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note執筆はTwitterのつぶやきとくらべて、楽しいよりめんどくさいが勝つ

7月3日にTwitterが見れなくなる人が続出した。
詳しい理由はわからないが、なにかシステムのバグのようなものが起きているらしく、Twitter本社側でユーザーに閲覧制限をかけているらしい。

突然、利用できない事態。もちろん、どんなサービスにも不具合は起こり得るものなのだが。当の責任者であるイーロンマスクは、「中毒者はtwitterから解放された時間で家族や友人たちと過ごそう」と言った趣旨のツィートを投稿。ユーザーからの反感を買った。それが原因であるかどうかは定かではないが、Twitterとの連携を行うスマホゲームのいくつかはその連携をやめていくことを発表している。

インターネット全体の流れとして、新しいSNSへの移住が話題となっている。その流れに呼応する形でにじさんじ所属の周防サンゴはTwitterの森を出るか残るかを話し合う雑談をYouTubeで配信している。

メタ社が開始予定のthreads、トランプが開設したtrue、個人が融資の支援で運営しているmisskey。他、さまざまな企業が新規SNSの開設を検討中。ユーザーのシェアを競うSNS戦国時代がはじまった。

この流れをうけて、私も既存のSNSを調べて移動する準備に取り掛かりたいところだ。しかし、問題がある。Twitterの崩壊によって、今の巨大なネットコミュニティがなくなり、それぞれのこれから大きくなる小さなコミュニティに移る。

そうなると、今後どうやって自身の存在をアピールするのか。その手段が長期的になくなることだ。

私は小説を書いている。今、持っているTwitterアカウントはそれを宣伝する目的も含まれている。
Twitterは隠と陽の入り混じる巨大なソーシャルステーションだ。多様な人々がさまざまな目的で言語の分岐を辿っている。情報の集約と撹拌こそが、あのSNSの素晴らしいところだ。

他のSNSはそれぞれの良いところがあれど、その点においては、Twitterに遅れをとっている。

そうなってくると、短文によるコミュニケーションを基礎としたSNSだけでなく、 YouTubeやnoteなどで自身の存在感をアピールすべきではないか。私は考えた。

しかし、小説書きが言うのもなんだが、長文を書くのはめんどくさすぎる。なにがめんどくさいって、書いたときの労力と期待値に対するリターンが低いことだ。

例えば、こちらは私がパズッたツィートに対して送ったリプだ。

このリプ、私は数秒で考えて送っている。期待値も低かった。だからこそ、ファボがもらえたことがうれしかった。
このツィート、内容としては「明石家さんまが推しの子を1話までみた」というニュースに対してのリプだ。ホリエモンが料理配信で野菜を食べた時、「野菜も食べれて偉い」という発言に切れたことにもかけている。
とはいえ、そこまで深い内容があるわけでもない。
ファボをした人もそこまで意味があってのファボではないだろう。
そもそも、すでにパズっていたツィートにリプをぶら下げただけだ。私は時折反応がほしくてこういうリプをよくやる。

Twitterは反応がもらいやすい。Twitterは興味関心のある人のツイートに混ざる形で、私のツィートを並べてくれる。

一方、noteは、たくさんある棚の中から、私の文章を手に取るという選択がある。そうなると、なんとなくで評価されづらい。

そのため、書いたけど評価されないことはよくある。noteの執筆はめんどくさい。しかし、いい機会。久々に、書く習慣を再開しよう。

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