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祝 文春新書創刊6周年

(2004/11/14記)

 一九九八年一〇月の文春新書創刊は本格的な新書戦争の到来を告げる華々しいファンファーレだった。中公、岩波、講談社現代の三強に加えて、ちくま、PHPなどが参入を果たしていた市場へ、いよいよ真打ちが乗り込んできたという印象だった。

 相前後して打って出た光文社、平凡社、集英社などが、一点一点はそこそこ面白いにもかかわらずシリーズとして今ひとつパッとしなかったのに比べ、講談社現代という三強の一角の切り崩しに成功した文春は由緒正しい著者とコンテンツの蓄積を背景に読み応えある新書を次々投入し、新書不振と言われるなかでもまずまず健闘している。

 そして二〇〇四年九月、文春新書は創刊六周年を迎え、あわせて刊行点数も四〇〇点を超えた(四〇二点)。本当は「一〇周年」とか「五〇〇点」とか銘打ちたいのだが、現在の刊行ペースだと私の計算するところ、キリ番と周年が重なることが当面なさそうである。ゆえに、ひどく中途半端なタイミングではあるが、勝手ながら「六周年」「四〇〇点突破」を記念して、文春新書の個人的各種ベストを考えてみた。あちこち脱線しながら、文春新書の六年間を振り返ってみよう。

 文春新書には文春や他社をリタイヤした編集者による回想録や作家論が収められていて、ちょっとした特徴になっている。阿部達二さん、豊田健次さん、和田宏さんなど文春出版局の名だたる文芸編集者の回顧録はそれぞれに読み応えのあるモノだ。何より作家の素顔に触れられるのはファンとして嬉しい限りである。

 傑作『昭和史発掘』(文藝春秋)の担当者として常に取材の傍らにあった藤井康栄さんによる『松本清張の残像』(0290)は編集者がどのように作家と関わり、作品に関わるかを知るための優れたテキストである。藤井さん自身、取材記者として大変な力量を持っていたことは明らかだが、なにより作家と切り結ぶ胆力に頭が下がる。

 菊池寛と共に芥川賞・直木賞を創設し、長らく事務方を務めた佐々木茂索さんとの対談を収めた、永井龍男さんの『回想の芥川・直木賞』(文春文庫)。これを絶版にしておくくらいなら新書に入れて欲しい(賞モノは固定ファンがいるからすこし長いスパンで考えればビジネスになりそうな気もするのだが)。なぜなら文春新書には、野呂邦暢さんの芥川賞と向田邦子さんの直木賞受賞をめぐるエピソードをまとめた豊田健次さんの『それぞれの芥川賞直木賞』(0365)があるからである。本書に付された七七ページに及ぶ膨大な年表を見るまでもなく、やはり芥川・直木は文学史の王道。とくに文春から見た昭和文学史・文壇史のダイジェストとして、この二冊はセットで読みたいところだ。

 豊田さんは文春における向田邦子さんの後見人(?)でもあった。『それぞれの芥川賞直木賞』の第二章で、その筆が向田遭難の前後に及ぶとき、私は内心の動揺を抑えることが出来なかった。山口瞳さんの男性自身シリーズ『木槿の花』(新潮文庫)でも血涙を絞ったが向田さんの通夜の様子に哭せぬ者は人にあらずと言いたい。

 今は亡き中央公論社の文芸誌「海」の編集長、宮田毬栄さんの『追憶の作家たち』(0372)も良かった。宮田さんは、どんな人かを一目みたいがために、わざわざ石川淳さんがよく訪れるという喫茶店で待ち伏せしたそうだ。一ファンから出発する編集者もあるのだろうが、その作家の担当になれるというのは幸せなことである。目に浮かぶように描き出された石川さんのたたずまいなどファンにはたまらないだろう。松本清張さんの姿を前出の藤井さんとは異なる視点から眺めることが出来るのも、編集者による作家エッセイの面白みと言えよう。私は本書を読んで日野啓三さんの作品に手を伸ばすようになった。

 文春新書が、どうやらシリーズ化を考えていると思われるのが『物語……人』と銘打たれた一連の作品である。中公新書の『物語……の歴史』シリーズの向こうを張ろうというのだろう。先行した中公新書は猿谷要さんの『物語 アメリカの歴史』や増田義郎さんの『物語 ラテン・アメリカの歴史』、阿部謹也さんの『物語 ドイツの歴史』、牟田口義郎さんの『物語 中東の歴史』などをオンデマンド出版で読めるようにするなど、定番化が進んでいる。

 こういうシリーズを一つ作っておくと書店にフェアをお願いする手がかりになるだろう、などと営業的なことを考えたりする(苦笑)。編集的に言えば、そうそうネタ切れにならないのがいい。世界中やってしまったのではないかと思っても、目線を変えればいくらでもやりようがあるものだ。竹田いさみさん『物語 オーストラリアの歴史』の渋さにも驚いたが、黒川祐次さん『物語 ウクライナの歴史』と志摩園子さん『物語 バルト三国の歴史』には正直意表をつかれた。次にどこが来るか期待してしまうし、このシリーズは全部買ってやろうという気になるところもミソである。

 文春のほうは今のところ四冊だけだが今後の展開が楽しみだ。クラブやサロンを切り口にしたイギリス文化史研究で知られる上智大学教授、小林章夫さんの『物語 イギリス人』(0012)は、そもそも何をもってイギリス人となすか、から説き起こし、イギリス人をイギリス人たらしめる秘密のコードを発見する。オランダに長らく居住した経験から書かれた倉部誠さんの『物語 オランダ人』(0181)は、ドラッグ、安楽死、同性婚、何でもありの国オランダのメンタルに非常にうまく接近してゆく。田中明さんの『物語 韓国人』(0188)は儒教と韓国人の精神の間の深い曰わく因縁を指摘して説得的だ。

 しかし最もケッサクなのは、松本弥さんの『物語 古代エジプト人』(0093)であろう。私は本書を初めて見たとき「なぜいま古代エジプト人……」と脱力しつつ呟いてしまったことを覚えている。ヒエログリフが分析の手がかりになっているので、好きな人はぜひ手にとって欲しい。

 経済系のテーマにも印象深いものが何点かある。吉川元忠さんの『マネー敗戦』(0002)は創刊ラインナップの中でも異色のタイトルで目を引いた。経済オンチの私は本書で為替操作の具体像を学んだと言ってもいい。その後、西村吉正さんの『金融行政の敗因』(0067)が続いた。なにしろ元大蔵省銀行局長が自ら「護送船団」方式の破綻を振り返りながら日本経済の敗因を語ったのだから話題にならないほうがどうかしている。研究書と言うよりはビジネス・ノンフィクションのカテゴリに入れるべき一冊かもしれない。

 ビジネス・ノンフィクションといえば、湯谷昇羊さんの『サムライカード、世界へ』(0263)がお気に入りである。外資との提携を蹴って独自の海外展開を目指したJCBの苦闘の歴史、というにはきれい事に終始した感はあるが、じつはこういうヌルいエピソード集もサクサク読めて嫌いではない。あくまでJCBの歴史であって、クレジットカードの歴史ではないからその点は注意。もう少し内容が深くクレジットカードのなんたるかに踏み込んでいれば別の読み方もあったのだろうが、新書の紙幅の限界かとも思う。

 好き嫌いが分かれそうな作品が続くが、このさい有森隆さんの『ネットバブル』(0133)と『日本企業モラルハザード史』(0337)も挙げてしまおう。前者は、光通信の重田康光社長の素顔と社の内実を暴き、文藝春秋に掲載されるやいなや絶頂期にあった光通信の株価を大暴落させたという伝説のルポを含む(二・三章)。株式の一〇〇分割という飛んでもない離れ業が功を奏して何の実体も伴わずに巨(虚?)利を得たライブドアなどという会社がもてはやされる二〇〇四年、市場がいったいネットバブルから何を、どの程度学んだのか検証するだけでも二〇〇〇年に出た本書を一読する価値はある。

 後者では『会社はなぜ事件を繰り返すのか――検証・戦後会社史』(NTT出版)の奥村宏さんとは違った角度で企業のモラルハザードの歴史が体系化されており、ブラックな情報も踏まえての文章には淡々とした筆致ゆえの凄みを感じる。

 取材スタイルも、文章のタッチも、表面的な問題関心も異なるが、有森さんは『われ万死に値す――ドキュメント竹下登』(新潮文庫)の岩瀬達哉さん、『プライバシー・クライシス』(0023)の斎藤貴男さん、『そして殺人者は野に放たれる』(新潮社)の日垣隆さんなどと共に、現在、日本で指折りの粘着質な筆(褒め言葉!)を誇る書き手である。こういう人たちがきちんと発言できるうちは「日本もまだ大丈夫」と思う。

 現在までのところ、文春新書の執筆者として最も登場回数が多いのは「21世紀研究会」の七回。大ヒットとなり、他社から追随本も出た『民族の世界地図』(0102)のおかげで、半ばシリーズ化され『地名の世界地図』(0147)、『人名の世界地図』(0154)、『常識の世界地図』(0196)、『イスラームの世界地図』(0224)、『色彩の世界地図』(0311)、『食の世界地図』(0378)と執筆が続いた。七人ほどの研究者・ジャーナリストのグループだと聞いている。個人的ベストは『色彩の世界地図』である。色彩感覚は宗教や住居、方角などと密接な関わりを持っており、ある文化を語る際、重要な切り口となる。これを世界地図のなかに落とし込んだのはアイデアの勝利といえよう。

 次に多いのが中野雄さんと松村劭さんの四回である。ただ中野さんは、単著は『丸山真男 音楽の対話』(0024)と『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』(0279)のみ。『クラシックCDの名盤』(0069)と『クラシックCDの名盤 演奏家篇』(0132)は共著なので、単著作のトップは松村さんということになる。元陸将補にして陸上自衛隊幹部学校長「戦術抜群」賞受賞(!)という輝かしい経歴を活かし、松村さんが執筆した文春新書は『戦争学』(0019)、『新・戦争学』(0117)、『名将たちの戦争学』(0176)、『ゲリラの戦争学』(0254)。

 丸山真男さんに全人的な関心を持っていて中野さんの『丸山真男 音楽の対話』を未読の人はいないと思うが、読み落としている場合は即チェックだ。松村さんからは『ゲリラの戦争学』を挙げておく。日常生活の上で「対ゲリラ戦の極意」が必要にならない日本を寿ぎつつ、新戦争の時代、テレビで戦争報道を見るに際しても、これくらいの知識は踏まえておくべきなのだろうと愚考する。

 三回登場は八人。阿部達二さんはタイトルで『藤沢周平 残日録』(0359)と言いたいところだが、熱心な藤沢ファンにはむしろ食い足りないと思われるので敢えて外し、『江戸川柳で読む平家物語』(0121)と『江戸川柳で読む忠臣蔵』(0286)を前に出す。ちなみに阿部さんには『江戸川柳で読む百人一首』(角川選書)もあるのでよろしく。

 小林照幸さんの『海洋危険生物』(231)は自分がダイビングをするから買ったが、そうでない人にとっては読む動機に欠けるだろう。『熟年性革命報告』(0095)を手にとって関心を引かれた方は『熟年恋愛講座』(0399)へと読み進めればよい。ただ他社から刊行されているシャープな小林ノンフィクション群に比べると正直どちらもパッとしない印象だった。ノンフィクションの執筆条件と、新書の刊行条件のギャップを感じさせる事態だ。

 武光誠さんは『県民性の日本地図』(0166)も『合戦の日本地図』(0321)も悪くないのだが、他社から類書が出てしまい、そちらの方がビジュアル面などで充実している。よって新書で読みたいというかた以外にはお勧めしきれない。新書という形式とのマッチングを考えるとやはりオーソドックスな読み物として『名字と日本人』(0011)を採りたい。

 名門・名家モノのオーソリティー中嶋繁雄さんは『閨閥の日本史』(0301)に『大名の日本地図』(0352)という専門分野のど真ん中を二冊揃えた上で、『物語 大江戸牢屋敷』(0157)という変化球も用意した。「地獄の沙汰も金次第」を地でいく牢屋敷の実態を、資料をたどりながら解き明かしていく。江戸好きで雑学を深めたい向きには格好の読み物と言える。

 好き嫌いがはっきりしがちな秦郁彦さんは、最も読み方にコツのいる『昭和史の論点』(0092)から入るのも手かも知れない。坂本多加雄さん、半藤一利さん、保坂正康さんとの共著だが、どう解釈するにせよ、執筆陣の政治的ポジションを理解した上でスタートするべきだ。それは阿川弘之さん、猪瀬直樹さん、中西輝政さん、福田和也さんとの共著『二十世紀 日本の戦争』(0112)も同様。日露戦争から湾岸戦争まで日本が関わった五つの戦争を取りあげ、そのインパクトや日本の在り方を論じた後者は文藝春秋読者賞を受けている。

 意表をつかれたのが『旧制高校物語』(0355)。「昭和史の実証的研究」を謳うだけあって、各校の卒業生から入試難易度、女性入学者などの数字を使いながら旧制高校の実態に迫っている。エピソードも豊富でじつに面白い。私は本書で旧制高校に女性の入学者がいたことを初めて知った。最初、迂闊にも高女(旧制中学に相当)と勘違いして「そんなの当たり前だろう」と思った不明を恥ず。

 林道義さんがユング心理学の泰斗であることしか知らないと『囲碁心理の謎を解く』(0304)、『日本神話の英雄たち』(0342)、『日本神話の女神たち』(0400)の三冊はいったいどのように専門分野と関わるのか不審に思われるかも知れない。しかし林さんは大学の授業に囲碁を取り入れて、その攻撃性の質について考えたり、母性や父性が重要な背景となる神話をユング的に読み解くなどしてきた経歴を持つ。心理学に興味のある人はどれを読んでも楽しめるはずだ。この人は本当に筆が立つ。一度お仕事をご一緒してみたい著者の一人である。

 森谷正規さんの専門は現代技術論だが、技術と社会の関わりに重きを置いているためテーマの幅が広い。『IT革命の虚妄』(0148)はせっかく盛り込まれた森喜朗首相(当時)のエピソードゆえに陳腐化が始まっているが「技術と人間」という問題意識自体は古びない。いずれ二〇〇〇年代最初頭のITをめぐる動きが歴史的に評価される際には重要な参考文献となるだろう。それは『ナノテクノロジーの「夢」と「いま」』(0218)から『中国経済 真の実力』(0312)へと着実に引き継がれている。森谷さんが今いるのはポスト石井威望さんといった感じのポジションだが、個人的には中山茂さんの跡を継ぐような仕事をしてもらいたいところだ。誰かその線で企画を持ち込んでみてはどうか。書けると思うのだが。

 八人目は山本夏彦さんである。「夏彦迷惑問答」とのサブタイトルが付された『誰か「戦前」を知らないか』(0064)が出る直前、氏に「修身の教科書をテーマに書き下ろしをお願いできないか」という依頼の手紙を書いた。後日、事務所にお電話するとご当人が出てこられて「第一に人間は自分でそう思っても人からは言われたくないと思うことが多いモノです。第二に私は短いモノは書けますが長いモノを書くことが出来ません。第三に私の本は売れませんから、あなたやあなたの会社に迷惑を掛けることになるでしょう。ということで悪しからず」と言われた。

 とりつく島もないが、相手をイヤな気持ちにさせない実に独特の間で話をするひとだった。想像していたよりも遙かにおじいちゃん声だったので驚き、電話を切ってから経歴を再確認したら、このとき既に八十四歳。若々しいイメージが先行していた故の失敗。書き下ろしをお願いしたのはすこし無茶だった(その後、この企画は小浜逸郎さんのところへ持っていった。氏は山本さんに断られたことも含んだ上で執筆を約してくれたが、後に翻意され、私もそれを了承した)。事務所のスタッフとの問答を記録してまとめた山本さんの三部作は、きちんと『誰か「戦前」を知らないか』、『百年分を一時間で』(0128)、『男女の仲』(0341)の順に読まなくてはいけない。含蓄があり、含羞がある。こういう日本人はもう出ないだろう。

 現在、文春新書には二冊の欠番がある。財政家としての高橋是清を井上準之助と対比させつつ国際関係の文脈から再評価を試みた木村昌人氏の『高橋是清と昭和恐慌』(0066)、地域における経済協定・経済統合の進展を市場のパワーバランスという観点から描いた高中公男氏の『経済統合のパワーゲーム』(0137)である。ともに不適切な引用部分などがあり、絶版・回収となったものだ。しかし、正直に言うと両方ともけっこう面白かった。騒ぎになっているとはつゆ知らず、さっさと買って読んでいたので、回収と聞いたときには「なんと勿体ない」と思ったくらいである。

 ついでなので、これは今ひとつというモノも挙げておこう。文藝春秋編となっているが『東大教師が新入生にすすめる本』(0368)はいけない。「十年にわたる東大教師へのアンケートをもとに構成されたブックガイドの決定版」という惹句はいいだろう。しかし大昔に取ったアンケートもあるのだ。一冊にまとめるにあたって、書誌データの更新は行ってしかるべきである。ネットで検索するだけならどれほど時間がかかるというのか。本は生き物である。絶版になったり、復刊されたり、文庫化されていたり、版元が変わっていたり、ということがある。仮にもブックガイドを作ろうという編集者がこのような手の抜き方をするべきではない。本の価値を大きく損ねてしまう(ただし私が持っているのは初版である。売れたので当然重版がかかっているモノと思う。その際、きちんと手を入れたかどうかは検証していないことをお断りする)。

 ミドリ・モールさんの『ハリウッド・ビジネス』(0210)は、私が編集者だったころ、二度にわたって、まったく別ルートから持ち込まれたことがある。当人と直接話したことはないのだが、間に入ってくれた人に「このままでの出版は難しい」と断った上で、構成の問題点や取りあげてみたらいいのではないかと思うトピックを伝えた。そのまま音沙汰がなくなり、すっかり忘れていたら、ある日、文春新書に入っているではないか。担当した編集者の力量なのだろうが、細かな部分まで含めて関心ある読者に十分供せるくらいにはなっていた。しかし、あまり面白くない気持ちを隠すつもりもない。

 内容は悪くないのだが、ごくたまに書店で手に取りにくいタイトルを付けた本が出てくるのは文春新書の悪癖といえようか。渋谷知美さんの『日本の童貞』(0316)と、宮田親平さんの『ハゲ、インポテンス、アルツハイマーの薬』(0051)は、レジに持って行くことをかなりためらった。中身は大まじめだし、そもそも「その歳になって小娘みたいなこと言うな」と言われそうな感じだが、やはり男児たるもの「童貞」と「インポ」には過剰に反応してしまうものなのだ(苦笑)。私は刊行直後の書店において『ハゲ、インポテンス、アルツハイマーの薬』を前にモジモジしている男性を数例見かけたので、この意見が自分だけのものではないと断言できる。

 さて余談が多く遠回りをしてしまった。最後に「個人的ベストテン」で締めくくろう……と思ったのだが、なにぶん四〇〇冊。しかも私は三七〇冊くらい読んでいるので、書架の新書を抜き差ししながら検討した結果、このなかから一〇冊を選ぶのは無理だという結論に落ち着いた。ということで「とりわけ好きな二〇冊」とさせてもらうことにする。歴史や政治、国際関係、ドキュメンタリーなどに嗜好が偏っていることは一目瞭然。また当然、遺漏やミスリードがあることはお断りしておく。なお繰り返しを避けるため既に紹介したものは除くことにする。ベストやランキングではない。上位集団という漠然とした塊だと思って欲しい。

 またタイトルを挙げただけの作品と、コメントを付した作品の間に軽重はない。

中野香織『スーツの神話』(0096)

新谷尚紀『なぜ日本人は賽銭を投げるのか』(0303)

大塚将司『スクープ』(0362)
 トップの不正を内部告発して会社を追われた日本経済新聞社の敏腕記者による調査報道の記録。でも、本書の中に、そのことについて触れた箇所は一つもない。それまで自らが手がけてきたスクープの跡を丹念に、淡々と検証していくのみである。退社直後の刊行。あとがきに恨み節の一つも書きたくなるのが人情だ。見事としか言いようがない。この人を辞めさせるような新聞社を私は心の底から信用することが出来ない。新聞記者志望者は座右に置け。

前川健一『旅行記でめぐる世界』(0305)
 小田実から沢木耕太郎まで、日本人が書いた渡航記を読み比べながら、海外旅行に対する感覚の変化を探る。でも戦後日本の海外コンプレックスの変遷とも読めそうだ。『何でも見てやろう』(講談社文庫)と『深夜特急』(新潮文庫)を並べて読もうという発想がユニーク。はい、言われて私も試しました。

梶山寿子『子どもをいじめるな』(0241)
 児童虐待は再生産される。親にいじめられた子どもはかならず我が子を虐待するのだ。凄惨なレポートは読むのがつらい。でも人の親になるためには読まなくては。梶山さん、テーマとしてのDVにはまりこみすぎている気もするが第一人者。優れた仕事。

須藤眞志『ハル・ノートを書いた男』(0028)

中馬清福『密約外交』(0291)

春日武彦『17歳という病』(0262)

野田宣雄『二十世紀をどう見るか』(0007)

大澤武男『ローマ教皇とナチス』(0364)

バク・チョルヒー『代議士のつくられかた』(0088)
 中選挙区時代の名著、ジェラルド・カーチス『代議士の誕生』(サイマル出版会)は絶版。小選挙区時代の現在、最も精緻な選挙の観察記録であろう。選挙の計量分析の対角に置くとちょうどいい。

南條竹則『ドリトル先生の英国』(0130)

内田樹『寝ながら学べる構造主義』(0251)

塩田潮『田中角栄失脚』(0294)
 このテーマなら単行本でも良かったと思うがどうだろう。田中角栄スキャンダルが歴史的に位置づけられ、調査研究の対象になっていることには感慨を覚える。事件に関しては立花隆さんなど取材者側、あるいは田中家側、ロッキード社側の当事者の証言も膨大なので、全体像を捉えるのは非常に煩瑣だった。それらを省力化できるのはこの労作のおかげである。

速水融『歴史人口学で見た日本』(0200)
 人口という、時々の社会を見通す上で最も基本的な数値から日本の近世像を描き直す試み。数字の話も多いので私のような脳内完全文系人間にはチト苦しかったが、本書から広がる読書の地平は広大である。手がかりとして斎藤修さんの『プロト工業化の時代』(日本評論社)、鬼頭宏さんの『人口から読む日本の歴史』(講談社学術文庫)、浜野潔さん訳のマーク・ラヴィナ著『名君の蹉跌』(NTT出版)、ついでに笠谷和比古さんの『主君「押込」の構造』(平凡社)などを挙げておく。

水谷千秋『謎の大王 継体天皇』(0192)

小泉武夫『発酵食品礼賛』(0076)
 本書の白眉はアザラシの腹の中で二年間発酵させたウミツバメの漬け物、キビヤックの食し方である。本書の一二四ページから一二六ページを音読してからブルーチーズやくさやを食べるというのは、ギュンター・グラス原作の映画『ブリキの太鼓』を見てから、うな丼を食べに行くような自虐的快楽である。

 ここまで書いても上位三冊が動かなかったので、これだけはベスト3として紹介させてもらう。四〇〇字詰め原稿用紙二六枚(まったくブログで読む長さじゃないよ…)。よくぞおつきあいくださいました。ありがとう。

三位 山内昌之『歴史の作法』(0345)
 カバーの見返しに「歴史学の意味と使命を考える、歴史を学ぶ人間必読の書」とあるが、基礎的な教養書としてもっと広く読まれなくてはならない本だ。ページをめくりながら自分の浅学ぶりに肝を冷やす。出来れば高校生に読んで欲しい。もっと言えば中学三年生。本書を出発点に読み始めればまだ間に合う。私のようにムダな読書を重ねる心配もない。

二位 家近良樹『孝明天皇と「一会桑」』(0221)
 幕府と朝廷と雄藩のバランス・オブ・パワーについて、これまで教科書的に語られてきた常識が大幅な変更を迫られる。徳川との協調を選ぶかと思われた新政府が西郷隆盛や大久保利通の策動によって倒幕に一転するドラマは凄まじいの一語である。徳川慶喜についてよく事績を追い、人となりにも迫っていると感じたが、さもありなん。先だって吉川弘文館から「幕末維新の個性」と題されたシリーズが刊行され、その第一弾が家近さんの『徳川慶喜』だったのである。

一位 平山洋『福沢諭吉の真実』(0394)
 本書については既に書いたので、そちらに譲ることにしたい。

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