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第2話 Make a decision

神威は関西での2年間の転勤生活を終え、再び関東にある本社で働くことになった。



前話で述べた通り、転勤中は会社の家賃補助があったため、20代後半でありながら、貯金を700万近くまで増やすことができた。




通帳の残高を見るたびに神威はニヤニヤが止まらず、ネットで「20代 貯金 平均」と検索しては、顔の見えない相手にマウントを取っていた頃である。



と、同時に貯金では物足りず、投資に興味を持つようになったのもこの頃だ。


なぜなら、貯金に関しては文句なしの高水準だが、神威の会社の給料は低水準だった。


20代後半ともなれば、早ければ役職が付きだす者もおり、同世代と給料に差がつく頃である。


また、それ以外にも


①目の難病の発症による仕事への支障

②会社の体制や将来性に対する不満

③自分が本当にしたい仕事への挑戦

という状況や思いがあった。


①神威の仕事は社用車で客先の工場などを訪問することが多く、高速で他県に行くことも多いため、夜遅い時間に運転することも多かった。

病名等は割愛するが、前触れもなく発症した眼の病気により対向車のライトが拡散し、普通の人より眩しく感じるようになったことで、結果的に夜間の運転ができなくなってしまった。


②神威が扱っていた製品は、自動車や建機会社のラインで用いられる大型の加工用設備で、自社の工場で製作している。このような場合、基本的に営業は自社工場と客先側との板挟みになる。

自社工場側は「納期に余裕を持って、高めの金額で受注してくれ」と言う。

それが出来れば何の問題もないが、客先側は当然
「なるべく短い納期、安い金額で発注したい」
と言う。

また、当然他社との競合になるため、納期や金額は客先側優位になる。そうなると、営業の上層部としては

「受注してナンボ。受注しなきゃ社員を食わせられないだろ!お客様の言うことが第一!」

となるわけだ。

そうなれば自社工場側としては不満が募り、その矛先は営業に向くことになる。また、短納期で製作する場合、十分に検査や試運転等を行う時間が取れず、納入前の立会を迎えることになる。

当然、多くの不具合が起き、指摘を受ける。
ただ、納期はずらせないのでとりあえず納入してから直してくれとなり、現地に納入後も技術者が人質のように拘束されることになる。

そういう状況なので、既に収めた設備に対するクレーム対応についても多かった。また、全国や諸外国に納入していたにも関わらず、工場は日本には1ヶ所しかなく、技術者の数も十分とは言えなかった。

よって、緊急を要する生産トラブルが起きた場合、技術者を派遣したくても担当者が工場におらず、結果的に客先側の不満の矛先は営業に向くことになる。

また、特に中国韓国のローカル自動車メーカーは最も厳しい顧客であり、客先側が全く検収を上げず、年単位で無償で技術者を長期間派遣し、赤字を垂れ流し続けていた。

担当していた営業の中間管理職は部長や社長からは、毎日のように「検収を貰うまで日本に帰ってくるな!」と強烈なパワハラを受け続けていた。


最初は無我夢中に働いていた神威だったが、5年も経てば仕事にも慣れ、全く変わろうとしない会社の体制や今後のキャリアが不安で仕方なかった。

そして長く勤めれば自分も同様な目に遭うことを考えると、次第に仕事に対するモチベーションが沸かなくなっていったのであった。


③仕事では良いこともあった。というのも、仕事の顧客が全国にいたため、会社のお金で全国各地に出張する機会があった。それにより、金曜日に出張し、土日は観光して帰ってくることもしばしばあった。


仕事では30都道府県以上を訪問し、「ここまで来たら全国を制覇しよう」と思い立った神威は、まだ行ったことのない県を訪問し、休日を活用して全国制覇のために邁進していた。

ただ、交通費や宿泊費などどうしてもお金がかかる。極力貯金を減らしたくなかった神威が活用したのは、夜行バスや民泊だった。


ある時、築100年近い長屋をリノベーションした民泊に泊まる機会があった。梁や柱はそのまま残しつつ、内装は現代風に変えており、古さと新しさを融合したリノベーションの魅力に神威は胸を打たれた。

「自分もリノベーション携わる仕事がしたい」



という思いが、日に日に強くなっていった。



そして、神威は約6年間務めた一部上場企業を辞め、一からリノベーションや内装に関する知識を学ぶため、職業訓練校に入る決断をすることになる。


第3話に続く

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