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8月30日のお話

「前菜盛り合わせと、ビールください。」

夏休みも終わりかけの月曜日は、世間もなんだか少しテンションが低いように感じます。社会人になって久しい自分には、8月末という日付はそんなに関係のないはずなのに。どうもすっきりしない気持ちを紛らわせようと、かなめがやってきたのは野菜やハーブを中心とした料理を出してくれる、カフェ&バーで緑の魔女の店「KUKU」という小枝でつくった看板が可愛らしい、かなめお気に入りの店でした。

店内は、8名ほどのカウンター席と2名がけのテーブル席が3つというこじんまりした空間で、客席のスペースよりも、間に飾られた植物のせいで温室にでも迷い込んだような場所です。

月曜日の夜も定休日にならないこの店は、本当に私のようなお一人様のニーズをかなえていると思う。そして自宅の近くにこういう店があるのは本当にありがたい、と思いながら店内を見回してみると、相変わらず基本的におひとりさま女子が多いようです。いつ来ても、自分の他にもおひとりさまがいて、むしろ誰かと来ている女子は1組かその程度でした。

以前はテーブル席に座ることの多いかなめでしたが、最近はもっぱらカウンターに陣取ることが多くなりました。目当ては女主人の九栗さんとの会話です。

かなめがこの店に通うようになって、一年以上が経ちますが、そのうちに気がついたのが、九栗さんの妙に達観した雰囲気と暖かさのある言葉の力でした。最初は、たまに聞こえてくるカウンター客との会話を「かっこいいな」と感じるくらいでしたが、昨年のちょうど夏頃に、カウンターで大泣きしている女子を慰めていた様子をみた時あたりから興味が湧いてきたのです。

カフェで大泣きするくらいの話をする?というのが第一印象でしたが、色々と聞いていると”泣きたくもなるわ”と感じるような言葉がかけられているのをみているうちに、いつの間にかカウンターに座り、女主人に話しかけるようになりました。

「九栗さんの、そのかっこよさの秘訣って何ですか?」

出てきたビールを一口飲むと、かなめは早速”九栗さんインタビューリスト”をスマホで開くと、そう尋ねました。

「あら、かなめちゃん今日もインタビューやるの?」

先週来た時も散々答えたじゃない、と苦笑いする九栗さんに、かなめは若い子のような笑顔を作り「だって、こんなにあるんです。」とスマホの画面を見せながら言いました。「そして聞くたびに新しいのが増えるので。」

ええーと大袈裟に肩を竦める九栗さんをみながら、同じくカウンターに座っている女子たちも思わず笑います。かなめはその女子たちと結託するように「皆さんも気になりますよね?」と巻き込みました。そんなかなめに、一番に声を上げて笑った女子の顔はみたことがあります。最近来始めた子だと思いますが、先週か先々週のインタビュー会のどちらかにもいたのでしょう。この店は常連女子が緩やかな仲間意識を共有するような雰囲気がありました。

「そういう仲間意識は持たなくて結構よ。」

まったく、とため息をついて女主人の九栗さんは「そうねぇ」と質問の回答を探し始めました。

「何がカッコ良いと感じてもらっているのかはわからないけれど…」

以前、若くないのに若い頃にしかできないような経験をさせてもらった時期があったの。九栗さんの話はこう始まりました。

「あなたたち風にいうと、そういうプロジェクトに参加させてもらった時期があった、という感じかしら。」

それまでの九栗さんは専門の研究機関で研究に明け暮れるような生活だったと言います。それなりに成果を上げ、それなりに才能もあったから研究責任者みたいな仕事をしていた時期に、そのプロジェクトへの参加が決まりました。

「そのプロジェクトでは、自分の研究についての能力は当初ほとんど役に立たず、まるで自分が子供に戻ってしまったような無力感を味わったわ。それは周りのメンバーも同じだったんだけどね。誰も取り組んだことのないプロジェクトだったから、そこに参加したメンバーは全員同じ、無力な子供になってしまった、という気持ちだったと思う。」

そういう場で、みんなが無力感と挫折と、自分の存在意義を問い続ける日々を過ごすうちに、九栗さんはこれまでの自分が溶けて、みんなから影響を受けた色々と混ざり合って、新しい自分が作りあげられていくような感覚になったのだと言います。

「特に変化したのは、あの時ね。」

九栗さんが少しだけ瞳を細め、少し遠くを見るような仕草をしました。九栗さんの視線の向こうには、その時のプロジェクトメンバーの姿が写っているようで、聞いているかなめたちは映画でもみているような気持ちになりました。

「物事が上手くいかなくて辛い時。そこで、みんなのために出来たこと。これが私の本当の価値だと思える自信がついたのよ。」

意外とそれは、以前から自分が得意だと思っていた研究分野とは違うことだったりしたのだけど。でも研究をしていなかったらそういう行動につなげられなかったかもしれないから、研究が無駄だったということではなくてね。

自分が思い込んでいる得意なこと、と、誰かの役に立てる自分の勝ちというのは、時と場合によってずれたりするっていうことを身を以て経験できたことだったわ。と話す九栗さんは、外見は40代後半くらいの、かなめにとってはお姉さん的な若さのはずでしたが、妙に歳を重ねているような深みがありました。

「自分のことを、あんなに知ることができた時期はなかったわ。」

同じような組織、同じような職能、同じような仕事ばかりの毎日で、いくら内省しても見つけられなかった自分の色々な側面を見せてくれたのは、そのプロジェクトで出会った人たちだった。九栗さんは、そう振り返ります。「自分と本当に向き合うためには、たくさんの違う組織、違う特技を持った自分とは違う人、違う価値観で生きてきた人と向き合うことが必要だったのよね。」

そういう経験をした時期があって、そのプロジェクトも終わった頃、九栗さんはこんな気持ちになったと言います。

「大人になった記憶を持ったまま、子供から人生を二周目できたような、特別な成長の時間を人より余分にもらったような、そんな気がしたの。」

それからかな。そう言って言葉を切った九栗さんの手には、いつの間にかワイングラスが持たれています。普段はカウンターの中で飲んでいるような様子は見せたことがありませんでしたが、今日のこの話は、九栗さんですら、飲みたくなるような思い出なのかも知れません。

「かっこいいかどうかは、わからないけれど。そうね、二周した分、あまり物事に動揺したり迷ったりしなくなったかも知れないわ。」

そう言った九栗さんに、カウンターの反対側に座っていた女子が、思わず質問しました。

「ママは、おいくつなんですか?」

女主人のことを、客の女子たちは様々な呼び名で呼んでいました。かなめは九栗さん、ですが、この女子のようにママと呼ぶ人もいれば、マスターと呼ぶ人もいました。ただ不思議と、この女子がよぶ「ママ」は、妙に夜のお店のママを連想させる艶っぽさがありました。そんな店で働いているような格好の子ではないけど…。

「それは、企業秘密なのよ、ミキちゃん。」

かなめが興味を持った女子は、ミキと呼ばれていました。その向こう側に座る常連の子(この子はかなめと同じかそれ以上前から見かける子です。確か、山さんと呼ばれていたような。)が、フォローをするように言いました。

「この店の看板知っとお?緑の魔女の店って書いとるやん。魔女やから、年齢不詳がセオリーなんよ。」

そのロジックもどうかと思いながら、かなめも、九栗さんの年齢が不詳であることはなんとなく不詳のまま楽しみたいなと思っていました。

「え、お姉さん、関西ですか。」

ミキは、九栗さんの年齢のことではなく、山さんの関西訛りに引っかかったようです。すごい勢いで山さんに詰め寄ると、急に自分自身の言葉遣いのイントネーションを戻しながら、そう聞きました。

「そうやけど、あ、自分もそうなんや。えーどこどこ?」

関西エリアの人たちは、そういえばすぐにこうして仲良くなります。かなめの出身地の中部エリアではまずあり得ない(判別が難しい)ことなので、こういう様子を見ると、少し羨ましくなります。

「九栗さん、今日はもう少し話を聞きたいので、デザート的な何かありますか。」

九栗さんの話から、急にお互いの関西話に花を咲かせ出したカウンターの女子たちを横目に、かなめはワイングラスを空にしてしまっている九栗さんにオーダーを頼みました。

すると九栗さんは「大人のハニートーストとか出せるけど」と言いました。確かに今日のおすすめという黒板に、大々的に書いてあります。じゃあそれで、とお願いすると、九栗さんは満足そうにうなづき、女子はたまには背徳的なものを食べないとね。と言いました。

しばらく待っていると、目の前に、薄めのトーストの上に山盛りのイチジクとチーズ、たっぷりの蜂蜜がかかった物が差し出されました。

「去年から、夏の終わりの定番にしているの。そして今日はそのイチジクが追加で納品される日だから。山盛りサービス。」

「えーすごい。」

甘そうだけどほとんどがイチジクという内容物に、一瞬でカロリー計算をしたかなめの表情が明るくなります。「これは罪悪感、軽くさせる」

「納品、もう直ぐくる頃だと思うけど」

時計を見ながら、九栗さんがそういうと同時に、カフェの扉があいて常連の女子が一人入ってきました。手には「特秀品イチジク」と渋く書かれた段ボールを抱えています。

「あ、いらっしゃい。イチジクの追加、助かるわ。」

わかりやすい登場をしたのは、かなめもよく見かける常連さんでした。直接話したことはありませんが、かなめ自身はよく覚えています。その人がイチジクを差し入れているとは…

「あ、食べてくれてるんですね。美味しいですよね。これ。」

段ボールをおきがてら、かなめの隣に座ったその女子は、かなめの目の前の皿を見てニッコリと微笑みました。

「あ、美味しくいただいています。」

いつか、話しかけてみたいと思っていたという思いが先走り、そういうとかなめは思わずこう続けてしまいました。

「あの、去年、死体のふりの話をしていた方ですよね」

「え?」

言われた女性の方は、一瞬なんのことかわからないという表情をしましたが、「あー」と何かに気づいてうなづいているカウンターの中の九栗さんをみて、ハッと思い出したように目を見開いて頭を抱えました。

「もしかして私が大泣きしてた時もいたんですか、ここに。」

恥ずかしい!!と項垂れながらコロコロと表情を変える目の前の女性に、とても好感を抱きながら、かなめは「いえいえ、すみません。いました。」と笑いを堪えながらフォローをします。

そして、改めて、と言って自己紹介をしました。

「かなめと言います。多分、去年くらいから常連です。」

それを受けて、女性の方は、あ、と名刺を探し差し出しながら挨拶をしました。名刺をすぐに出すところを見ると、今日は仕事だったのかも知れません。

「あの、加納雪枝と申します。あ、百貨店で働いていて。」

あぁ、だからか。このファッション。とかなめは納得しながら、私は仕事は企画みたいなことをしていて…と自己紹介を続けました。

そんな二人をみながら、カウンターの中の九栗さんが微笑んでいます。その微笑みには、今日の質問会がひと段落したという安堵と、一人ずつでやってきたお客さんたちが、いつの間にか一人じゃなくなるという様子に満足して散るのと、色々な感情が含まれているようでした。

2021年8月30日、この店がここにできてそろそろ2年。こういう輪ができてからが、またこの店が楽しくなるのです。


着想 《夜のカフェテラス》1888年フィンセント・ファン・ゴッホ。クレラー・ミュラー美術館所蔵。


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