7月31日のお話
2013年7月31日。私は少し蒸し暑い夏の夜をひとりで歩いていました。
東京という街に引っ越してきて3年以上が過ぎましたが、私は東京の街のことをそんなに知りません。これまで、職場と自宅の往復以外はほとんど出歩かなかったためです。東京に友人がいなかったとか、そういうこともありますが、出張の仕事が増えるにつれ「土日はゆっくりしたい」と家から出ないようになったことが致命的だったのだと思います。
最近、そういうことではいけないと思い立ち、こうして少し遠い近所を散策する時間を作る様にしました。今日は、職場の同僚から紹介された「美味しいとんかつ屋」を目指して二駅先で地下鉄をおり、駅から徒歩10分という若干面倒くささを感じる距離を、あえて歩いて行ったところでした。
確かに美味しいとんかつだわ、と思えるもので空腹を満たした私は、満たし過ぎた様にも感じる罪悪感を紛らわせるために、さらに少し駅とは逆の方を開拓してみようと考えました。
とはいえ、何か、行く”アテ”が欲しいと考えて、GoogleMapで探しているときに見つけた”面影橋”という地名。この地名に、なんとなく見覚えがあったことで歩き出したのが10分ほど前でした。
そして今、私の目の前に、路面を走る電車と道路の真ん中に佇む駅が現れました。地図上ではよくみていませんでしたが、面影橋とは、路面電車の駅の名前だったのです。
東京にも、路面電車、あったんや。
そう思った瞬間、その”路面電車”という単語に呼応したかの様に、ある記憶が蘇りました。
「散歩しとったら、路面電車が走っとる!」
以前、夫からそんなLINEが送られてきたことがありました。その映像が、頭の中にふっと浮かんできたのです。
それは、私が高知へ出張していた時のことだったと思います。ちょうど、客先の接待も終わりかけた0時前頃でしょうか。高知市内にある路面電車を使ってホテルまで戻ろうとしていた私は、「せやね」とだけ義務的に返信したました。何を言ってるん。高知の観光名所の常識やん。そう毒づいたのでよく覚えています。
しかし、今、そのときの私の認識が大間違いだったことに気づきました。夫は、高知のことではなく、ここのことを言っていたのです。
その時は酔っ払っていたこともあり、夫は私が滞在している高知市のことを言っているのだと早とちりしていました。なぜならその時の私には、”東京に”路面電車が走っているなんて、全く知らなかったからです。枕詞に「散歩しとったら」とついていることは、思い込みから見逃していたのかもしれません。振り返れば、記憶にははっきりと残っています。人の記憶は不思議なものです。認知と認識は違うということでしょうか。
とにかく、私は、あの時の夫のLINEの意味が今ようやくわかりました。
あの人は、ここまで、散歩してたんか…。
自宅からここまで、歩けば30分以上かかります。
”散歩”でこんなところまで一人で歩いてくるほど、夫は私の出張中、時間を持て余していたのかもしれません。そう考えると、ふと、また別の夫の言葉が脳裏をよぎります。
「色々悪い方向に考えそうになる時は、歩くに限るで。」
それは、私が仕事で悩んでいると愚痴をこぼした時に、かけられた言葉でした。その時は「歩くって、そんな単純なものとちがうし。」とすぐに否定したのですが、よく考えれば、なぜ夫がそんな「解消法」を提案したのかという点に疑問を懐くべきだったのかもしれません。
悪い方向に、何か、考えそうになったことがあるん?
東京に来る前は、お互い車生活でした。歩くとか、そういう週間はほとんどありません。夫が実感を込めてそう提案した裏側には、彼自身がそうして何かを悪く考えない様に努力しようとしていた事実があったのでしょう。そのメッセージに気づき、確認をすれば、何か、変わったのかもしれません。
「面影橋」
駅の方に歩みより、ホームに掲げられたその文字をじっと見つめていると、もう一つの記憶が蘇りました。それは、これまで思い出したよりもずっと古い、東京に来たばかりの頃の記憶です。ふたりで、今の家を決めた時、不動産屋さんからもらった地図を眺めながらカフェでお茶をしている様子が見えます。私はとても楽しそうで、地図をながめながら、ペンでまるをつけています。
東京って、歴史が色々残ってるんやね。面白い場所がたくさんやわ。雑司ヶ谷って、夏目漱石の本に出てきてたやつやで。学習院ってあの有名ながっこうやろ。徳川ビレッジ?徳川って、あの徳川やんな。
あの頃の記憶の中で楽しそうにしている私自身の声が、他人の声の様に、耳にひびきます。地図に書いてある言葉一つ一つが、まるで何かの宝物の様に見えているのでしょう。行くところがたくさんあって、良い場所を選んだと喜んでいます。そして、私は言いました。
面影橋?おもかげばし?なんやろ。演歌とかにありそう。あれ、この川、神田川やで、あのさだまさしの神田川!そしたらこの面影橋もそんな感じのところなんかなぁ。行ってみたいなぁ。
「せやな。引っ越したら、一個ずつ行こうな。」
記憶の中の風景で夫が言ったその言葉に、私は急に足の力が抜けてしまい、面影橋の駅のホームのベンチに座り込みました。後悔が心の中に洪水のように押し寄せ、目から涙として溢れ出します。
引越しと同時に転職した私は、新居に入るや否や、新しい会社に慣れるためにと仕事に夢中になり、キャリアを積む面白さにとらわれ、いつしかその時の約束をすっかり忘れてしまっていました。
反対側のホームに、電車がとまり、誰も乗り降りしないまま通り過ぎます。
彼は、私が仕事しか見えなくなってしまったあとも、あの時の約束をたどりながら、ここにも、一人できていたのかもしれません。
いつしか、彼と共有するものが極端に少なくなった私は、彼の発していた日常のちょっとした、けれども大切なメッセージに、ことごとく気づかずに過ごしていたのでしょう。
そんな様子の私に、夫が愛想を尽かしたのは、今思うと仕方のないことでした。
”それ”は、簡単に、他人と変わらない存在になるのだと、私はようやく気づきました。一緒に生活をしていても、同じ苗字になっていても、同じ風景をみて同じものを感じていないと、夫婦という存在はあっという間に他人になってしまうのです。
昨日、弁護士に渡しておいた捺印済みの離婚届は、今日彼の元に届けられ、明日提出されるのだと聞いています。
なぜ今日このタイミングでこんなことを思い出したのかと、私は天を仰ぎました。思い出すならもっと早く、そうでないなら永遠に忘れておきたかったと、そう思っても、同じものを見ることを放棄していた私への罰から逃げることはきっとできない運命だったのでしょう。
こうなった原因は彼にある。そう思ったままでは、精算させてくれないのが、神様らしい。
溢れた涙が街の明かりをぼんやりと滲ませて、離れていく電車は私からは永遠に追いつけない幸せを乗せているかのように、妙に綺麗に輝いて見えました。
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