マンガを読めない子供たち

(2010/12/18記)

 活字離れが言われて久しいが、先日、あるライトノベル作家氏から不思議な話を聞いた。このところライトノベルに読者が「戻って」きているのだという。

 戻るとはどういうことだろう。一体どこから戻ってきたのか……。詳しく聞くと、それがどうもマンガから戻ってきているという話らしいのだ。

 学術書の世界ではかなり早くから徴候はあったが、メディアが本格的に活字離れを叫ぶようになったのは、文芸作品が急速に売れなくなっていった時期と軌を一にする。

 当初、活字離れの例証として「最近の読者は小説を読んでます、といってもラノベがせいぜい」という論調が盛んだったことはよく覚えている。

 だから、状況が悪化してラノベも読まれなくなり、「近頃の読者は本を読んでる、といってもじつはマンガがせいぜい」といわれたときも、その流れの当然の帰結だと思っていた。

 これはオタッキーマンガ&アニメの代表格『らき★すた』で、主人公(超オタクの女子高生)が、マンガやアニメは大好きなのに、その原作のラノベは「文字がいっぱいで読めない」ことともシンクロする。

 要するに字が読めない。文字を読むのが面倒くさい。絵だから理解が手っ取り早い。だから活字離れの表象として、小説→ラノベ→マンガという変遷が起こったのだと理解していた。

 ではなぜ今、マンガからラノベに読者が回帰しているのか。文字が読めない、読むのが面倒くさい、が極限まで進めば、マンガの吹き出しやセリフも読めなくなってしまいそうなものだ。

 しかし一方で、携帯などのモバイルデバイスは若年層のマストアイテムである。たとえ情報がデコメやキャラ文字になろうとも、似たようなことは八〇年代からあったではないか(ex.山根一真『変体少女文字の研究』講談社文庫)。彼らの生活の中から文字を読むコミュニケーションの機会が失われることはあるまい。

 そうか! きっと携帯で文字を読めるようになった子たちが、再び文字量の多い媒体に戻ってきたんだ! だからマンガからラノベという逆のベクトルが発生したんだ! もしかしたら次のステップでは小説が読めるようになる子なんかも現れたりするのではないだろうか!

 絶望的な話題の多い年末、一縷の光明を見い出して興奮する私を、くだんのライトノベル作家氏は不思議な生き物を見るように見つめている。種明かしは以下の通りであった。

「最近、マンガが読めない子って結構いるんですよ。コマ割りってあるでしょう? つまりマンガっていうのは、一頁のなかに上から下、右から左という時間の流れがあって、それを追っていくことで物語を読み進めるわけですよ」

「ところが、今の子はコマ割りによって作り出される時間の流れ、言い方を変えるとマンガの文法みたいなものがわからない。一枚の紙(つまり一頁)を、ひとつの同じ時間平面としか捉えられない。だから最初のコマと中段のコマ、終わりのコマに同一人物が描かれているとパニックになっちゃうんですよ。え、同じ時間に同じ人が、なんで別の場所に行ったり、いろいろなことを喋ったりするの、って」

「その点、ライトノベルは右から左へ読んでいけば取り敢えず時間は順を追って流れるじゃないですか。マンガを読むより楽なんです。だから僕は時間の流れがさかのぼるような、たとえば回想シーンを入れたりするときは、きちんと章や節を変えて、ここから違う時間が流れ出しますよ、と読者に教えてあげるんです。そういうことに気をつけて書いています」

 愕然。暗澹。果たして書物が衰退したのか、読者が衰退したのか。

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