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(マ)すべからく

この背中の痛みはどうやったら消えるのだろうか。

それを考え続けて1時間は経っている。
でも、どうでもいいことなのかもしれない。どうせ、人間は死ぬんだから。

と、次の瞬間にはやはりこの不快感を今すぐにでも取り去りたいと思っている自分がいる。

数年前まではあの硬い床に座っていても平気だったのに。

あ、この曲は学生時代に流行った曲だ。
あの頃は夜中までくだらないことで騒いで、思い返せばとてもキラキラしていた。
当時はキラキラしているなんて思っていなかったが。

歳をとったんだなと思う。
歳をとると昔の思い出が何割増しにもなるそうだ。ラジオで言っていた。

最近の若者は希死念慮というものが強いそうだ。
私は若者ではないが、理解できる。
特に未来に希望が持てないのだろう。希望というと大袈裟だが期待していないというのが近いだろうか。
死にたいとイコールではない。生きていたくない。しかしそれは決して人生を悲観するほど深いものでもなく、ただただ漠然としたものなのだ。

だから、背中が痛くても、どうせ人間は死ぬんだしどうでもいいではないかと頭では考えたりする。
しかし、一方で強烈にこの不快感をどうにかしたいと思うのは、やはり私は生きたいのだ。

だから明日もお灸もするしストレッチもする。

そして夜にはどうせ人間は死ぬのだからと
考えながら、生を感じるのであろう。

文章の練習をしてみようと思って書いたものです。時々そんなものを織り交ぜて書いてみます。
マガジンにまとめてみます。
そういったものには先頭に(マ)と付けていきます。
お茶とは少しズレますが…

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