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ホモ・サピエンス・プリントス

(2020/10/17記)

 東京都文京区に、ちょっとユニークな博物館がオープンしたのは二〇〇〇年一〇月のことでした。

 その名は印刷博物館。日本を代表する大手印刷会社のひとつ、凸版印刷が創業一〇〇周年を記念して設立した、いわゆる企業ミュージアムですが、文化財レベルの収蔵品と斬新な切り口による企画展で、たちまち世の注目を集めるに至ります。

 立ち上げ準備から同館に携わり、二〇〇五年から第二代館長を務めたのが西洋史家で東京大学名誉教授の樺山紘一さんです。

 大学では長らく西洋史を講じ、その後も国立西洋美術館の館長を歴任するなど幅広く活躍する姿を見てきたせいか、最初に樺山さんが印刷博物館に転じると聞いたときには、「印刷」という一見あまりにも専門性の高い、やや意地悪く言えば「狭い」学問分野を取り扱う博物館に移ることを、ちょっと意外に思ったものでした。

 しかし、ルネサンス期を中心とする中世西洋社会・美術史の専門家である樺山さんは、羅針盤、火薬と並ぶ「ルネサンスの三大発明」とも呼ばれ、人類の英知の保存と伝達に重大かつ決定的な役割を果たした(活版)印刷という技術の持つ広範な意義を熟知しており、じつは印刷博物館の設立のみならず、その後の運営にも一貫して積極的だったのです。

 今年設立二〇周年を迎えた同館は、大規模な展示のリニューアルを終え、この一〇月に再オープンしました。それにあわせて刊行されたのが印刷博物館編『日本印刷文化史』(講談社:二〇〇〇円)です。

 印刷文化学という新しい学問分野の確立を目指してきた同館の学芸員たちの手になる各章は、奈良時代の仏典の来歴に始まり、武家による印刷合戦、戦時における印刷の功罪などを経て、大量消費社会における印刷へとおよび、世界史上の印刷の意義に注目してきたこれまでの展示から、日本における印刷文化の歴史的筋道を展望しようとする今回のリニューアルのコンセプトに沿った内容となっています。

 一方、そんな博物館の歩みの舞台裏を描くのが樺山紘一館長のエッセイ『印刷博物館とわたし』(千倉書房:二八〇〇円)です。

 本書は、自身と博物館のかかわりを振り返りつつ、この二〇年の間に起こったミュージアムを取り巻く環境や展示戦略の変化を語る第一部と、これまで好評を博してきた様々な企画展の図録に寄せた論稿を集成した第二部からなり、人類が世界認識を拡張させてきた壮大な旅路をたどる妙味があります。

 印刷術は、読む(追体験する)ことによって他者の記憶を個人の寿命を超えて世に残し、空間的距離さえ消失させました。印刷なくして人類の今日はないと言って過言ではありません。

 その流れを最も簡潔にまとめたのが樺山さん編の『図説 本の歴史』(河出書房新社:一八〇〇円)です。

 おおよそ印刷にまつわる歴史、技術や素材、そしてトピックで、本書が取り上げていないものはありません。しかもカラー写真満載で、さらに深く人類と印刷文化の関係を知りたくなること請け合いです。

 意外と子どもは、こういう本が好きですから、もしお子さんが関心を示したら岩波書店編集部編『カラー版 本ができるまで』(岩波ジュニア新書:一〇八〇円)を読ませてあげてください。

 ぐっと歯ごたえのある読み物としては、ペティグリーの『印刷という革命(新装版)』(白水社:四八〇〇円)があります。

 ルネサンス期を舞台に、印刷物(書物)が西洋世界の日常をどのように変革したのかを、出版市場の形成や、地図と探検の関係、教科書やニュース速報の誕生といった様々なエピソードとともに描き出します。

 印刷の歴史を調べていると、たびたび登場するのがヨハネス・グーテンベルクという名前です。一三世紀に活躍したドイツの金細工師で、初めて金属活字を製作し聖書を印刷した人物として歴史に名を残しました。

 この「活版印刷の祖」たる人の事績と評価については、メディア研究の先駆者マーシャル・マクルーハンが一九六二年に発表した『グーテンベルクの銀河系』(みすず書房:七五〇〇円)が有名ですが、読んでいる方も多そうなので高宮利行さんの『グーテンベルクの謎』(岩波書店:二一〇〇円)をお勧めしておきます。

 誰もが知っている訳ではないこの人物について、なぜか子ども向けの評伝が出ています。ランフォードの『グーテンベルクのふしぎな機械』(あすなろ書房:一五〇〇円)は中世ヨーロッパの人々の暮らしぶりまで見えてくる絵本で、評伝の名手ポラードによる『グーテンベルク』(偕成社文庫:一六〇〇円)とともに、小学生から手に取れる読み物となっています。

 金属活字は瞬くまにヨーロッパ世界に広がりました。グーテンベルクの発明から五〇年もすると、宗教改革をはじめ様々な要素が絡み合い各地に印刷都市とでも呼ぶべき街が生まれます。代表的な存在がヴェネツィアでした。

 マルツォ・マーニョの『そのとき、本が生まれた』(柏書房:二一〇〇円)は、思想的自由や人々の行き交う交易の中心地としての繁栄を背景にヴェネツィアが生み出した、経典、医学書、楽譜、多言語翻訳など、豊かな印刷文化の時代を描き出したノンフィクションです。

 同じルネサンスを生きた「商業印刷の父」アルド・マヌツィオの生涯を小説に仕立てたアスペイティアの『ヴェネツィアの出版人』(作品社:二八〇〇円)も読み応えがあります。

 それまで鎖につながれて図書館や教会などに閉じ込められていた大型本を誰もが携行できる小型サイズにしたり、ノンブル(ページ番号)を振ることを考案したり、自らギリシャの古典を刊行するなどした印刷文化人の挑戦に、編集者ならずとも静かな高ぶりを覚えることでしょう。

 印刷から書物への発展過程も興味深いものですが、そのとき鍵となるのが写本の存在です。印刷の誕生以前、人々はひたすら文字を書き写し、後世に残そうとしました。

 ハイデの『写本の文化誌』(白水社:三三〇〇円)は、まだ書物がすべて手書きの一点物だった時代の、本と社会の関係を活写します。

 写本を発注するのは誰か、それを作るために誰(職人や書記)がどのような役割を果たしたのか、その報酬、写本が帯びていた社会的ステイタスなどなど、じつは今とそう変わらない、本をめぐる悲喜こもごも。

 一五世紀イタリアの「ブックハンター」ブラッチョリーニが南ドイツの修道院で発見した紀元前の手稿。「物の本質について」と題された詩篇はルネサンスに千年以上先駆ける内容でした……。

 その写本の発見が人類史に与えた巨大なインパクトを追ったグリーンブラットの『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』(柏書房:二二〇〇円)はあたかも良質なミステリのよう。

 本書を読むと、時空を超えた知識や思想の伝達がどれほど強い影響力を持つかが改めて胸に迫ります。

 またこのような、工芸品であった時代の写本がいかに素晴らしいものであったかは、美術史家の田中久美子さんが解説を加えた『世界で最も美しい装飾写本』(MDNコーポレーション:二九〇〇円)でぜひご確認ください。詩集、聖書など九〇点以上のカラー図版は圧巻です。

 原書の初版本を見るという意味では、クリスチャンソンほかの『歴史を変えた100冊の本』(エクスナレッジ:二四〇〇円)やクレッグの『世界を変えた150の科学の本』(創元社:二八〇〇円)もお勧めです。

 アリストテレス、コペルニクス、ノストラダムス、ダーウィン、ケインズ、アンネ・フランク、ドーキンス、レイチェル・カーソン、新しいところではハラリやピケティの作品までカラー写真で紹介され、日本語版と全く異なる装丁に驚かされたりします。

 装丁も、印刷を語る上で外せない要素です。臼田捷治さんの『〈美しい本〉の文化誌』(Book&Design:三〇〇〇円)と西野嘉章さんの『新版 装釘考』(平凡社ライブラリー:一六〇〇円)は近現代の日本における装丁・造本の歴史を群像劇のようにエピソード豊かに教えてくれます。

 漱石が「売れなくても綺麗な本が愉快だ」と言った話は、日頃コスト計算に明け暮れる現役編集者としては聞き捨てならないところですが(苦笑)。

 和田誠さんや杉浦康平さん、菊地信義さんといった装丁家自身の著作にも優れた作品が多いので要チェックです。

 また、普段あまり光が当たることはないものの、文字の書体については、じつは奥深い世界があって、祖父江慎さんをはじめとするデザイナーと研究者による講義集『文字のデザイン・書体のフシギ』(左右社:一四二九円) と、書体設計士・鳥海修さんの『文字を作る仕事』(晶文社:一八〇〇円)はぜひとも一読いただきたい名作です。

 ちなみに私、お手伝いする書籍の本文は、すべて鳥海さんたちのつくった游明朝という書体で組んでいます。

 現在、印刷の世界は急速にデジタルシフトしています。

 『印刷に恋して』(晶文社:二六〇〇円)は、筑摩書房の名物編集者だった松田哲夫さんが様々な印刷の現場を取材してまとめた名作ルポルタージュで、刊行こそ二〇〇二年ですが、ほとんどの取材は九〇年代に行われたため、内澤旬子さんの細密で味わい深いイラストとともに紹介される製版や印刷の様子には、当時としてもかなり古めかしい部分がありました。

 しかし随所に垣間見える、敬意と愛惜をこめて古い技術の可能性を探ろうとする松田さんの気持ちには、いま読んでも共感を覚えます。

 ふと書物の未来に不安を感じたとき、エーコの『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(CCCメディアハウス:二八〇〇円)、メンデルサンドの『本を読むときに何が起きているのか』(フィルムアート社:二六〇〇円)、そしてウルフの『プルーストとイカ』(インターシフト:二四〇〇円)に手を伸ばします。

 様々な角度から書物の効能を説く三冊の読書論は、私にとってお守りのようなものです。

 「読書」するなら検索性が高くかさばらないデータのほうがいい、という人は確実に増えつつあります。

 しかし印刷しながら世界を広げてきたヒト(ホモ・サピエンス・プリントス)の裔としては、手触りや持ち重り、風合いや視認性といった身体性が、印刷物(書物)を読む喜びの一部であり続けるよう願わずにいられません。

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