似ているからと言って同じものとは限らない

(20200217記)

 年齢的には佐藤栄作を覚えていても不思議はないのだが、私がはっきりと顔や言動を思い浮かべられる最初の総理大臣は田中角栄である(もしかすると「笑点」で見た桜井長一郎の形態模写の可能性もあるが…)。当然、佐藤政権末期の社会情勢など何一つ記憶していない。

 先日、日本政治外交史家のI先生とご一緒した。晩ご飯を終え、お茶を飲みながら軽い政治談義になった折、私が「佐藤政権の末期に、国民が日本政治に向けていた不信や日本社会を覆っていた閉塞感は、長期政権に倦み疲れた現下の状況と近しいものだったのではありませんか?」と問うと、先生は少し考え込んだ。

 そして、佐藤総理と安倍総理ではやはり違うでしょうね、と呟いた。確かに、続発するスキャンダル、強力な政敵の不在、弱体化する野党、などの類似性はあるにせよ、景気(佐藤は好況、安倍は低迷)や大きな外交課題の解決がない(佐藤には沖縄返還があった)といった差違もけして小さなものではない。そういう話だと私は受け取った。

 ところがI先生は急に、1969年12月の第32回衆議院議員総選挙の話を始めた。言うまでもなく、アメリカとの交渉で沖縄返還への道筋をつけた自民党が300議席超の大勝を果たし、統一以来初めて100議席を切った社会党がその後党勢を回復することができなくなる、戦後日本政治のエポックとなった選挙である。

 この選挙の後、佐藤は日記をつけています、と先生は続けた。正確を期するため自宅に戻ってから確認した佐藤の日記を引く。

 1969年12月31日。「選挙がすんで感ずる事、第二党のない現状の責任の重大さを痛感。自らはげみ自ら進む事の難きを知る。何事にもよらずこの注意こそ肝要か。/美酒によふ間もない。安逸に過す事も出来ない。これからは反省に反省、而して前進あるのみ」

 I先生はそれ以上の言葉を加えなかった。

 が、私なりに感ずるところはある。それは「第二党のない現状」を良いことに「責任の重大」を意識することも「自らはげ」むこともない放埒な議事運営や、「美酒によふ」が如き粗雑な議会(国民)対応が横行する現況への痛切な評言である。

 同じようなことが起こってはいても、その中身と意識には相応の隔たりがある、ということなのだろう。

 昔、大御所の先生からも似たような注意を受けたことがある。

「神谷君、何でもかんでも歴史になぞらえればいいというものではないよ」

 そして私の弱点をよく知るI先生は、こんな言い方で私の仕事ぶりを窘める。

「神谷さん、あなたは歴史に拠りがちです。もっと歴史と理論と思想にバランス良く目配りしないといけません」

 優れた歴史家の一言から、「歴史に学ぶ」という上辺だけのスローガンでは済まされない、歴史を通じて政治を見る・語る上での意識の置き所のようなものを示唆され、深く考えさせられたことだった。

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