明るいオピニオン求む

(2004/09/20記)

 先日、書斎で『高坂正堯外交評論集』(中央公論社)を見つけ、片づけの最中だというのにうっかり読みふけってしまった。

 本書は高坂正堯さんが「中央公論」「文藝春秋」「諸君!」「季刊アステイオン」「日経ビジネス」などに発表した外交論をまとめて読めるお得な一冊で、高坂さんの冷静な言説、それを支える研究と分析の一端に触れることができる、最も簡便なテキストである。「日本の進路と歴史の教訓」のサブタイトルが付され、外交というテーマに沿った高坂さんの思索が編年体で一九本収められている。

 七〇年代の項には、石油危機と資源ナショナリズムの動きに対し、日本がどのように行動すべきかを冷静かつ楽観的に論じた「この試練の性格について」。

 八〇年代の項には、ソ連のシステム上の行き詰まりを大韓航空機撃墜を例に明らかにし、対ソ連外交の指針を示した「対ソ連・三つの行動原則」。一九八六年のアメリカによるリビア空爆を取りあげて、秩序を動揺させる不用意で乱暴な正義感への嫌悪を示した「粗野な正義感と力の時代」。

 九〇年代の項には、日本の性格を文民的大国と定義し、その性格に乗っ取った国際貢献の在り方を模索すると共に、PKO・PKFに若干の懐疑を滲ませる「冷戦後の新世界秩序と日本の貢献」といった論文が並ぶ。

 高坂さんの歴史への造詣は深く、その思索から導き出される予見はときに精密な未来図を描き出していた。「帝国」という言葉の定義から説き起こしてアメリカ大統領選挙の性格、そしてその際にスケープゴートとして(バッシングの対象として)現れる日本という構図を浮かび上がらせた「安逸な風潮が生む日本たたき」が一九八九年の執筆であることには驚きを覚える。当時トピックであったジャパンバッシングを材にしながら、その指摘するところが二〇〇三年から読書界を席巻した、アメリカ帝国論の論旨を彷彿とさせるのである。

 翌一九九〇年に発表された「国際関係における異質論」では、一〇〇年前ヨーロッパで盛んに語られたドイツやアメリカに対する異質論を、後発国の挑戦の重大性に先発国が気づき始めることで姿を現したものと捉え、産業立国日本と自由貿易による平和というリベラリズムの原則の相克を文明の持つ普遍的性格によって昇華しようと試みている。

 このなかで、ベトナム以降、より大きくなったアメリカ人の政府イメージの振幅と、薄くなった政府と国民の信頼関係ゆえに国際社会におけるアメリカのリーダーシップは確固たるものにならないと断じられていることは、九・一一によって大きく凝集、拡散を繰り返したアメリカのメンタルを分析する際にも重要な手がかりとなろう。

 先に挙げた「粗野な正義感と力の時代」など、現在、対テロ戦争を遂行しているアメリカに向けられる嫌悪の論理とほぼ同様の内容である。それが単なる感情論を超えて、事実を積み上げた論理によって説かれるところが高坂さんの凄みといえる。

 どうも私は購入した直後に読んでから五、六年、本書を抛っておいたと思われる。恥ずかしながら内容をちっとも覚えておらず、初めて読んだ気分の論文が何本もあった。それらを通読して改めて感じることは、本書をはじめとする高坂さんのオピニオンが常に日本の政治、日本の外交に対する暖かい叱咤になっていたということだ。

 研究者、知識人、外交政策への関与者、日本人として、高坂さんは多くのことに気を配りながら、それでも言うべきことは言い、糺すべきは糺した。高坂さんが佐藤誠三郎さん、若泉敬さんらと共に、佐藤栄作内閣以降の政権下で外交、環境問題に関する政策ブレーンとして活躍したことはよく知られている。彼らは分析者であったが傍観者ではなく、提言者であったが批評家ではなかった。いまも信念のある研究者がいないわけではないが、それ以上に評論家然とした研究者が増えたことも事実である。

 その意味で、一九九六年に六二歳で急逝した高坂さんが中西寛さんという誠実な俊英を後継に得ていたことは幸いといえる。『国際政治とは何か』(中公新書)で地歩を固めつつある中西さんが田中明彦さんと共に編者に立った『新・国際政治経済の基礎知識』(有斐閣)は、かつて高坂さんと公文俊平さんが編纂した『国際政治経済の基礎知識』(有斐閣)の後を受けた新版である。国際政治経済を理解するために不可欠な専門用語やトピックを選び、一線の研究者たちが解説を加えるこのシリーズは二〇年にわたって版を重ねてきた。

 じつは二〇〇四年に草された新版には、これだけ劇的に世界が動き、あらたな言葉や定義が求められているにもかかわらず、ひとつだけ旧版からそのまま残された文章がある。言葉は「勢力均衡」。執筆は高坂さんだ。

 はしがきには「内容が今日でも少しも価値を失っていないことが第一の理由だが、それに加えて先人の業績に対する私たちの敬意を象徴する意識もあった」と編者の言葉が記されている。おそらく中西さんの筆になるものだろう。

 先人への敬意というのが良い。それは単なる思い入れではないのである。もし、この言葉の解説が古び、役割を終えていたならば中西さんは躊躇なく自ら筆を執るか、新たな執筆者を迎えていたはずだ。それこそが敬意というものである。

 冷戦後、世界はすっかり分かりにくくなってしまった。二一世紀を迎えても先々の不透明感が世の中を暗くしてしまっている。いまこそ高坂さんの柔らかい京都弁の、寸鉄の如き直言を聞きたい。厳しくも明るさを失わない論陣に触れたい。私など、ついつい中西さんに(ご当人は、まだその時期にあらずと自重していることと思うが)、そうした活躍も期待してしまうのである。

 高坂さんの本を書店の店先で見ることもめっきり減った。せめて『外交評論集』ともども『海洋国家日本の構想』、『宰相吉田茂』、『古典外交の成熟と崩壊』(それぞれ都市出版刊の全集一、四、六巻。『宰相吉田茂』は中公叢書、『古典外交の成熟と崩壊』は中央公論社版単行本もあり)くらいは座右に置いて、国際社会を眺める際の気持ちの支えにしたいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?