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8月8日のお話

2019年8月8日 小笠原諸島は停滞した台風10号により、激しい暴風雨に見舞われていました。

そんな中、刈野かなめはお盆休みの旅行に、この島を訪れていました。

「まぁ季節だし、覚悟はしていた」

と、強がってはいるものの、直撃&停滞という自分の雨女ぶりには少しゲンナリしたものです。「島に行きたいの」というかなめの我儘を快く聞いて付き合ってくれている彼氏の英人にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

朝から降り続く雨を恨めしそうに眺めながら「あと2日ほど停滞」という予測を聞いて絶望的な気持ちになります。帰りの飛行機が飛ばない心配は、ここで2泊3日する予定の彼女たちには関係ありません。しかし、滞在中ずっと嵐というのはどうでしょうか。

先ほどよりさらに強くなってきた風に、見るからに外の電線が煽られており、チカチカと点滅する室内の照明が、彼女に「停電」という予感をもたらしました。

東京に引っ越してからは大した台風に遭っていませんが、関西に、特に大阪湾近くにいた時は台風といえば停電。そういう印象があったのです。

「かなめ、フロントの人が、オイルランプとろうそくのセットをくれたよ。あと、マッチ。」

チェックインするなりのこの雨で手持ち無沙汰になっていた英人が、ホテルの館内を見てくると出てから、そんなに時間が経っていません。早い彼の戻りと、彼の手の中にあるものたちを見て、かなめはいよいよ”覚悟”を決めました。この旅は、非常事態バカンスとなるのだと。

戻って来た英人の説明によると、このホテルは停電の際も自家発電が稼働する仕組みになっており、クーラーや冷蔵庫、給湯施設などのライフインフラがどうにかなることはないように配慮されているということでした。しかし、そちらに貴重な自家発電分を回すため、娯楽施設や室内の照明などは停電となるというのです。だから、ランプとろうそくらしいよ、と英人は呑気に笑っています。

「なんか、これはこれで、非日常で楽しいな。」と言ってくれる彼に救われた気持ちになりながら、かなめも気を取り直して室内にセットされていた「館内ガイドブック」を手に取りました。

さすが、台風の通り道にあるホテルです。こうしてバカンス中の台風は「基本仕様」なのでしょう。停電になった時の楽しみ方や、備えておくことなどが、まるでこの敷地内の”世界のルール”のように気の利いた文章で書かれていました。

そこに、ふと気になる記載があり、彼女は英人を呼び寄せて、そのガイドブックを見せました。

「ね、この”昼と夜の二交代制美術館”って何かな。」

そこには、このような記載がありました。

当館には、約200点の絵画を飾らせていただいています。
どれも、陽の光の元で見る表情と、夜にランプの明かりで見る表情が大きく異なる作品を厳選しております。台風の夜だけお配りする「ランプ」をお受取りになられたお客様には、特別に”夜の美術館”もお楽しみいただけます。皆様、停電の際はどうぞ、ランプを持ち館内散策をお楽しみください。
まずは皆様のお部屋から。

「なんだろう。すごいね。さすが台風常連の宿。」

それ、常連の宿の使い方間違えてるよ、と笑っていると、ゴォっと強い風が窓ガラスに当たった音に続き、ふっと室内の電気が消えました。

言っていたそばから、停電です。

慌てて、先ほど英人が持ってきたマッチを擦ってランプに火を灯します。まだ夕暮れの、薄明るい時間で良かった。と話しながら、生の火が揺れて陰影の揺らめきがお互いの顔を照らす中で、二人はふっと息を飲む様に見つめ合いました。

吊り橋効果か、焚火効果か、こういうシチュエーションで男女の仲が深まるというのは、若い頃に読んだ本に書かれていた様な気がします。その時は「半分くらい迷信」と思っていたかなめですが、胸が高鳴り自然とキスを待つ様な雰囲気を出している自分の様子に気づくと、これは何か、人類の本能的なものに訴えかける効果なのかもしれないと考えを改めました。

英人の方も同じらしく、温かく大きな手が、かなめの頬を包み込みます。


最低限周囲が見えるほどの明かりが、ゆらゆらと見せる部分と隠す部分をランダムに決める室内は、外の雨風の音と窓の軋みすら効果音に変えてしまう美しさがありました。

二人は、すっかり陽が落ちて外が暗くなった頃、ようやく二人の世界から戻って来たかの様に起き上がり、食事をとるために館内のレストランへ行く準備に取り掛かります。

簡単に身支度をして、忘れ物はないかと部屋をランプでぐるりと照らした時、部屋の壁にかけられていた一枚の絵画に目が止まりました。

昼前に部屋に入った時は、「海に沈みかけている夕陽」の絵だと思っていたのですが、今、ランプの揺らめきに照らされて見るそれは、夕陽ではなく、「水に沈みそうになっても消えずに燃え盛る炎」もしくは「水に浮くろうそくの明かり」の様です。

前者の感想はかなめの感想、後者の感想は英人の感想でした。

いずれにしても、夕陽が炎に見える不思議を感じ、二人はようやく先ほどの”昼と夜の二交代制美術館”の意味を理解しました。

こういう絵が、200点あるとガイドブックには書いてありました。各部屋に1点ずつあるとしても、100点以上が共有スペースにあるはずです。そういえばここまでくる廊下にも、絵画がたくさん飾られているホテルでした。

「今夜だけでは、見切れないね。」

と、絵画が好きなかなめの気持ちを見透かす様な英人のコメントに、かなめはコクリとうなづきました。

明日の夜も停電でもいいかなって、思った。


着想:Jason Anderson
https://jasonandersonartist.com/pages/landscapes

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