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6月20日のお話

これは私たちが暮らす世界とは少し違う世界のお話です。風景や生き物、人間と呼ばれる種族がいることなど、その世界は私たちの世界ととてもよく似ていますが、彼らは何度かの突然変異と文明の入れ替えを経た長い歴史を持っています。

今は一部の人が魔法を使い、多くの人が科学技術を使う時代。人間の居住区にだけ都会の街並みと自然が共存し、その他の大地は荒れ果てている。そんな世界のお話です。

4202年6月20日

太陽が昇らなかった日から、二週間という時が流れました。警戒態勢と不安とデマとが行き交う中で、明日以降、太陽が昇らないとしたら今日やることはなんだろうと考えるようになりました。太陽が昇らなかったら、すぐに世界が滅びるわけではないけれど、ゆるやかに、確実に人間や植物などの命は終わりに向かっていくことでしょう。その「ゆるやかに」という時間に備えて何をすべきか、そういう視点で人々はこれまでと異なる行動を行っていた時期でした。

緩やかな終わりに向けての日々をどう過ごしたいか、どう助かりたいか…

生命工学の専門家たちは、かつて専門を志した学問に従事したというだけのひとも巻き込んで、光のない世界での食糧確保を考え、科学者たちは人口太陽の開発を急ぎ、化学者はそれを動かすためのエネルギー源をあらゆる方面に求めました。

そういう特技の思いつかない一般人も、それぞれに、仕事を休み家族と過ごすことに専念したり、このタイミングで結婚を決めたり、また逆に別の価値観の元別れを選んだり。今ある食料や生活品を買い貯めようとした人々のトラブルも少なくありませんでした。

明日以降、太陽が昇らないとしたら…

政治家や貴族、富裕層の「御用聞き」サービスを生業にするカリノは、顧客としている権力者たちがこの問いにどう行動しているかを興味深く観察していました。いち早く公のために行動した人と、くだらない本性が露呈した人、顧客リストにABCと書き込みをしながら、これから先の営業優先度を考え直し、提供サービスのラインナップも揃えなおすなど、慌ただしい日々を送っていました。そんな様子でしたので、顧客との会話の中でそう問われても、カリノは何の偽りも強がりもなく、自分は代わらず仕事をすると答えるのです。「明日以降、太陽が昇らないとしても、昇らなかったときの仕事を考えるだけだわ。」と少し冷めた気持ちで過ごしていました。

しかしそんな彼女も、仕事の依頼先で仕立て屋ヒイズと話したことをきっかけにそれが「自分の」本心ではないことに気が付くのです。

自分のためにすべきことと考えたら、カリノは本当に同じことを言えるの?

ヒイズがカリノにかけた言葉はその一言でした。

カリノは優秀なコンシェルジュでコーディネーターだ。でもカリノが自身のことを語る時、その言葉にはいつも閉じられた扉みたいなものを感じるんだ。

カリノは一瞬何を言われたのか分かりませんでした。仕事の最中の会話でもありましたので、それ以上深く考えることもなく、言葉に詰まったままでその日は過ぎ去ったのです。

翌朝。太陽は人々の心配をよそに、何事もなく昇り、世界中の人々が良かったと思う反面、来るべき最悪の時がまだ来ない肩透かし感をどことなく感じる繰り返しの新しい一日がはじまりました。今日は休日だというのに、カリノはヒイズの言葉が心に突き刺さったまま抜けずに憂鬱な朝を迎えます。

カリノとヒイズは、一年ほど前に仕事のパートナーとしてかかわりをはじめた程度の付き合いですが、カリノはそれだけではない特別な感情を抱いていました。ヒイズがコトダマ派の魔法も使える能力を持っているからかもしれませんが、仕事の度に重ねる会話の中で、彼はカリノの心の大切な部分を捉えては凝りや澱みを除くように温かい気持ちにしてくれるのです。そんなヒイズに、特別な感情を抱かないでいる方が無理というものです。最初は魔法にうまくかけられて悔しいと思ったこともありましたが、きっかけは魔法だったかもしれないけれど…。と、自分が彼を好いている現実を受け入れてからは、その気持ちを生活の一つの原動力としてうまく使うようになっていました。

仕事の関係上、それ以上を望みもしないカリノでしたが、そういう相手なのでヒイズに言われたことは一つ一つが彼女には重くのしかかります。天気は良いのに、ベッドから起き上がる気分にもなれず、仕事以外で自分が何をしたいと望むのかを考えていました。

太陽の昇らない世界がやってきて、暗闇の中、人々が太陽のない生活と闘う日々を想像し、次に、それにより失われるものたちに思いをはせました。

人口太陽が出来たとしても、その光のもとではぐくまれる生命は、今のそれらとは何かが違うかもしれない。その光を持つことが、何よりもの権力となればそれに服従する人生が待っているかもしれず、そこには今のように光だけは、地上の誰にでも平等に与えられているという自由さえもなくなるかもしれないのです。

そこまで考えた時に、カリノは自分の中で、久しぶりに自分のための欲求が湧き上がってくる感覚を覚えました。

そうなる前に「今の太陽の元であるもの」を、「今までの生活で普通に感じていた感情」と共に記憶しておきたい。私が太陽の下で何を思い、何に憧れ、何に感謝して何を幸せと思っていたかということも含めて。

太陽がなくなった時に、世界の変化の中で自分を失わないために。

そのために、どうしたらよいのでしょうか。カリノは自分の表現と記録という点で思いをめぐらし、その果てについにたどり着きました。

歌をつくりたい

太古から歌は、人の感情を含めた情報の伝達と記憶、コミュニケーションのために発生したのだといわれています。歌をつくり、いつでもくちずさめるようにしていたら、いつか世界が変わっても今の感情を思い出すことが出来るような気がしたのです。そして、その歌を誰かに伝えることが出来れば、多くの人に伝えることが出来ればそれは、伝わった人達の中で記憶され、次の世代に伝達される可能性もあります。祈りの歌や禁忌を語り継ぐ歌、英雄たちの物語が歌になり今も伝わっているように。

学生時代まで、好きで習っていた楽器を取り出してきて、調弦をして弾いてみます。仕事という生きがいを見つける前、自由に表現を楽しんでいた頃にやっていた方法にこそ、自分が残っているような気がしたのです。

10年以上のブランクがあり、もちろんうまくは弾けません。素人の自分に、万人受けするような歌をつくることなんてもちろんできません。

しかしカリノはそれでも声を音にのせました。出来る限り自分の中から湧き上がる言葉で、今の世界がどう見えているかを、メロディに変えて。心がけていたのは空気に溶けるような歌になること。

太陽の昇らない世界が来たとしても、暗闇の中を空気に溶けて人々の心にしみわたることが出来るように。

この日から、カリノの日課に「作曲」という時間が加わりました。ただし、誰にもこのことは秘密です。誰かに見せようとしたら、その誰かに対する仕事の自分が出てきてしまうような気がしたから。でもうまくいきそうだったら、ただ一人には報告しようと決めています。この日課に導いてくれた、コトダマ派の魔法使いヒイズには。

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