それは、誰のためのアヤメ

1
島を間違った。
そう思った。

港には楽しげに会話をし、写真を撮る老若男女で溢れている。島民たちと思われる人々は出店の呼び込みをしたり、歓迎を示すホワイトボードを掲げ、商売に忙しい。中には動画投稿者なのだろう、自分でカメラを回して、レポーターのようなことをしている若者もいた。
そして歌。乳幼児向け番組で流れそうな、軽快で妙に韻を踏んだ歌が島のスピーカーから大音量で繰り返し流され、その音楽の切れ目をジュウジュウという燃焼音が繋ぐ。焼き鳥だ。炭火で焼かれる鳥は、周囲の海が放っているであろう潮香さえもかき消し、その存在を主張していた。まるで巨大なスーパーマーケットだ。思いがけず提示される日常に日常生活のアレコレを思い出す。少し頭が痛んだ。

「いらっしゃい!」
呆然と立ち尽くしていた僕は、突然の大声で我に返る。
声の主は女性。50代、いや60代だろうか。強い日差しに当てられ黒く色づいた肌や張りのある声から若々しい活力を感じる。思春期に出会っていたら、視線すら合わせることはなかっただろう。
「あんた、一人で来たんかい?船は疲れるだろ。もう昼は食べたのかい?昼食の予約がまだだったらいい店紹介するよ。」
短い間にいくつもの話題が投げかけられた。そもそも会話が苦手で、カフェでコーヒーを注文するのにも困る僕は、こういう場面が苦手だ。なんと返していいかわからずに、意味のない声で鳴いてしまう。反応できない僕を見ても女性は戸惑うことなく、一方的に喋る。喋る。喋る。これも才能だろう。

「島に到着された皆さん、まずは島民会館へお越しください!」
どうやら、島に到着した僕らは一定のルートに乗せられるらしい。天の助けだ。近代文化が生んだベルトコンベア型の社会に感謝をしてもしきれない。
「あ、えっと、行かないと」バタバタと手を動かし、その反動を使ってなんとか言葉を捻りだす。
「あぁ!楽しんでおいで!」
楽しめるような島なのか。僕の頭をそんな思考が浮かび、そのまま飛び去った。

「おっと、まだ渡してなかったね」女性は持っていた竹籠に手を突っ込む。
「もう20歳は超えとるんだろ?」
意図が見えない質問ではあったが、回答形式が定まっていたおかげで、辛うじて、首を動かし肯定の意思を示すことができた。
それを確認すると、竹籠の中から取り出した小瓶を僕に手渡した。
「島に来たお客さんみんなに渡しとるんだよ。アヤメ酒と言ってな、この島の名産品じゃ」
手のひらに収まるほどのガラスの小瓶には、一枚の花弁と植物の根っこが液体に浸けられていた。
「お土産物としても売っとるから、気に入ったら買って帰ってな」
その笑みはカフェ店員と同じ種類のものだった。苦手なはずだ。人の性格は、ゲームのスキルセットのように生きた人生によって成長が分岐するらしい。
そして、女性は思い出したように続ける。
「ようこそ。日本で唯一クローズドサークルの起きた島、ヒトメ島へ」
一瞬だけ、潮の匂いを感じた。

その島はヒトメ島という。貝楼諸島にある小さな島だ。
島名は、この島にしか咲かないヒトヒラアヤメという植物に由来するそうだ。発見したのは著名な植物学者らしい。ヒトヒラアヤメの根には毒があるが、古来、この花から作られた酒を巫女が飲み、神からのお告げを受けていたらしい。幻覚作用でもあるのだろう。よくある田舎の風俗だ。
僕がそんな目立った特徴がない島に来たのは理由がある。そう、この島で40年前に起きた連続殺人事件に興味があったからだ。2人が殺された殺人事件、それもクローズドサークル。
クローズドサークルとは「何らかの事情で外界との往来が断たれた状況、あるいはそうした状況下で起こる事件」のこととされ、ミステリー小説ではお馴染みの状況設定の1つだ。例えば、吹雪によって救助が来ない山荘。例えば、落石によって道が塞がれたキャンプ場。例えば、街に通じる唯一の橋が落とされた村などなど。本格ミステリー界隈では、一つのジャンルとして確立した作品群でもある。
しかし、現実となれば話は変わる。
そもそも小説や2時間ドラマならいざ知らず、 殺人事件なんて滅多に起きるものではないし、さらに外界との往来が断たれた場所で起こる確率なんて考えることすらも馬鹿馬鹿しい。だが、そんな空想じみた事件がヒトメ島では起こったのだ。
僕はいわゆるミステリオタクで、特に実際にあった事件に目がない。投稿サイトにあった事件ドキュメント系の動画を見て事件を知り、一気にこの島で起きた事件の虜になった。こんな小説みたいな事件が起きた島があるなんて。この目で見たい。この耳で聞きたい。この鼻で嗅ぎたい。この身体全部で。事件の雰囲気を、現実になった虚構を感じたい。高まった興奮は抑えられず、気づいたら僕は船に乗り、島を目指していた。

2
来なければよかった。
そう思った。

島民会館では、動画を見せられた。
案内人を名乗る若い男性は「まずはこの動画をご覧ください!この島で起こった事件がよくわかりますよ。それでは、どうぞ!」と動画を紹介した。そう、僕がこの島を知った投稿サイトで見た動画だ。
アナログ時代だったら「テープが擦り切れるほど」と言うのであろうが、デジタル時代ではなんと表現すると伝わるのだろう。「再生回数の3割は自分だ」とでも言えばいいか。
そもそも、舐め回すように見た動画を、なぜわざわざ現地まで来て大勢の人に鮨詰めにされながら見ないといけないのか。そして、時折上がる「えーこわいー」「うわっ、グロ。マジかよー」と言う声。言葉が否定的なわりに、その表情や口調は軽やかだった。相反する感情が部屋に充満し、酸素と置き換わっていく。酸欠になったのか、頭痛がした。

次に案内されたのは、第一の事件が起きた現場だった。島民会館から少し上に登った丘にその場所はあった。密生する樹々の間をゾロゾロと人が連れ立って歩く光景に、僕は眩暈がした。
最初の事件の被害者は、ヒトヒラアヤメを発見した植物学者の孫。当時40歳。植物学者は発見後、島に生活拠点を移した。
「見てください!ここ!これがご遺体が吊るされた時にできたロープの擦り傷なんですよ」
案内人は、一本の木を指差して大声で説明する。
先ほどの動画にも出てきたからか、人々の食いつきは良い。何枚も写真を撮る人や、カメラを向け実況する人など様々だ。木の横にはまだ新しい石碑があり「一人は大地の神のため」という言葉が刻まれている。40年前の事件では、この文字が和紙に被害者の血で書かれ、死体に杭打たれていたという。
しかし、誰も気づいてない。
冷静に考えて40年前に起きた事件の吊り跡が、いまだに残っているわけがない。
きっと、島の名所にするために、わざとつけたのだろう。そしてこの石碑も。
虚構だ。現実の虚構。なんの意味もない。

「次はこちらです!実際に事件を体験した方からお話を聞きますよ。」
島民会館に連れ戻され、再び鮨詰めになった僕らを待っていたのは70近い男性だった。
「こちらはなんと!事件当時、島の駐在所で勤務されていた元警察官さんです!」
案内人の紹介に、人々がどよめく。
事件に関わった駐在さんから話が聞ける。思ってもみなかった。前のめりになりそうな姿勢を正す。
しかし、その期待は1時間も続かなかった。元警官の話す内容は、動画の焼き直しも良いところだったからだ。確かに、動画にはない情報もあった。しかし、それは全部瑣末なこと。その時の天気がどうとか、島民の不安がどうのとかそのレベルの話だ。
質問コーナーがあったので、手を挙げた。
「遺体の状況についてもっと詳しく教えてください」
「捜査に関係することには守秘義務がありますので」元警察官は冷めた目をしてそう言った。
守秘義務。それなら、なんであんたはそこに立ってるんだ。
人前で質問した緊張からか、頭痛がした。

なんでこんなところにいるのだろう。
土産物屋が併設された休憩所で騒ぐ人々から距離をとり、神社の鳥居を眺めていた。
ヒトメ島では、年に1度この時期に大地と海の神に感謝をする祭事が行われる。
第二の事件はその祭りの最中のことだった。
祭事を取り仕切る神社の巫女が、祭りの最初に神楽を奉納する。太陽が赤く染まってから日没まで、舞い続けるのだ。そして、事件は神楽が終わろうとするに起きた。急に巫女はもがき苦しみ始め、そのまま死に至った。死因はヒトヒラアヤメの毒による中毒死だったと言う。
今夜はその祭りの日。伝統は今も続き、これから、巫女は神楽を舞う。
ようやく。現実の虚構ではない、現実に起きた事件を感じるという目的が果たせる時だ。

「ここにいらっしゃったんですか」案内人の男性が走り寄ってくる。やや息が上がった案内人の男性の口調に、やや非難めいたものを感じるのは気のせいだろうか。ベルトコンベア社会は、ハズレものを許さない。
「探したんですよ。実は本土への船が早まりましたので、これから港へ戻ります」
意味がわからない。
「いや、えっと、でも。あの、僕、今夜の祭りは…」
「それがですね、申し訳ないんですけど、祭りは3日後に延期したんです。ちょっと風が強くて準備が進んでなくて。それに台風が近づいてきてるみたいで。波の影響で、しばらく船が出せなくなる可能性もあるので、皆さんを早めに本土に戻すことにしたんです。せっかくですが、祭りは来年もありますし、また来てもらえれば…」

脳内の温度がスッと冷める。
「困ります。僕はこの祭りを見に来たんです。」
男性は眉を寄せた。
「困りますって言われても…天気の問題ですし…」
「3日後なら問題ありません。この島に残ります」
「いや、残りますって…この島に泊まるところなんて…」
「空き家でも、なんなら野宿でも構いません」
「台風が来るって言ったでしょ!」
「雨風くらいどうにかします。」

「うちに泊まったらいい」
割って入ったのは女性の声だった。港に到着した時に声をかけてきた女性。
「いや、そんなわけには…」
「お願いします」男性の言葉を遮るよう、大きな声を出した。自分にこんな声が出せるとは。
「ちょっと、困りますよ。いくらなんでも…」
「島の住人が良いと言っているんだ、問題はないだろう。食事も寝床もどうにかなる」
そして女性は、あのカフェ店員のような笑顔で言う。生命力に溢れた笑顔。
「それとも、巫女の言葉に逆らうのかい?」
僕は息を飲む。大声を出して血圧が上がったからか、頭痛がした。

3
騒々しい。
そう思った。

強風が窓を叩いている。どうやらこの音に起こされたらしい。昨夜はいつ寝付いたのか、記憶がない。よほど疲れていたのだろう。
結局、島には僕を含めて8人が残ることになった。
動画クリエイターを名乗る若い女性とそのアシスタント。巫女の遠縁だと言う軽薄そうな若い男性とその彼女。本土の不動産会社の社長という年配の男性とその美人秘書。そして案内人の男性。
さすがにここまでの人数が泊まることになると、案内人の男性も帰るわけにはいかないらしい。
その時に知ったが、今では島に住んでいるのは巫女と世話人の女性だけで、それ以外は本土に移り住んでいるという。結局、島民は、島民役を演じる通いの労働者だったと言うわけだ。虚構だ。
この台風のせいで、祭りも祭事を行うのみとし、巫女が一人で執り行うことになったと案内人から聞いた。それについては、願ったり叶ったりだった。ようやく事件を感じられる。

寝巻きとして愛用しているくたびれた半袖Tシャツから伸びる腕に、しっかりと糊が効いたシーツが触れた。自宅よりも3倍は柔らかく清潔なベッドは、普段よりも深い眠りを提供してくれたらしい。
宿泊先として提供してもらった巫女が住む屋敷は予想以上に大きく、島に留まることとなった僕らには個室が当てがわれた。予期しない来客に当てがったにしては、十分すぎるほどに掃除が行き届いている。客室はちょうど8部屋。まるで僕らが宿泊することを予知していたようだった。
それにしても頭が痛い。寝過ぎか。いや、台風が来ているというし、天気痛だろう。気圧の差が生まれるたびに痛む頭にうんざりする。頭なんてなくなれば良いのに。僕は頭痛薬を求めてポシェットを探る。しかし、いくら漁っても持っていたはずの頭痛薬は見つからない。あとで常備薬がないか聞いてみよう。
せめて新鮮な空気を吸おうと、ベットを抜け出し窓に近づく。窓を開けると、海が見えた。そして潮の香り。島内で一番高い場所に建っているこの屋敷は、当然ながら海が見える。今更ながら僕が島にいることを実感させた。
雲に遮られ日が届かない黒い海は、ゴォゴォと吹きつける風によって、白波が立っては消える。そしてまた違う場所に白波が立つ。消える。きっとこれからもっと荒れるのだろう。
スマートフォンで台風情報を見ようとするが、インターネットに繋がらない。端末の右上のアンテナ表示は、周囲に電波がないことを示していた。おかしい。昨日まではアクセスできていたのに。もしかすると、この天気でアンテナが壊れたのかもしれない。屋敷にWi-Fiがあれば接続させてもらおう。この島にそんなものがあれば、だけども。
頭痛でスペックが落ちた脳内のメモ帳に「常備薬がないか確認する」「Wi-Fiに接続」の2つを記入する。覚えていられる自信はない。社会人1年目に「メモを持ち歩け」と言われたのは、こんな時のためだったのだろうか。

朝食は8時に。前日に告げられた時間になったので、食堂に向かう。
何やら騒がしい。食堂に入ると、すでに集まっていた人たちが、一気に視線を向けてきた。
確かに時間ちょうどだが、遅れたわけではないのに。最後の一人ではなかったことがせめてもの救いか。

「これ、君が書いたの?」動画クリエイターの女が声をかけてくる。手にはカメラ。
「はぁ…?」わけがわからない。
「これ、君が書いたの?」同じ言葉。説明を増やす代わりに、女はカメラのレンズを食堂の机に向けた。
レンズの先を目で追うと、机の上には1枚の紙切れが置かれていた。和紙だ。
そして、和紙には目が覚めるようにはっきりとした赤でこう書かれていた。
「一人は大地の神のため」

これは…もしかして…
思考の動きに反して、身体は止まる。
1秒か。10秒か。10分だったかもしれない。
「ねぇ、ちょっと。君、大丈夫?」クリエイターの女が僕の腕に触れる。
腕の感触で、意識が現実を認識した。
間違いない。

僕は食堂を飛び出す。意味がわからないのか、人々の混乱した声が聞こえた。
意味がわからないのは、僕だった。こんなの、明らかじゃないか。

屋敷の外に出ると、猛烈な海風が顔に吹きつけた。濃い潮の匂いにむせかえる。
予想以上の風に身体を持っていかれそうになりながら、それでも僕は走った。
行くべき場所もそこまでの道もわかっていた。

はっ。はっ。はっ。
地を蹴る足が、普段は忘れ去っていた機能を思い出す。
屋敷の前の坂道を一気にくだり、樹々が生い茂る丘に向かう。
昨日、連れてこられただけだったが、動画を何度も見ていたおかげで、場所はおよそ見当がついている。
遠くには石碑が見えた。あと50メートルほどだろうか。
石碑の横の木には、何かが吊り下がって揺れている。強い風に煽られて、右へ。左へ。

木の根元で足を止めた。
吊り下がるものを見上げると、それと視線が合った。軽薄そうだった顔にはその面影がない。
目を合わせることは苦手だったが、もう何も感じなかった。
そして、その顔を、服装の乱れを、首に絡まったロープを、杭が打たれた身体を、ゆっくりと観察する。
表情が変わったのを自覚した。

はぁ。はぁ。はぁ。
自分の肺が酸素を求めて伸縮する。いくら吸っても足りることはなく、身体は酸素の不足を訴える。

しかし、僕の頭痛は消えていた。

(完)

※こちらは「犬と街灯」さんが企画・運営している「島アンソロジー」への参加作品です。

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