにはもう「価値」はない。
だって、現代はありがたいことに水道から水はいくらでもでてくる。
雨乞いをする必要がないのだ。

ではなぜ、続いているのか。
それは「お祭りが楽しいもの」だからだ。
単純に “楽しい。” はそれだけで価値になる。
そこに携わる人々は、守っていきたいと思うだろう。

そう思う人がいる時点で、そこに「価値」があると私は思う。
だから、私はその手助けがしたい。
社会全体から見たら不必要なものでも
「後世に残したい。」と思う気持ちを守りたい。




2、「価値」とは。

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1で、何回も「価値」と言ってきたが、
そもそも価値ってなんだろう。


歴史的価値。
機能的価値。
経済的価値。
情緒的価値。

役に立つもの。
便利なもの。

社会全体でみたときに「価値のあるもの」とは
経済的合理性の上でしか、語られない。

しかし、私たちは一人一人生きていて、
全員に心、気持ちがある。

現代は生きるために必要なものから娯楽まで
(食べ物とか、着るもの、便利なもの)が溢れている。
だからこそ、
私は「価値」とは、人の「幸せ」(に繋がるものの全て)
と定義したい。


どんなに便利なものだって、
それを使って「幸せ」になる人がいないのなら、
無くなってしまえばいい。

逆もしかりだ。

どんなに役に立たなくたって、
それで「幸せ」になる人がいるのなら
残していく。



最後に

どんなものに価値を感じ、
それを使い、守っていきたいと思うかは人それぞれだ。

それでも、私と同じように
「価値」=「幸せ」
と言ってくれる人がいるのなら、
共感してくれる人がいるのなら、
私の仲間になってほしい。



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