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岩波新書のリニューアルに寄せて

(2006/06/18記)

 この二ヶ月、岩波新書にやられっぱなしだ。

 二〇〇六年四月、一八年ぶりという装丁の変更をおこなった岩波新書。通常なら月四、五冊刊のところ、四月と五月は一〇冊ずつ、計二〇冊を投入してきた。

 新書戦争と呼ばれる過当競争、著者、テーマの壮絶なぶんどり合いのなかにあって、よくぞこれだけのアイテムを揃えた。並べるほどに老舗の底力を感じさせる、見事としか言い様がないラインナップである。

■4月■
柄谷行人『世界共和国へ 資本=ネーション=国家を超えて』 長谷部恭男『憲法とは何か』 末木文美士『日本宗教史』 斎藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』 神田秀樹『会社法入門』 坪内稔典『季語集』 熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』 見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』 筑紫哲也『スローライフ 緩急自在のすすめ』 久保田麻琴『世界の音を訪ねる 音の錬金術師の旅日記』

■5月■
苅部直『丸山眞男 リベラリストの肖像』 伊東光晴『現代に生きるケインズ』 斎藤貴男『ルポ 改憲潮流』 横山紘一『地中海 人と街の肖像』 柴田三千雄『フランス史10講』 富山太佳夫『笑う大英帝国 文化としてのユーモア』 山口仲美『日本語の歴史』 阿刀田高『ことば遊びの楽しみ』 脇明子『魔法ファンタジーの世界』 鹿野政直『岩波新書の歴史』

 結局、私は筑紫哲也さんの一冊を除いて、すべて購入してしまった。大散財、大出血。これを「やられた」と言わずしてなんと言おうか。末木、坪内、刈部、樺山、富山、鹿野作品は関心のある人には文句なくお勧めする。

 装丁の変更は、現行の新赤版が刊行点数一〇〇〇点を超えたのを機に行われたものだ。ランプと風神のマークの配置が変わったのは気がつかない人もいるかも知れない些末事だが、最大のポイントはカバーがマットPP加工になったことだろう。手にした感じが実に良い。

 初代の赤版以降、青版、黄版、新赤版と表紙のカラーを変えてきた岩波新書。その新創刊のたび劈頭には、出発に当たっての意気込みというか、ポリシーを示す一冊を置くのだそうだ。

 一九三八年の創刊赤版はクリスティーの『奉天三十年』上・下巻を通しナンバーの1と2に置いて、戦争へ向かう時流に抗うため中国理解の一助を目指した。

 一九四九年、青版での戦後再出発に当たっては、戦争中、治安維持法違反で検挙され、執筆機会を奪われていた大塚金之助の『解放思想史の人々』を1として、決意を示している。

 一九七七年の黄版スタートは、スローガンとしての戦後の終焉を越えて、実態的に戦後以降に起こった諸々が社会問題として提起される時期とも重なった。

 その先頭に立ったのが福田歓一さんの『近代民主主義とその展望』であったこと、同じく再創刊のラインナップ一〇点の中に都留重人の編著である『世界の公害地図』上・下巻が入っていたことは注目に値する(皮肉にもこの二冊は原稿の締め切りが間に合わず、翌月にオチるのだが…)。

 そして我々の目にも見慣れていた新赤版は史上初めて社会科学ではなく、文学を新シリーズの冒頭に置いたことで知られる。大江健三郎さんの『新しい文学のために』。一九八八年のことだった。

 その意味では、今後の新々赤版岩波新書の方針もまた、新たな通しナンバー1を振られた柄谷行人さん『世界共和国へ 資本=ネーション=国家を超えて』から占うことが出来ると言えそうだ。

 ちなみに岩波書店のHPには新書の曰く由来を伝える「岩波新書Q&A」というページがあって面白い。歴史やパッケージ、マークなどについて詳しいことを知りたい人は一度、覗いてみると良いだろう。

 また五月のラインアップを締めくくった新刊、鹿野政直さんの『岩波新書の歴史』は一読に値する。岩波的視座に拠っている本書を、異なる立場から批判的に読むことはたやすい(特に個々のタイトルへの評価は相当甘いという意見が出ても仕方ないだろう)。

 だが二五〇〇冊を超えようという岩波新書の大方を時系列に並べて、時代背景を解説したり、簡単ではあるが内容の紹介もつけた労作であることは疑い得ない。

 巻末に付された一九三八年から二〇〇六年三月リニューアルまでの新書全点リストはそれを見るだけで時代の潮流が窺えるたいへんな代物だ。

 こういう本があると一九六〇年代、青版の時代に憲法問題研究会の『憲法読本』上・下巻、恒藤恭『憲法問題』、宮沢俊義『憲法講話』、小林直樹『憲法を読む』といった歴史があったことが分かる。

 そこで初めて、二〇〇六年の政治的状況を踏まえ、新々赤版のリニューアルラインナップに斎藤貴男さんの『ルポ 改憲潮流』や、長谷部恭男さんの『憲法とは何か』が含まれることの意味合い、岩波書店の思想的一貫性などが見えてくるのである。

 もう一つ気になっているのは、このリニューアルを指揮した岩波新書の編集長、小田野耕明さんが三五歳だということだ。私とほぼ同年の若き編集長は、とあるネットニュースの取材に対して以下のようにコメントしている。

「時代が混迷の度を深めて新書も乱立する中、『教養路線』を再び掲げることにしました。すぐには役に立たないかもしれないが、知的好奇心で手にとってもらい、いつかは自分の糧となる。そんなテーマを第一人者に書いてもらうのが岩波新書の持ち味です」

 若かりし私が猪瀬直樹さんの事務所に入ったとき、彼が一番最初に教えてくれたのは国立国会図書館と大宅文庫、そして新書の使い方だった。新書について猪瀬さんはこう言った。

「あるテーマに取材しようと思ったら、まず、その関連項目をタイトルに掲げた新書を探せ。必ずその分野の碩学が、そのテーマを知るために必要な最低限の知識と参考文献をまとめてくれているはずだ。そこから取材のヒントをつかめ」

 これは新書戦争によって使えない新書が乱立するまで私の取材の基本的ルールだった。ゆえに私は小田野編集長の意見に諸手をあげて賛成である(無論刊行される書籍については一冊ずつ是々非々の態度で臨むが)。

 ここ数年、読書界は教養ブームだと言われている。にもかかわらず、まったく教養を感じさせない新書ばかりが売れている現状は如何なモノか。

 岩波新書。頑張ってほしい。最後に残るのは真の教養だ、と証し立ててくれ。

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