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15日め なぜ再放送なのか

朝ドラこと連続テレビ小説に関する新書「みんなの朝ドラ」(講談社現代新書)を書いたとき、最後に、朝ドラは平和の祈りだと思うと書いた。朝起きると朝ドラをやっているというルーティーンが続く限り日本は平和だと私は思っていたのだけれど、まさか、ほんとうに止まってしまう日が来るとは驚いた。

私は2015年前期の「まれ」から月から土まで、エキレビ!というサイトで毎日レビューを書くようになって、「エール」で5年めを迎えたところだった。5年めを迎える直前、エキレビ!の状況が変わり、朝ドラレビューも終わるかもしれなかったが、なんとか続けられることになった。ただし、朝ドラが月〜金になって、土日が休みになった。週6日書いていたが、週5日になって少し楽になったが、その分、KADOKAWAテレビジョンで週イチまとめを書くことになった。

月から土曜まで朝見てレビューを書いてるためテレビが見れないかもしれない海外旅行には行けない5年間。国内に旅行にいったり、ほかの仕事で出かけても、常にどこかでオンデマンドで見て書き続けた。移動の電車のなかでスマホで見て書いたりもしていた。出張先で飲み会の誘いを断りひとりホテルに戻って早く寝て朝起きて見て書くなんてこともしていた。ときには移動中や他の仕事の合間にスマホで書いたりもしていた。なぜそこまで……と自分でも時々思うが、毎日書き続ける面白さもあるし、アーカイブになるし、ここまで続いたのに辞めたくないという思いもあった。だがしかし、朝ドラ自体がコロナで休止になってしまい、6月26日(金)をもって連続記録は5年と3ヶ月でストップしてしまった。朝ドラ自体がないのだからやむなし。自分からは休めないがようやく、じつに、5年と3ヶ月ぶりに休めるのだという嬉しさもあった。にもかかわらず、残念ながらコロナで海外どころか東京を出るのも難しい状況(GO TOキャンペーンにはのれません)である。それが残念。

結局、私が休み中にやることとして選んだのは、朝ドラばかり書いていて、書けなかったほかのドラマや映画や演劇のレビューを書くことだった。振り返ると、2014年までは連ドラの週イチレビューをけっこう書いていたが、毎日朝ドラが続くにつれ、どんどんほかのものは減っていった。この3月、朝ドラレビューがなくなるかも問題をきっかけに、いくつかの媒体と仕事をするようになり、書ける場が増えたこともあるのと、朝ドラがない分、エキレビでほかの記事を書くことにもなって、そうしたら、なにかとても清々しい気持ちになったのある。

比べるなんておこがましいけれど、渥美清がずっと寅さんを演じ続けていたけれど、内心、ほかの役もやりたいと思っていたそうだし、人気連載漫画を終わらせてもらえない漫画家もいると聞く。朝ドラレビューは無理やり書かされていたのではなく、私が続けたいという希望を編集の方が守ってくれていたおかげであって、いまは残念ながら担当は変わってしまったけれど、いまの担当の方も受け継いで守ってくれている。とてもありがたいのだが、でもやっぱり違うこともしたい。その欲求が今回、満たされた。

おかげで変りばえのしない日々である。

朝ドラ「エール」は6月29日(月)から第1回から再放送していて、副音声が新たに加わっている。7月15日で休止から15日(再放送は土曜日もやるようになったが、日曜は入れてません)経過した。これまでも年末年始は一週間くらい休みになっていたが、朝ドラについて15日も書かないことははじめてである。ほかのいろんな媒体も、新しい情報がないから「エール」の記事はだいぶ減った気がする。これまで毎日毎日、明日のストーリー紹介とか見どころとか、今日はこんな場面でSNS がわいたとか、視聴率とか記事がネットで公開されて賑わっていたのに。さすがに視聴率も再放送だから、15%とか14%に下がっている。それでもそれだけ見てる人がいるんだからすごい。いわゆる視聴習慣というものの強さを実感した。新作記事としては、唯一、「エール」のドラマとモデルの史実の違いを研究者が自著の宣伝も兼ねて書いている記事がひとり気炎を吐いている印象である。

私はといえば、視聴習慣なんのその、すぐさま朝起きなくなってしまった。ただ、毎日なにかしらほかの仕事があるとはいえ、朝の日課がないと呆けてしまいそうでこわくなったので、朝ドラが止まった日の記録を、朝ドラのことを盛り込みながら書いてみようかと思う。「はね駒」「純情きらり」は再放送しているし。そのうち、ここが「はね駒」「純情きらり」毎日レビューになってしまうかもしれない。

「エール」は副音声があるとはいえなぜ再放送なのだろう?とも思っていた。そんな記事も書いた。「麒麟がくるまで待てない」みたいに過去の名作を紹介したり、総集編などを放送してほしいとも思ったが、毎日、15分の連続ドラマが放送されるというルーティーンを止めないというNHK の矜持なのかもしれないという気もした。たとえ1話からに戻ったとしても、そこからまた前に向かって進んでいるわけで。毎日の営みを、物語を止めないということ。それこそが朝ドラの祈りであるのかもしれない。たわいのない物語でも淡々と続いていることが大事で、毎日、工夫をこらした特別番組を放送しはじめたら混乱する人もいそうだ。3ヶ月前に放送したものであっても気づかない人もいるかもしれない。時計代わりともいわれていて、実際、その程度のものなのではないか朝ドラは。これは悪い意味ではない。それがいいのではないだろうか。なかには稀にそこから突出した名作が誕生することもあるが、基本はたわいない日常や人生のスケッチなのではないか。それこそが愛おしいというような。現実の私達の日々だってそういうもの。バズるような傑作人生は誰もが送れるものではない。

そう思ったら、私もサボっていちゃいけないかな…。というわけで、はじめます。「朝ドラが止まった日」。これは読まれてもいい記録にしたい。でも毎日は書かないよ



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