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8月13日のお話

「すごい雷。」

お盆休みなのにどこにも行けない、2020年8月13日。

木戸山コンノは仕事がないことを良いことに、自宅のソファに体を預けたまま昼下がりのビールを楽しんでいました。

今夜は冷蔵庫に大量にあるピーマンで、ピーマンカレーでも作ろう。そんなことを、昼過ぎまで考えていたのに、酔いが回ってくると立つことすら億劫になってきます。

自粛生活が始まった春頃、せっかく家にいる時間が多いし自炊でも。そう思って契約した野菜の定期便も、いつの間にかラインナップが春野菜から夏野菜に変化しています。夏野菜といえば、ピーマン。ですが、レタスやリーフ類はサラダとしてどれだけでも消費できますが、ピーマンは意外と難しい食材です。さらにそれが、今回のようにピーマンとパプリカとししとうをセットにされたりすると、もはや一人暮らしの彼女は消費が追いつきません。結局今回も、前回送られてきたピーマンの残りと合わせて、合計で10個はあるだろうピーマンが、最後まで野菜室に残っていました。

今日こそ、ピーマンを片付けないと。そう思っていたのに、ついお酒を飲み始めてしまったら、その決意は予想通り揺らぎ始めました。そこにきて、この雷です。

「洗濯物、入れなくていいの?」

そう声をかけられて、コンノは「そうね」と心の中で同意しました。しかし立ち上がるにはまだ意志が足りません。夕立がきそうな気配はあるので、洗濯物を取り込まないという判断はあり得ませんが、こういう時、一人暮らしでお願いする相手がいないのはよくない、そんなことを感じます。普段は一人が気楽だと思っていても、です。

そんなことを考えながらダラダラしていると、いよいよ雷の音が大きく迫ってきます。窓の外の暗さも尋常ではなくなっているようです。

「ねぇ、洗濯物。」

その催促が決め手になり、コンノは重たい体をヨイショと起こしてベランダに出ていきました。

「うわ、すごい湿気。暑っ。」

出窓をあけたコンノの体を、すでに雨が降っていたのではないかというほどの湿気が包み込みます。

「夏らしくなったね。」


洗濯物を取り込み終えたちょうどその時、バシャっという音が聞こえたかと思うほど突発的に雨が降り出しました。昨日に続き、今日もなんとも夏らしい夕立です。昨日は確か夜まで降ったり止んだりを繰り返していましたが…

「今日は、すぐに止むよ。」

コンノが閉めた窓の前で、ベランダごしの空を見上げながら、今日は昼から家の中に入ってくつろいでいる猫のエルがそう宣言しました。

「そうなの?」

洗濯物をたたみながら、コンノがエルに聞き返します。

「これは入場のファンファーレみたいなものだってきいたんだ。今年は東京に帰ってくる人が多いから、例年より豪華らしいよ。」

エルはおそらく猫の集会で得た知識を共有してくれているのでしょう。この情報は、非常に信頼できる情報です。エルの言葉の中に”帰ってくる人”というキーワードをきいて、コンノは「ああ、今日は月遅れのお盆か」と気がつきました。

「そっか。地方出身の人たちも、今年は東京でお盆を迎えるのね。」

「そうそう。分散していた天界の帰省ルートも、今年はここに集中しているみたいでさ。帰省ラッシュ&規模拡大ってとこなんだって。この雷の大きさと雨は。昨日、予行練習やってた。」

コンノは得意げに情報を披露するエルのことが気に入っていました。まだ若い猫のエルですが、頭の良い機転のきく猫で、世の中の様々なことを知りたがり、それを誰かに伝えたがるそんな性格の持ち主でした。

そんなエルからの情報に、コンノは「予行練習やるんだ」とその部分に妙に感心しながら、なるほど、去年まではひっそりと過ごしていた月遅れのお盆も、戻ってくる先祖の数が多いとこう賑やかになるのかと納得していました。

「迎え火が見えるように、ちゃんと晴れるよ。晴れたらツナ缶買いに行こうよ。」

ツナ缶。そういえば昨日、なくなっていたとコンノはエルに言われて気づきました。ピーマンカレーにも、ツナ缶は入れたい。

買いに行くのは非常に億劫ですが、まぁもしこの大雨が晴れるなら、それは「行け・そしてピーマンカレーを作れ」ということなのだろうと決めて、鳴り止まない雷とバケツをひっくり返したような雨を眺めていました。


小一時間ほど過ぎたでしょうか。

空のビールの缶を持ったまま、うとうとしているところを、エルの猫パンチが顔に命中してコンノはハッと目を開けました。

「雨、上がったよ。行くよ。」

まさか、と思って外を見ると、先ほどの暗雲は見当たらず、見事な夕陽が散り散りになった大きな雲に反射する真っ赤な空が広がっていました。

「ほんとだ。」

早く、早く。そう急かすように、エルが彼女の足元にまとわりつきます。

「わかった、わかったから。」

そう言いながら、マスクを付けて鍵とエコバック・スマホをポケットにつめてコンノは玄関を開けました。先ほどより少し涼しくなっていますが、それでもムッとする湿気に一瞬挫けそうになりながら、数歩先で「早く来い」と睨みを聞かせているエルからは逃げられないと観念し、玄関を閉めて鍵をかけます。

ふっと見上げた夕焼けの空、ビルとビルの間に、翼の片方のような大きな雲が見えました。珍しい形の雲。そう思っていたところで、エルがめんどくさそうに「ニャア」と鳴きます。

天界からの乗り物だよ。あそこから、それぞれの行き先に向かって迎え火や迎え飾りを目印にご先祖さんたちが降りて来てる。

エルがそう説明してくれたような気がして、コンノは思わず、自分のご先祖たちを探そうとしましたが、ふと、「うちは、先月組みかな」と思い直し、地方のご先祖様たちが「今年は江戸で合流とはのぅ」などと言いながら集まっている様子を妄想してクスリと笑いました。

人間が動いていない分、きっと、天界の交通網は、今年は大混雑ね。だって、東京にいる家族に会った後は、きっと、地元にも移動するんでしょ?などとエルと話しながら、コンノはツナ缶を買うために近くのスーパーまで歩いて行きました。


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