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60日め〜 「はね駒」樹木希林劇場

「朝ドラ「エール」、再開まであと一週間というところで、再開の番宣がしきりに放送されはじめました。

時代は太平洋戦争に突入、あのヒトもあのヒトも戦地へーー。

重苦しげな状況に、古関裕而(ドラマでは古山裕一)の作り出す様々な楽曲が流れ……という、どシリアスなムードで、それまでのほのぼのどたばた喜劇仕立てとは違う朝ドラがはじまったように見えます。違う朝ドラはじまったとか最終回かと思ったというのは朝ドラあるあるではありますが、「エール」のこの違いはいったい……。あのお調子もののというかナルシストな久志(山崎育三郎)すら別人にようになってしまっているようです。いやあ気になりますね。

でも先読みは禁物。オンエアしたらこのムードの違いの理由を朝ドラレビューできちんと分析したいと思っております。

さて。「はね駒」「エール」「純情きらり」と朝ドラがすべて再放送の異常事態な2020夏。忘れられない夏として記憶に刻まれそうですが、この3作、どれも戦時中のお話が描かれています。戦時中のお話であることも朝ドラあるあるのひとつですが、放送されてる朝ドラがどれを見ても戦争の影があるとは、終戦から75年という節目としては印象的です。

ただ「はね駒」だけは日露戦争で、もうちょっと前の戦争です。

今日は「はね駒」のことを書きます。

「はね駒」は9月5日(土)に144回が再放送されました。最終回まであと10話ほど。終盤、主人公のりん(斉藤由貴)がようやく職業婦人になり、家事、子育て、仕事の両立に悩むようになって、そこに戦争が深刻化してきて……というシリアスな流れに。

24週は、樹木希林劇場です。というか、樹木希林は最初からずっと凄くて、「はね駒」の裏主人公のような感じすらするんですが。ここへ来て、老境の女の演技が極まれりで。老いた母親の息子を亡くした悲しみの表現が上質過ぎて、朝、なにか支度しながら見るレベルじゃないんですよ。お金払って見たい感じ(受信料払っているけれど)。

144回は、樹木希林と美保純。りんの兄・嘉助(柳沢慎吾)の戦死の報が来て、信じたくない妻みどり(美保純)と母やえ(樹木希林)のそれぞれの気持ちの収め方がとても細やかに描かれています。

この回の前、141回、嘉助の死を知ったりんが、やえとみどりに気を遣って、まだわからないことにするのだが、薄々気づいているやえは、仏壇でぼーっとしていて、平気なふりして鼻歌歌いながらもそれはどこか空虚で、りんはりんで空元気に振る舞うという、見ていていたたまらない場面。ここも良いのです。

そうしているうちにやえは倒れ、なんとか回復したときには、気持ちを切り替えようと気丈につとめますが、みどりのほうは信じたくないので、まだ生きてるふうに話をします。それを察したやえが話を一旦そらしたうえで、みどりを諭しだす。これが144回。

やえとみどり。お互い、心の中と話していることが違っていて、でもその中心は嘉助の死への深い哀しみ。それを隠したくて気丈にふるまうやえと信じないふりをするみどり。最後は哀しみだけが浮かび上がってくる。最近のドラマだと、たいてい、かなりはしょって、すぐに諭すところをセリフで進めてしまう気がするんですが、信じたくないみどりと、自分だって信じたくないけれどきちんと現実と向き合わなくてはいけないと己を律し、みどりにもそれを求める精神の強い女性の姿をじっくりと描いた台本(作・寺内小春)と、それを確かな間合いで演じるふたりの俳優。すっかり弱ってしまったかに見えたやえが一瞬きっと強い視線でみどりを見て、みどりのほうは光のない真っ黒な瞳をしている。芝居とはこういうもののことを言うのだと私は思います。

樹木希林は家を切り盛りする妻らしく、料理の所作なんかも抜群で、どんなふうに振る舞っても、その役の生きてきた時間や環境や性格がわかります。もっと長生きしてほしかった。

「おしん」の田中裕子もそれが当たり前にできる俳優。支度しながらセリフをしゃべるのもさらりとできる。最近の朝ドラはこれができない俳優が多いのです。しゃべると手が止まってしまって、ぎこちなさ過ぎる。こういうときは不器用でできない設定にして「また手が止まって〜」とか言うセリフを入れちゃったほうがいい気がしませんかね。男の俳優のほうが意外とうまかったりするのは、やっぱり男だからこれができる女だからこれができないとかいうのは関係ないってことでしょうね。

話が逸れましたが、先日、NHKのスペシャルドラマ「太陽の子」でも田中さんのカラダのなにげない動きにその人らしさが出ていて見入ってしまったものでした。それについてはこちらで書きました。

「おしん」の田中さんのお芝居に関しては、以前、こんなTweetをしました。

台本の指示かどうか調べたくてシナリオ集も買ったのでした。

橋田壽賀子先生はセリフで表現してしまうので、言葉にしない部分は工夫できる俳優は工夫しているのを感じます。なかには演出家がやってることもあると思いますが。

寺内小春さんの台本は、書かないけど心のなかにもっていてほしいものがある台本。それを読み取って表情や間で表現する醍醐味がある気がします。

「はね駒」ここへ来て、りんが仕事に夢中なものだから、夫・源造(渡辺謙)との仲がこじれていたところ、嘉助の死によって少し仲が修復するという流れも見事だなあと思います。しかも、それも完全に仲直りではなく、ずっとくすぶったまま進んでいく。朝ドラ名物・翌日解決じゃないんですよね。

これだけじっくりじわじわ書いていてちゃんと人気があったのだから、いい時代ですよね、80年代。






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