お前たち、どこから来たの?

(2005/05/07記)

 今日こそ本を整理しよう。不要不急の本をまとめて古本屋に持っていこう。そう心に決めて書斎に入りながら何度、敗北を重ねてきたことだろう。

 本どもはこちらの意図などお見通しで、私が硬い表情を向けるといかにも懐かしそうに「よっ久しぶり!」などと声をかけてくる。うっかり返事をしようものなら、そのまま数時間はそいつらと語らうことになり、我に返ると日が暮れていたりする。

 ある日、いつにも増して固い決意で書斎の整理に取りかかった私は、珍しく本の誘惑に抗うことに成功し、着々と片づけを進めていた。

 しかし意外なところに伏兵は潜んでいた。普段まったく手をつけることのない本棚の一番下、その奥に手を伸ばしたときのこと、妙なものが出てきたのである。

 鈴木栄次郎著『大和スイカ全編』(富民協会)。なんじゃこれ? A5判箱入り四七〇ページの堂々たる「スイカの歴史&栽培法」である。ところが私には本書を買った覚えが、まったくないのである。

 まさかスイカ畑のうねの盛り上げかた、わらの敷きかた、セリの時の合図の出しかた、スイカ音頭の歌詞が知りたかったわけではあるまい。巻末にはスイカの歴史を振り返る年表と用語索引まで付いて、熟読すればいっぱしのスイカ博士になれそうだ。

 でも「黄金」と「甘露」の掛け合わせから五代目に「大和クリーム」種が生まれたことや、天敵ウリハムシの駆除法を知ってどうしようというのだ、俺。

 この本、自分で買ったのか? いつ、どこで、何のために??? 急に不安に駆られた。まさか、こんな妙な本が他にもあるのではないか……。もしや私が買った大事な本たちが、いつの間にか、そいつらに取って代わられていたりしないだろうか……。

 片づけを放りだした私は日頃、目の届きにくい本棚の端々を探りだした。すると、あるわあるわ、身に覚えのない本のオンパレードである。

 スイカに続いて発見された西野雄治著『次の極東戦争』(朝風社)は、赤と黒の二色で日本の版図(千島、南樺太、朝鮮半島、台湾、よく見ると遼東半島も)を示した地図がデザインされた特徴的なカバーにもかかわらず見たことがない。いつから書斎にあるのか見当もつかない。

 もうひとつ気になったのは本書に貼ってあった古書店の商標だ。そこには、学生時代に無礼きわまりない主人と大喧嘩して以来、十数年敷居をまたいだことがない某書店の名が記されていた。私がその店で買い物をするなどということは考えられない。お前、どうやってウチへ来たんだ……。

「帝國陸軍は何處へ行く」という剣呑なサブタイトルが付いているが、めちゃめちゃフランクな対話形式で陸軍の実体を解説しようという趣向である。軍縮を求める世論に対して「実際には満蒙にも太平洋にもこれだけの脅威があって、そのためにはこれだけの軍備がいるのです」と陸軍の言い分を述べたプロパガンダ。

 当時の日本の状況と国際環境に焦点を絞り、陸軍の軍事費増強というバイアスをかけた『経済ってそういうものだったのか会議』(日経ビジネス人文庫)を想像してもらえば間違いないが、私の読書のストライクゾーンからはほど遠い。

 雑誌「婦人倶楽部」昭和七年八月号の付録『婦人の言葉づかひ模範集』(講談社)も、なぜ書棚に入っているのかわからない。おそらく近代日本を描いた小説を読んでいて、作法に関して違和感を覚える記述を見つけ、それを検証するために買ったのではないか。

 巻頭八ページのカラーグラビアは本居貴美子さんが幼なじみの尾上菊枝さんを訪問するというケース・スタディになっていて、良家の子女が取り交わす挨拶礼式の一通りがわかる。かるた会にて、とか、遊山に誘う場合、などという会話の設定には、樋口一葉の『通俗書簡文』(筑摩版全集四巻の下に所収)とも通じる良き時代の匂いを感じずにいられない。

 その一方、二〇〇ページ強の冊子のうち、後半五〇ページ近くを占める企画、新語流行語辞典は良家の子女に読ませていいのか首をかしげたくなるハードな内容。

 アメリカニズムが「金力第一主義。派手な享楽主義」となっているのはご愛敬だが、インフレーションやキャピタルといった経済用語から、アジる、左傾、ブラックリストなどの語まで解説されている。でも金輪際、この辞典で言葉を調べることはないだろうなぁ。

 アンドレ・マルション著『蚤の浮かれ噺』(東京書院)にも力が抜けた。『O嬢の物語』(日本出版社)どころではない、艶本の世界では古典中の古典である。澁澤龍彦のエセーに登場するから書名は知っていたが、まさか自分が持っているなんて思いもしなかった。

 もしかしたら澁澤濫読時代にまとめ買いした関連書籍のなかに紛れていたのかも知れないが詳細は不明。ふたりの美少女が、聖職者たちの「獣慾」の犠牲になる様子(途中から楽しげに受け入れてしまうのだが)を一匹の蚤が観察、著述した体裁で、十八世紀フランスの世相と僧院の退廃が背景となっている。

 原書の初出は一八九〇年以前というが「ソドムの門」をくぐったり、女一対男三、女二対男一などというシチュエーションもあって、洋の東西を問わない色事の普遍を感じさせる。

 お断りしておくが、ヘアヌード写真集さえ飽きられてしまう当世の艶本事情から考えると、本書の内容は多少猥雑の気配はあるものの、よほど想像力豊かな仁でなければ到底、実用に供せられるような代物ではない。あらぬ期待に駆られないようお願いする。

 自分の読書傾向を顧みるに、鉄道にも自然災害の記録にも関心がないとは言わない。しかし一万円もする九州鐵道管理局編『大正三年櫻島噴火記事』(西村書店)を買うほど好きかと聞かれれば、答えはNOである。

 前述した『次の極東戦争』の近所から発掘された本書は、大正三年に刊行された原書を昭和五十五年に復刊したものらしい。でも今回初めて見た(気がする)。

 大正三年一月十二日午前十時五分に発生した桜島大噴火の様子が克明に記されていて、もし私が郷土史家なら重宝しただろうに残念なことだ。鉄道を中心に、郵便、送電、給水などのインフラにどれほどの被害が生じ、どのような危機管理体制が取られたかを当事者たちの報告書をベースにまとめており、「怪雲一たび櫻島の山嶺を覆ふや鹿児島市は動揺せり」とか「乳児を擁する婦人に対しては哺乳の機能を害せざらん為味噌汁を与へたり」といった美文、美談のオンパレード。そこそこ読み応えはあるが、だからといって再読三読するほどのものでもない。

 いずれも古本屋に引き取ってもらうには無理のある逸品ばかりだった。自分の本棚に収まっているのに初めて見る本という、予想外の発見に呆然とするうち、気づくと日が暮れていた。こうして私は、またも本の整理に失敗したのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?