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3月1日のお話。

朝、天気予報を見たときは「曇り」。今日いっぱいは雨は降らないと思って干した洗濯物も、こう、雲がどんよりと暗くなってくると心配です。

もし降ったときのために、取り込んでしまおうか。

昼下がりの2時。おやつの珈琲を淹れながら、狩野かなめはそんなことを考えました。今日はいつもより暖かいし、概ね乾いているだろう。あと少し部屋に吊るしておけば夜には片付けられるかもしれない。それが良い。

熱々の珈琲を一口だけ飲み、用意しておいたチョコレートはお預けにして彼女はベランダに出て行きました。手際良く取り込めば、珈琲も飲み頃に温度が下がっているはずです。今日の珈琲は思いの外香りが立って良い出来です。焦らず温度の変化とともに味と香りをゆっくり楽しむためにも、天気という気がかりは先に片付けておいた方が良いと判断したのです。

ベランダに出て、窓を締めると、かなめはハッと空気を見回しました。今朝までと、昨日までと、空気が違うことに気づいたのです。今日は気温が高めの曇りの日。そういえば今年初めての暖かな曇り空です。ベランダに出た途端、先ほどまでの珈琲の香りが緩やかに途切れ、かなめの周りには一年ぶりに感じる”春の湿気の香り”が漂っていました。

「春の湿気の香り。」

頭の中に思い浮かんだ表現を、口に出して言ってみます。

春は匂いが違う。彼女がそれを初めて認識したのは、小学生の低学年の頃でした。この感覚の、一番古い記憶がその頃だということです。まだ田畑が多かった実家の近くで、教室から校庭に出た瞬間に鼻をくすぐる不思議な空気の匂い。その時はそんな風に形容したような気がします。

自然が多かったことや、校庭の周囲の雑草を踏み締めていたこともあり、東京で感じる香りよりも少し青っぽい、土の混ざった香りです。その日の朝、登校するときまでは感じなかったのに、同じ校庭に、お昼休みに出た時に香り出すこれは、一体なんだろう。幼心に、そんな疑問を感じたのを、彼女は今でも覚えていました。

母親にそういう話をしたところ、「それは春が来たからよ」と教えてくれました。春になったらそういう香りの風が吹く。春というものは見えないけれど、匂いできたかどうか解るのか。幼いかなめはそんな風に理解し、ついこの前に理科で習った「春のおとずれを冬眠中の動物や虫たちに告げる、春の嵐」の予兆みたいなものなのかな、と考えました。

そう認識してからというもの、毎年のようにこの時期、この香りに気づくことが楽しくなってきました。いつもいつも、この香りの存在は忘れているのですが、暖かい日が訪れて、この香りが鼻をくすぐると、ハッと思い出すのです。かなめはその度に、この不思議な春の香りを様々な言葉で表現しようと、五感全部を使って風を感じたり吟味したりするのでした。

小学校を卒業する頃には、こんなことを考えるようにもなっていました。

この香りがしてから、春一番の嵐がやってくるまでは、およそ一月ほど間が空きます。虫たちが土から出てくるのが春の訪れだとすると、この春の香りはそれより前。フライングな春なのだろうか。それとも…。

彼女の考察の終着点はこうです。

眠っている生き物は、この微かな春の匂いに気付かないのだ。だから嵐が合図する必要があるけれど、冬の間も起きている私たち人間は、こういう香りの変化を感じられる。私たちは冬眠しない分得をしているんだなぁ。

そんなことを毎年毎年考えているうちに、彼女は春を好むようになりました。そして春を感じるために、春になると様々な季節の生活様式を楽しむのです。梅から始まるお花見は、菜の花、雪柳、沈丁花と通学路の花も楽しみ、食欲はつくし狩り、蓬餅、ハマグリ、竹の子と、春の苦味を大人ぶって嗜んだり。

そんな風に昔を懐かしみながら、洗濯物を部屋に取り込み終えると、かなめは部屋の窓を締める前にもう一度どんよりした曇天の空を見上げました。

大人になった彼女は、この春の香りが、春という存在がやってきて香るものではないことを知っています。子供の頃は、日本には季節の神様がいて、春には春の神様が地上に降りてきている。夏には熱い夏の神様が地上にいるから暑いのだ、とか思い描いていましたが、大人になるにつれて、それが気象現象で、春や夏という存在は架空のものだと理解しています。

この春の香りは、春の「湿気の香り」なのです。湿気が多くなることで匂い成分が空気中に多く捕まり、鼻に感知されやすくなる。もっというと、晴れているときは気流が上昇するため匂い成分はすぐに大気の上空に発散しますが、曇りの日は気流が地上付近でもたつき、匂い成分が滞留するのです。

つまり現実は、今かなめが感じている匂いは、普段からいつもここにある。ここにあるけれど、乾燥して晴れている冬は感知しにくくなっていて、温かく湿度の高い曇りの日は存在を強く感知できる。それが、春の湿気の香りの正体でした。

部屋に戻り、まだマグカップから漂っている心地よい珈琲の香りを楽しみながら、今日珈琲の香りがうまく立ったと思ったのは、この湿気のせいもあるかもと思い至りました。ポジティブに考えれば、普段から淹れる珈琲も良い香りを立てられている(私が気付いていないだけ)。ネガティブに考えると、いつもと同じかそれ以下の淹れ具合だけど、湿気のおかげで美味しそうだと勘違いできている。

「あれ、どっちもポジティブかな。」

自分の考察にクスリと笑い、かなめは楽しみにとっておいたチョコレートを口に運びました。

春が訪れてくる存在だと思える世界も素敵だし、普段からそこにあるものをちゃんと気付かせてくれる世界も素敵。珈琲の淹れ方がうまかったかどうかはわからないけど、どちらにせよいつもより心地良い珈琲の香りに包まれているのだからどちらも素敵。

春は、なんだか素敵なことが多いなぁ、としみじみ思い、明日の雨の予報すら、なんだか楽しみになってきたかなめなのでした。


着想
ジョン・コンスタブル
作品名 ウォリックシャーのマルヴァーンホール
英語名 Malvern Hall in Warwickshire

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