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7月18日のお話

これは私たちが暮らす世界とは少し違う世界のお話です。風景や生き物、人間と呼ばれる種族がいることなど、その世界は私たちの世界ととてもよく似ていますが、彼らは何度かの突然変異と文明の入れ替えを経た長い歴史を持っています。

今は一部の人が魔法を使い、多くの人が科学技術を使う時代。人間の居住区にだけ都会の街並みと自然が共存し、その他の大地は荒れ果てている。そんな世界のお話です。

4203年7月18日

「ねえ、ヒイズ。聞いてもいい?」

クライアント先に向かう車中で、カリノは運転席にいるヒイズに話しかけました。今日の行き先は新都心から車で3時間ほど先にある高原の街、かつて、ワインの産地として盛り上がった歴史を持つ街には、今でもワイナリーやワインを出す店が軒を連ねています。ヒイズが運転をしているのは、行き先がお酒の産地だからです。普段は公共交通機関か、カリノが車を出すこともありますが、今日はカリノの「帰りにワイナリーに寄りたい」という希望で、ヒイズの車で向かうことが自然と決まったのでした。

ヒイズはアルコール類は飲みません。「何が良いのかわからない」というスタンスでした。一方、カリノはアルコール類が大好物です。常々、旅の醍醐味は行き先の美味しいものと美味しいお酒。と豪語しているほどで、今のビジネスをやっているのも「地方の富豪と懇意になれば、その土地の美味しいものにありつきやすい」という理由からでした。「都市部の富豪は都市部の富豪で、だいたいお気に入りの産地や美味しいものを持っているのよ。」といってのけるほど、目的は全て美味しいものに出会うためという明確さがありました。

そういうわけで、今回はカリノが飲酒運転にならないために、そして、ワイナリーに自由に向かえるように、運転席にはヒイズが座ることになったのです。行きだけでも運転しようか?とカリノは確認しましたが、その言葉に気持ちがこもっていないことをヒイズは察知したのでしょう、その確認は彼によって黙殺されました。

行き先においしいものがある時は、カリノの雰囲気にも少し観光気分が漂います。今回の道中も、仕事の打ち合わせは早々に切り上げ、世間話やよもやま話という類の会話が始まっていた中での、カリノの質問です。

2年前、私に本当の私の姿を見せてくれたでしょう。鏡で。」

カリノが話すのは、彼女とヒイズが仕事でタッグを組むと決めた時のことです。それまで「自分自身」というものに向き合うことを避けていたカリノに対して、ヒイズが仕事を組むことと交換条件に要求したのが、カリノ自身に「今の」自分を認識させることでした。それを、彼の能力であるコトダマ派の魔法で導き出したのがちょうど一年前のことでした。

ヒイズは当時、カリノの生き方や発言に独特の魅力を感じ、パートナーとして惹かれながらも、一抹の危うさを感じていました。それはヒイズが多くの人と接する中で身につけた直感力の囁きともいえるものです。優秀な人でもそうでない人でも起こりうることですが、人は時として自分の姿を見誤ります。それは大抵、長く同じ仕事に向き合い続けている時に生じやすく、周囲から指導や指摘を受けなくなった人が陥りやすいもので、多くは社会人10年目前後以降に起きるのです。

当時のカリノにも、そういうきらいがありました。

「あの時は、今思い返しても、すごい半年だったわ。ほんと、真摯に付き合ってくれてありがとう。」

ヒイズに出会ったばかりの頃のカリノは、自分の仕事に対する信念が強すぎる類の人物でした。これをしなければならない、このクオリティを出さなければならない、そういうことばかり考えている様子で、そのためには自分を殺して相手に合わせることも厭わない、といった感じです。言い換えると、カリノの仕事にはそんな意志の強さが見られました。

しかしそういう時はヒイズから見ると「危険」です。自分を殺して色々を頑張っていたとしても、人はそう簡単には死にません。殺し損ねた自分がいつの間にか心の中に澱のように残るのです。多くの場合、殺し損ねていることに気が付きませんので、そこで、自分を殺して振る舞ったはずの態度が、実は他者から見ると自我の主張が見え隠れする偽りの振る舞いに映ってしまうのです。

そういう人は、まず理解しなければいけません。自分を殺している「つもり」でも、「実際は自分を殺すのはとても難しいのだ」という現実と、殺せなかった場合、殺そうとした自分を含めたから(殺したい自分の存在を受容した)自分の様子を正確に把握することが大切です。

特に、ヒイズのようにコトダマ派の魔法使いなどを召喚する際は、事前捌きをする役割のカリノが失敗してしまうと、人命や人の人生を危険に晒してしまうこともあるのです。

だからヒイズはここにこだわってゆずりませんでした。カリノが自分自身のことを正確に把握できるように、導く魔法をかけていたのです。

「それで、教えて欲しいことなんだけど。」

ヒイズの魔法にかかったカリノは、魔法道具である「今の本当の姿」を映すという鏡に映った自分の姿を見ることになりました。

「その、鏡には、私が複数映っていたの。まっすぐ前を睨むように顔を上げている私と、不安そうに周囲の表情を窺っている私、他にも、私が好きじゃない自分が何人も映っていたの。」

彼女がいうように、そこにはカリノが自分自身で認めたくない自分が残さず映し出されてました。その時彼女は、一瞬そんな鏡から目を逸らしたくなりました。そういうものが映り込まない、完璧な人物になりたいと思っていたからです。しかしそれではいけないと思い直し、映った結果を真摯に受け止めました。自分自身に、どういう「都合の悪い自分」がいるのかをしっかりと目に焼き付けようとしたのです。

「それで、そこで見えたものは、2年経った今ではどうなっているのかしら。」

カリノはヒイズにそう質問しました。あの時に目にした「不都合な自分」は今どうなっているのか。また今年も実施するにはどうしたら良いかと。

ヒイズはハンドルを握りながら、ちらりと助手席に座るカリノに視線を送ると、「変わっていることもあるし、変わっていないこともあるかな。」と答えました。「これは、答えにはなってないだろうけど。」と付け加えながら。

「それは、また確かめられるの?」

また、あの魔法の一連をやってもらうことは可能なのかという意図で、カリノはヒイズに問いました。最近課題に思い始めた、未病の施策についても考えを巡らす中で、一度治療された自分のその後の変化自体が事例として参考になるかもしれないと考えていたのです。

その質問に、ヒイズは即答せずに、しばらくハイウエイを無言で運転をしていました。こういう、問いに対して返答まで時間がかかることは、ヒイズとの会話の際にしばしば起こることです。カリノはそういう時、ふっと視線を外し、彼が喋ってくれるまで待つことを心得ています。タイヤがハイウエイのアスファルトに吸い付くような音が、沈黙の中で妙に大きく感じます。ヒイズが少し、スピードを上げているのかもしれません。

いくつかのトンネルを抜けて、視界が開けるような山間が見えてきた頃、ヒイズはようやく口を開き、こう言いました。

「できないことは無いよ。でも。」

カリノは2年前のその鏡を見た後、ゆっくりとですが、その発言や仕事の仕方が変わりました。大きかったのは、カリノが自分の「不都合な部分」つまり影の部分を意識し始めたところです。そういう影は、自分自身に意識されることによって都合の良い自分の姿に統合されます。そして、自分自身の全体像が出来上がるのです。全体像とは決して完全体ということではありません。

「2年前のあの魔法は、カリノのその時の全体像を映しただけで、全体像というのは、要素を全て揃えた状態のことだと考えて欲しいんだ。」

「要素…。」

そう、と頷くと、ヒイズは教科書を読むように、スラスラとこう付け加えます。

「カリノはこの2年、自分を構成する要素を出し引きしながら、その都度、状況に合わせた形を作り上げていたと思う。それは、自分でも分かってやっていたはずだよね。」

歌を作ったというカリノと、高額商品を売りつけるためにまずボンクラ王子を勇気づけたカリノ、僕のみそぎを美しいというカリノ。そうやってヒイズは思いつくカリノの側面を羅列しました。そして、こう言います。

「それ以上のカリノが、あの鏡の中にいるとは思えないよ。僕は。」


二人の乗る車は、ハイウエイを降り、山間の街にたどり着きました。空がひらけて、緑と青空が柔らかな光で照らされているその風景が、二人の到着を歓迎しているようでした。

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