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7月7日のお話

「これは、警告やで。」

七夕物語。中国の伝承からさまざまなバリエーションに変化した七夕物語の戯曲を読み終えて、ミキは一言、そういいました。劇団の座長を務める彼女が、眉間にしわを寄せてそういうものだから、同じくそれぞれに七夕物語の戯曲に目を通していた劇団員たちは、え?というような表情で顔を見合わせます。

昔々、天の川のそばには天の神様が住んでいました。天の神様には、一人の娘がいました。名前を織姫と言いました。織姫は機を織って、神様たちの着物を作る仕事をしていました。織姫がやがて年頃になり、天の神様は娘に、御婿さんをむかえてやろうと思いました。色々探して見つけたのが、天の川の岸で天の牛を飼っている、彦星という若者です。彦星は、とても立派な若者でした。織姫も、かがやくばかりに美しい娘です。二人は相手を一目見ただけで、好きになりました。二人は結婚して、楽しい生活を送るようになりました。でも、仲が良過ぎるのも困りもので、二人は仕事を忘れて、遊んでばかりいるようになったのです。すると、天の神様のもとへ、皆が文句を言いに来るようになりました。「織姫が機織りをしないので、皆の着物が古くてボロボロです。早く新しい着物を作って下さい」「彦星が世話をしないので、牛たちが病気になってしまいます」神様は、すっかり怒ってしまい「二人は天の川の、東と西に別れて暮らすがよい」と、言って、織姫と彦星を、別れ別れにしたのです。でも天の神様は、織姫があまりにも悲しそうにしているのを見て、こう言いました。「一年に一度だけ、七月七日の夜だけ、彦星と会ってもよろしい」 それから、一年に一度会える日だけを楽しみにして、織姫は毎日、一生懸命に機を織りました。天の川の向こうの彦星も、天の牛を飼う仕事に精を出しました。そして、待ちに待った七月七日の夜、織姫は天の川を渡って、彦星の所へ会いに行きます。
(ウィキペディアより抜粋)

「この物語が作られた1,000年以上前から、今日に至るまで、男女の深すぎる恋は周囲に多大な迷惑をかけることが多かったんやと思う。」

愛し合うことばかりに夢中になると、天の神様に「あの二人、最近やることやらんとデートしてばかりやで」と告げ口されんで。そうしたら、年に一回しか会われへんようにされるような罰がふりかかるんよ。

「そういう警告を、人々に伝えるために、何世紀も語り継がれてきた物語やねん。」

ミキは劇団員に向かって力説します。彼女が最後にまとめるように「男女関係っていうんは、1,000年以上、変わらんものなんやねぇ。」と呟いた視線の先には、ばつが悪そうにうつむいている男優のカズヤと女優のマキコがいました。同期入団のふたりは、いつのまにか付き合うことになっており、二人で稽古に遅刻してミキに怒られるという出来事が最近あったばかりです。

2006年7月7日、大学の七夕祭は、ミキたち学生劇団にも見せ場があります。毎年、夜に野外ステージを使ったナイトシアターを上演するのです。

劇団員の総意で、今年は七夕祭に来ているカップルがこぞってチケットを買いたくなるような、甘い映画のような作品にしようということになり、どんな戯曲が良いかと七夕物語の戯曲を読み比べていたのが、先ほどまでの時間でした。

しかし、戯曲の筋を伝承に求めれば求めるほど、そこにカップル向けの甘い要素はありません。

「七夕が、如何に、後から商業主義のために恋人たちがプレゼントを贈りあうような行事に修正されていったのかということが、痛いほど伝わるやつだね。アジア各国。」

作家を担当している、ミキの同級生のヨシヒコが、ミキの教訓説をさらに商業主義説に飛躍させます。この状況では、七夕祭に来ているカップルがチケットを買いたくなるような作品に仕上がりそうにありません。

困ったなぁという空気が流れたとき、女優のマキコが、はいっと手を挙げて言いました。「他のことが手につかなくなるほどの恋に溺れた二人が、神様の罰をかいくぐって幸せになる話はどうでしょう。」

引き離されても、二人は実は川を簡単に超えて、毎晩こっそり逢瀬をしていたとか。

と、続けるマキコの言葉に、ミキは頭を抱え、ヨシヒコは「え?それは何が面白いの?」と真面目に疑問をなげかけたので、発言された瞬間にその案は没になりました。

結局最終的には、七夕物語にネタをもとめず、普通の恋愛戯曲を上演することになったというのが、ミキの七夕に関する思い出の一コマでした。

それから10年、2016年7月7日。

ミキはふと、そんな学生時代のことを思い出していました。

今日までの期間、何人かの男性に溺れるような恋に落ちたことはありましたが、いずれも、七夕が来るたびに、この経験を思い出し、ふと自分の気持ちにブレーキをかけてしまうということを繰り返していました。

いつしかミキは、それ以上の関係を謳歌することができなくなってしまったのです。今日も、もともとは、七夕の夜だからと、デートに誘われていたのですが、「店を休むほど、恋愛を優先できない」と思ってしまったため、「この日は仕事やねん。」と断ったのです。

なんだか自分が、七夕の呪いにでもかかってしまったのではないか。と、うすうす思ってしまうほど、あれ以来、七夕物語の「警告」はミキの恋愛に影を落としていました。

そして今回も。

客足が鈍く、店を早めに切り上げることになったミキは、仕事を終えたんだから、と気持ちを切り替えて、彼氏の家のある駅へ向かいました。まだ電車も動いている時間です。遅くなったけど、一緒に過ごしたい、そういうセリフくらいは言えるだろう、と考えながら最寄駅から徒歩10分の道のりを歩いていました。

すると、いつも通り過ぎるコンビニから、見慣れた後ろ姿の男性が、女性と手をつなぎながら出てくるところを目撃してしまいました。ミキには気づかず、二人はこれからミキが行こうとしていた家の方向に歩いています。

「呪い、確定やな。」

明らかな二人の状況に、ミキはそれ以上追うことも声をかけることもせず、そっと来た道を戻り始めました。

溺れるほどの恋愛は、周囲に迷惑をかけるからあかんと思ってたけど…

10年前の自分の解釈に、いよいよ疑問をもちはじめます。

溺れるほどに、誰かを愛せたとしたら、自分は幸せになれるんやろか。


見上げた空は雲に覆われており、織姫星も彦星もミキからは見えません。ミキは雲の向こうに輝いているはずの星々を想像しながら、もう一度、問いました。

溺れるほどに誰かを愛してしまったときは、周囲に迷惑をかけてでも、愛を貫くような決断が、私にはできるんやろか。



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