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グリーン、パレット、キメラ

 最近の話。

 古くからの友人の結婚式は、市内では珍しいほど周囲に木々が多い式場で行われた。あいにくの雨ではあったが、それを感じさせないほど温かい、笑顔につつまれた式だった。

 ネイビーグリーンのスーツとエメラルドグリーンのドレス。落ち着いた、目に優しい色は確かにまぶしかったが、いつまでも見ていられるものだった。

 家に帰るとがらんとした部屋が待ち受けていた。

 寂しさを感じたのは友人たちと先ほどまでくだらない話をして盛り上がっていたからで、孤独だったからではない。

 すぐに着替えて風呂に入り、ベッドに横たわった。

 掛け布団で頭を覆い、真っ暗な部屋の微かな光も入らないようにもぐりこんだ。温かい雨が全身を柔らかく打つのに任せていると、すぐに眠ってしまった。

 夢ではなく、過去の記憶を見た。

 小学校低学年、図工の時間に絵を描いていた。好きな絵を描いていいといわれたので、確か家族と公園に行ったときの思い出を絵にしたと思う。

 私の絵はあまりにも下手で、人間の顔かたち、木々や家などの建物、すべて脳内でこしらえた記号を紙に移した拙いものだった。私は下絵の時点で不満だったので、絵の続きを描くことよりも、色を混ぜ合わせることに夢中になっていた。

 パレットの上にすべての種類の色を混ぜあわせたらどんな色になるのだろうと目を輝かせていたが、出来上がったのは当然醜く濃いだけの黒だった。

 ろくに水を足さずにパレットの上で練り上げた絵の具は固い気泡を無数に作り出していた。私はそれでも何とかなるのではないかと、パレット上で筆を動かしていた。水分が徐々に失われ、更に固くなっていく絵の具。私の筆もそれに合わせて重くなっていった。

 やがて、色を練ることにも飽きた。筆を洗うためのバケツの水に筆をいれると、ごく薄い醜い色が水とは交わることなく浮いていた。

 目を覚ますともう夕方だった。

 天井を見上げると、今はいない家族たちの姿が平面に薄く伸びていった。

 祖母と母と父と兄。彼らが決して交わることなく自由に天井をうごめきながら私を見つめている。手足の形も判然としないのだが、こちらを凝視しているのはわかる。

 ――次の休みは動物園にいくか

 初デートは動物園だったと友人は言っていた。私はまた瞼を閉じた。

 次の休日、良く晴れた日だったが、結局面倒になって部屋でパソコンを弄っていた。別に動画で動物を見てもいいだろう。

 思いつくままに世界中の動物の動画を眺めていた。

 

 動物の動画を見るのにも飽きた。目頭の部分を揉んでいると、また天井に家族が見えた。

 ここ数年で、家族という存在はここにあって当然のもの、既にある変わらないものから、だんだんと減っていくものになった。

 私はちゃんと家族を見ていただろうか。あの頃の下手な絵のように、記号や概念としてしか見ていなかったのではないか。多分そうだ。

 向き合うことは面倒で、どうしても煩わしい。夢や幻で現れる彼らの方が、私にとって現実に近いのではないか。

 家族との思い出や記憶は何の脈絡も、正確な筋道もなく混ざり合い、鈍く濃い、ただただ重いものを心臓に残している。

 ふと机の上を見ると、小さい動物が座っていた。

 恐らく四足歩行であろう。馬のような細い足を器用に折りたたんで、微動だにしていない。顔は猫のように幼いが、ライオンのように短いたてがみも申し訳程度についていた。鼻の先には小さい角が付いているが、とても攻撃に使えるような代物ではない。

 その生き物はあくびをして、鋭い牙を見せた。鱗のついたしっぽは机に落ちて乾いた音を立てたかとおもうと、すぐに左右に動いて私を幻惑した。

 カラスの黒い羽根が生えているのだが、体の大きさには不釣り合いに小さく、左右で羽の幅が違っている。お世辞にも美しいとは言えない姿だった。

 キメラは私の事など気にせず、机の上でくつろいでいる。

 一時間もすると私も慣れて、あまり気にしなくなった。

 ホットミルクが僅かに机にこぼれた。キメラはミルクをなめていた。

 私がベッドに行くと、キメラもついて来た。ヨタヨタと頼りない足取りで、今にも転びそうである。

 枕元に座ったキメラを見つめていると、先ほど生じた醜いという感情も消えて、このへんてこな生き物に愛情が湧いていることに気が付いた。

 「このキメラも、あの濃い色も、もちろん家族も、本気で嫌だったり、煩わしかったわけじゃない。そうじゃないはずだ。記憶も形も思い出も色も言葉も匂いも、その他諸々が不規則に、不条理に、不合理に混ざったからと言って何か問題があるわけじゃない。要は慣れなのだ。慣れれば、見られないほど醜いわけじゃないんだ‥‥‥」

 多分もう私は眠っていて、夢の中にいて、森の中でキメラを撫でて絵筆を走らせ家族に向けて謝った。

 キメラは何とも間抜けな声で、私の心臓の上で鳴いた。

 

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