謎の使者

(2012/03/07記)

 渡邉昭夫さんにお誘いいただいて劇団四季自由劇場へ。もちろん浅利慶太さんからの特別招待チケットである。毎度ありがたいことだ。

 で、お懐かしい、福田恆存の『解ってたまるか』を見ることに。

 金嬉老事件を枕にした、三島由紀夫の『金閣寺』を思わせる動機の虚空をめぐる物語は、アプレと政治の季節を巧みにカリカチュアライズしていた。

 全編を通じて嘲笑の対象となる「文化人」の類型が、大学教授、人権派弁護士、映画監督、劇作家(!)という痛烈は、開高健にも通じるヒリヒリした肌触りである。メディアに携わる者としてもちょっとヒヤリとする。

 犯人の長広舌によるラストの演出には疑問を抱いたものの、十分にあの「政治の時代」の空気を吸うことはできた。

 幕間に渡邉さんが、福田恆存との邂逅(すれ違い?)のエピソードを思い出し、語ってくれた。

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 香港から帰ってきて、まもなくだったと思うから明治大学にいた頃ではないか、…いや、もう東大にいたか?

 ある日、福田恆存の使いを名乗る人間が訪ねてきて、おまえは誰それの何々という資料を持っているはずなので、一日でいいからそれを貸してもらいたいと言う。

 書き付けもなく、ただ口頭でそう言われて、どうしたモノかと思ったがとりあえず資料を貸すと、本当に翌日には同じ若い男が返しに来た。

 ただし、礼状の一枚もあるわけではないので、それが本当に福田恆存からの使いだったのかどうかもわからない。

 なんの本を貸したか忘れてしまったし、そもそもその資料が我が家にあることをなぜ福田恆存が知っていたのか、さっぱりわからない。

 可能性があるのは、その頃すでに私は日本文化人会議などに関わっていて、論集の単行本に寄稿したこともあったので、その参考文献か何かで気にかかった資料を尋ねてきたのではないか、という気はする。

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 このエピソードは奥様も覚えているそうで、どうやら使者が訪ねてきたのは研究室ではなくご自宅であったようだ、とのことであった。

 そのほかにもいろいろ伺っていることはあるのだが、まだ書けないことも多い。老大人から教えられること甚だ多し。

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