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〜「名目」〜

〜「名目」〜
(約3万4千字)

 9月は、【肖像画家みたいな仕事】をされている先生のお手伝いをさせていただきました。
 しかし絵を描くのではなく、文章でそれを表現するのです。

 現場の人から、これから取り組みたいことをお伺いし、イメージを言語化して具体的な計画に落とし込んでいく中で、ご自身が気づかれていなかった強みを一緒に発見していく仕事は、自画像よりもその人らしい絵を描く肖像画家の仕事と、なんだか似ている気がするのです。

 そこで求められるのは、「私が考えていること」ではありません。
 「その人ご自身が考えておられること」を厳密に掘り下げ、いかにわかりやすく伝えるか…「真に自己自身のものを示す」お手伝い、と言い換えることもできるかもしれません。

 お話を聞いて文章にする。簡単そうに聞こえますが、一定以上のレベルにもっていこうと思ったら、それなりの技術や知見が必要となってきます。

 私は普段、超硬合金メーカーの人から主に製造業の動向について教えてもらっています。そのうえでマーケットの動きを見ると合点がいくことが多いです。
 しかし今回は、普段は馴染みのない分野の市場動向を調査する必要があり、いろんなことを勉強させていただきました。自分の古巣の職場の人から教えていただいたり、本業からは全く想像もできないような分野にお詳しい人からも助けていただいたり、ありがたいことです。

 「ロゴスはロゴスとして、つねに何かについて何かを語っていなければならない。そのことはオノマなしには不可能であるが、しかしオノマだけでも不可能である。ロゴスがロゴスとして成立するのはまさにその点においてである。それは何かについて何かを語ることによって、単に有意味となるばかりでなく、真偽を問われるものになる。ロゴスはつねに何かについてのロゴスであって、そこには事物との結びつきが必然となる。オノマにおいては、これまで見たところでは、その結びつきが不定であった。個々の名については、真偽は問題にならなかった。しかし何かについて何かを語るロゴスは、果してそれがそうであるかを問われなければならない。ここにオノマとロゴスの決定的な相違がある。名実は分離しても、ロゴスと事物の関係は失われてはならない。この関係を失う時、ロゴスはロゴスでなくなり、単なる名目の羅列となる。このようなものは、名目と同じことであって、オノマの否定によって容易に否定されなければならない。しかしロゴスはそれによって必ずしも否定されないであろう。」(田中美知太郎「名目」第四節)(引用者註:ロゴス…説明。名詞+動詞。オノマ…名前。名詞。)
 「かくてオノマとロゴスとは、さきに考えられたとは逆の関係において、再び区別されなければならなくなった。オノマは即物的で、ロゴスは観念的なのである。」(田中美知太郎「名目」第六節)
 「われわれはドクサを破って、自分自身へかえる。そしてロゴスは、そのような自分自身をあらわにし、真に自己自身のものを示すところに成立するのである。しかしながら、そのような自分自身にかえることが、どうして事物そのものへの途なのであろうか。」(田中美知太郎「名目」第七節)


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 10月の私のフェイスブックのカレンダーのテーマは、「障子」です。
 薄美濃紙を手がけておられる、うらべきよこさん(みの紙工房F)の切り絵…障子に映る大きい手と小さい手の影絵が私に書かせた文章の最初のものは、あまりにも感情がむき出しになっており自分でもびっくりするほどでした。書き直す前の文章はすべて削除してしまったのでもう残っていませんが、その文章に込められたものは私に何かを突き付けました。もしかしてその何かが、私が文章を書く原動力になっているのかもしれません。

 いま、世の中には、現場で輝いている人、熱い想いを抱いている人、今はしんどいけどなんとかふんばろうとがんばっている人、仕事の合間に休息している人、もう疲れちゃってゆっくりしたい人、ゆっくりと回復しつつある人、淡々と日常を過ごしている人、穏やかに死を待っている人、受け入れられない運命と格闘している人、羊水の世界から外の空気に触れたばかりの人など、いろんな人がいます。
 いろんな人からいろんなご連絡をいただくたびに、想像力の限界というものを思い知らされます。

 ところで医学は哲学と相たずさえて起りながら、すでに前五世紀にはこれと争いはじめている。
〔中略〕
 以上でギリシア医学の迷信、哲学からの独立と争いについて述べた。しかしギリシアの医学はその目をみはらせるほどの進歩にもかかわらず、超えることのできない制限をもっていたのである。
〔中略〕
 医学は先に述べたように奴隷所有制の民主主義社会の発達にともなってこうもみごとに発達したけれども、当然その社会の中にふくまれた制限につきあたったのである。またその治療さえ、暇と財産の余裕のない者には、受けることができなかった。そのような人は病気の成行きにまかせているよりほかなかった。このようにして医療のおよばない階級の存在することは、伝染病の流行を容易にするわけでもあった。
〔中略〕
 けれども人間の環境のうちでは、その日々の職業ほど密接不断にその人に影響を及ぼすものがないにもかかわらず、この問題はヒポクラテス学派によっては扱われなかったのである。こうした産業の労働者の健康に及ぼす影響は、古代でも気付かれていながら無視された。石切場や鉱山には奴隷や囚人が送られ、政府はこのような危険な職業について重大な関心を示すことがなかった。
〔中略〕
 他方、前五世紀には悲劇作家たちによる運命との闘争が、アテナイの民主主義社会建設を背景に展開されている。今は倫理観乃至は道徳思想の発生について多くを語る余裕がないが、医術の発達との関連のなかで念頭におかねばならないのは、経験科学としての医術の確立が迷信的要素を排除し、運命観の排除にも貢献があったはずだという一事である。『ヒポクラテス集展』には科学的なものの他に、道徳的乃至は倫理的内容のものが重い地位を占めているのも、このことの表れであろう。ただし『集展』のなかには、道徳観樹立のはじまりの思想をあらわすものは見当らない。われわれの所有するものは、主として前四世紀頃の倫理思想を医師の道徳に反映させたものである。
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(ヒポクラテス, 小川政恭 訳『古い医術について 他八篇』1963年1刷, 1996年32刷. 岩波文庫 青. pp. 207-211. 「解説」より抜粋)


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 9月は山とか海とかに行く余裕がなかったので、今回10月の記事のあたまには8月末に撮った写真を載せています。奈良市の秋篠寺は、苔が美しいことで有名です。

 写真では影が固定されていますが、実際には固定されていません。影が動くのは当たり前だとつい思ってしまいますが、もし地球の自転と公転の関係性が崩れたらどうなるでしょうか。あるところではいつも昼で、あるところではいつも夜になるかもしれません。
 そうなると、「明けない夜はない」という言葉は、使えないことになりますね。

 約50億年後が、太陽の終焉の時なのだそうです。熱核融合の燃料である陽子が枯渇してしまうので、コアでの陽子−陽子反応が終わり、赤色巨星へと進化するのだとか。コアは白色矮星になり、吹き出された外層のガスを電離します。そして惑星状星雲を形成します。

 「水星、金星、地球などは赤色巨星の中に取り込まれることが予想されるので、地球上の生命体は終焉を迎えることになるだろう。」(谷口義明「第2章 恒星としての太陽」主任講師 谷口義明『太陽と太陽系の科学 '18』放送大学印刷教材. p. 55. )

 星のかけらからできている私たちの体は、いつかまた新しく誕生する星を構成する要素になるのでしょうか。もしならないとしたら、私が生きている目的って、一体なんなのでしょうか。

 「『技術について』の筆者にとっては、「ひとりでに」ということが実際にあるのか、それとも単なる名目に過ぎないのかということは、医学の成否に関する重大問題だったのである。われわれにとっても、現在の事柄について説かれるところの目的や意義が、果して実のあるものなのか、それとも単なる名目に過ぎないのかということは、極めて大切な問題でなければならない。」(田中美知太郎「名目」第一節)


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1、今月は七節までですが、少し短いです

【田中美知太郎「名目 」(『ロゴスとイデア』より)】
発表:1943(昭和18)年5月『思想』
所収:1947(昭和22)年9月『ロゴスとイデア』岩波書店

 これを年代順に見ると、「ロゴス」が昭和十三年(一九三八年)、「ミソロゴス」が同十四年(一九三九年)、「時間」が同十六年(一九四一年)、「現実」が同十七年(一九四二年)、「未来」「名目」「過去」「イデア」等が同十八年(一九四三年)に書かれている。本論文集の題名『ロゴスとイデア』は、この最初の論文と最後の論文から取られたもので、詳しくは『ロゴスからイデアまで』と名づけらるべきものであった。
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(田中美知太郎『田中美知太郎全集第一巻』1968年. 筑摩書房. p. 259. 『ロゴスとイデア』あとがきより抜粋)

 今回の田中美知太郎先生の論文「名目」は、論文集『ロゴスとイデア』に収められている論文の中では、書かれた順番は最後から3番目ですが、収められている順番としては最後から2番目になります。

 いよいよ最後は「イデア」なのですが、なにしろ十五節もあります。
 『思想』には、1943年の10月、11月、12月と、3ヶ月にわたっての掲載でした。私も1ヶ月で全文の書き写しができない場合は、月をまたぐかもしれません。

 OCR(光学文字認識)などを使い、紙の本に書かれた内容をテキスト化したら、とおっしゃる方がいます。そのほうが早くて正確なのでしょう。
 しかしもともと理解度を高めることが目的で始めた、自分のための書き写しなのです。

 有り難いご提案を取り入れることのできる…つまり、「読むだけで理解できるようになる」ときまでは、カタカタとキーを叩き、ブツブツと声に出し、止まって考えながら、地道に進む予定です。

 ちなみに論文の書き写しだけでは記事が成立しません。私の考えが主で、引用部分が従であることが、著作権法32条の趣旨かと思われます。つまり私自身が自分で考えたものをある程度の分量で書くことが必要となってくるわけです。(なお、田中美知太郎先生の文章の長い引用に関しては著作権継承者の許可をいただいております)

 しかし私が寝食を忘れて書いた文章には、危険が含まれていることが多いのです。拙い文章であったとしても、せめてちゃんと寝て健やかな気持ちで書くことが、引用させていただく上での礼儀であると思っています。
 
 

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 ↑遊ぼうと思って出てきたけど、眠すぎて毛布の上でペタッとしているつーちゃん。


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 ↑今から本格的に寝るつーちゃん。(段ボールの中が好きです)


画像3


 ↑いつも股を広げた恥ずかしい写真なので、今回は可愛らしい寝相のしーくん。


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2、どこに連れていかれるかわからない文章


 先月の「ミソロゴス」の最後の節がなかなか理解できなくて、またしても図解してみたのですが、どうもしっくりきません。
 とりあえず先に進んで、全体像をつかんでからまた戻ってくるといいのかも、と思いましたが、どうやら理解力や想像力の問題でもなさそうです。

 私がnoteに書く文章というのは、自分でもどこに向かっているのかわからないまま進むので、一体ここはどこなんだ!?という状態で終わることが多いです。

 しかしだいたい仕事の場においては、「〈自分は一体どこに連れていかれるのかわからないような不安〉を読み手に感じさせる文章」はアウトとされます。
 そのため、結論から先に書く方法はよく使われています。しかしその場合、理由をちゃんと補足しているのに読まれていなかったり、後でややこしくなることもありますので注意が必要です。

 じゃあ、結論がわからないときは、どうしたらいいのでしょうか。
 それに、不安と同時に迷路みたいなスリルを求められていることだって、あるのかもしれません。

* *

 私は普段、道を歩く時でもよく迷子になっています。しかし最終目的地がわかっていれば、スマホや人に聞いたりしてなんとかたどり着くことができます。
 ですので、道に迷うことなど決してなく最短ルートで目的地までたどり着ける人をあまりうらやましいと思ったことはありません。(…いや、ちょっとはあります…)

 最短ルート以外の道を歩くパターンを考えてみました。

 1、目的地はわかっているのに、道がわからなくて迷子になる人。
 2、目的地までの道はわかっているけど、寄り道したい人。
 3、目的地がわからないまま、たださまよい歩いている人。

 …この文章は、3番ですね。ちなみに私は、散歩の時も3番のことが多いです。
 娘と出かける時は目的地がわかっている場合が多いのですが、迷子になるくせに寄り道をするのでよく娘に叱られます。今では同じところに向かうのに一緒に歩いてくれなくなりました。しかし別々に到着して困ることは、今のところ特にありません。

 わが国でもめいめいが自分をヘーゲルの立場において相手の議論を軽蔑するのにこの語を使う流行みたいなものがあったのではなかったかと思う。無内容な哲学論を批評するのには打ってつけの言葉のように思われたからであろう。さしづめ、わたしの哲学談義などもその類と見られるかも知れない。しかしまたプラトンの『パルメニデス』(一三六E )には、
「あらゆる場合を通じて徹底的にたずね歩き、あちこちと逸脱彷徨すること、このことなしには、ひとは真実なるものにぶつかって正覚を得ることはできないということを多くの人びとは知らないのだ」
ということが言われている。アテナイ人から無駄話を嘲笑されたソクラテスは、そういう無駄な廻り道をする人のようでもあった。直知と模索は別々にあるのではない。
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(田中美知太郎「理性をめぐっての彷徨」『哲学談義とその逸脱』昭和61年. 新潮選書. pp. 137-138. )


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3、「技術」だと、自分が思っていたとしても

 人から感謝されたり、自分の仕事が少しでもお役に立てていると感じられたりすると、嬉しいものです。
 自分には何かすごい技術があるんじゃないかとか、つい思ってしまいます。勘違いをしないように、常に気をつけておかねばなりません。

 他方、それとは少し違う技術というものがあるようです。それは「諸々の技術を誹謗するための技術」と呼ばれていますが、しかしそれは本当に「技術」と呼べるのでしょうか。
 2,500年くらい前にヒポクラテスが書いた文章の内容は、医学と政治の進歩という面を除けば、いま見ても古さを感じさせません。しかしおそらく当時と違うこととして、「他人の技術に攻撃を加える人々」に対抗する手段が増えていることや、対抗する人を応援する人が増えていることが挙げられると思います。

 医学の世界に限らず、多くの業界で似たような事例が案外たくさんあることを知っている私はまた、不当な攻撃をよしとしない人が少なくないことも知っています。
 その人たちは、普段は静かで目立たないかもしれないけれども、しかし社会が破綻するのを防ぐ最後の砦とも言えるのではないかと、私は考えています。

 諸々の技術を誹謗するための技術を作ったところの人々がある。もっとも彼らは自分たちは今わたしが言ったことをしようとするのではない、彼ら自身の知識を発揮しようとするのだと称している。しかしわたしの意見では、発見されずにおかれるよりも発見される方がよいところのものを発見しようとすることこそ人知の欲求でありまた課題である。また業半ばのものを完成させようとすることも同様である。これに反していかがわしい言葉の技術によって、他人の発見の結果を誹謗することにいっしょうけんめいになり、進歩は何らもたらさずに、学識ある人々の発見を学識のない人々に向かって誹謗して見せるのは、けっして人知の欲求でもなく課題でもなく、汚れた根性の徴しもしくは技術の欠如である。このような仕事は技術のない人々にだけふさわしいのである。彼らは名声を求めはするけれども何らの実力をそなえておらず、悪意によって隣人たちの立派な業績には誹謗を与え、立派でないものについては “ あらさがし ” をしようとするのである。そこで他人の技術にこのような仕方でもって攻撃を加える人々に対しては、これに関心をもつ人々がその関心の点から制止を加えるべきである。本論は、医学の技術にこのような仕方で攻撃を加えて来る人々に対して、反論を加えようとするものである、−−−−その論敵の性格からは勇気を得、その擁護しようとする技術からは手段を得、教育を与えてくれた知恵からは力を得ているのだから。
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(ヒポクラテス, 小川政恭 訳「技術について」『古い医術について 他八篇』1963年1刷, 1996年32刷. 岩波文庫 青. pp. 85-86. )


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4、各節を締めくくる文章を書き出してみました


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第一節
 「このパルメニデスの立場からすれば、現にあるものを頼みにするのは、将来を当にするのと同じことで、いずれも名目に欺かれているものと言わなければならない。現にあるからといって実際にあるのではない。いわゆる現実は必ずしも現実ではない。それは現にあるけれども、実はないのである。「名目に過ぎない」ということが言われるのは、ちょうどそのためであって、名は名として存在するけれども、しかも名づけられたものは実際に存在しないということがあるからなのである。」

第二節
 「そしてそのためには名は公共的でなければならない。もし社会的であることが人間の自然だとすれば、名前もまた自然のものでなければならない。名は名としてあるばかりでなく、国家社会のうちに自然の根拠をもっていると考えられる。観念はわれわれが自分だけでもつパトスのうちに現実性の根拠を見出すけれども、名目はそのような個人だけの所有を越えて通用するところの、社会性公共性のうちに何らかの自然的実在性を獲得すると言うことが出来るであろう。」

第三節
 「またもし首尾一貫の解釈が出来たとしても、それは別に名目の真実性を保証するものではない。論証の出発点を間違えても、そこから出て来る帰結の間には首尾一貫の論理が保たれていて、少しの矛盾も見出されないことがあり得る。しかしその首尾一貫の論理にもかかわらず、全体は虚偽なのである。法律体系が全体としていかによく整備されようとも、その根本法が間違っているならば、法令に忠実な行政司法の官吏は、整然たる秩序をもって、時には誠心誠意かえって不正不義を行っていることになるかも知れない。法令や行政が首尾一貫しないことによって、かえって根本法の間違いを修正していることもあり得るであろう。」

 「名目の欺瞞は、その社会性の故に、容易に看破されず、意外の広範囲にわたって深刻にわれわれを支配している。しかし名目に欺かれることは、国家にとっても個人にとっても、甚だ危険である。恐るべきは名目だけのレトリックである。」
 
第四節
 「従ってわれわれは、名前の勝手な分解によって、簡単にロゴスを事物に一致させることは出来ない。われわれは既に『クラテュロス』の語源論からは解放されたはずなのである。しかしながら、これによってわれわれは、言明のロゴスにあらわれた事物そのものへの必然的関連を見失ってはならないであろう。事物への関係は、語源のうちにではなく、真偽の問題のうちに示されているのである。語られたことが果してその通りであるかを問われなければならないところに示されているのである。」

第五節
 「しかし真似に上手下手があるように、立法にも上手下手がある。果して事物を事物そのままに示しているかどうかという、名の正しさはそこに考えられるであろう。しかしその正しさは名を定めた者にはよく分らない。これを批判する者は、実際にこれを使用して、事物そのものを明らかにしようとする者でなければならない(**)。すべての道具は使用者が良否を実地に試験するのである。知識や経験の増大変化と共に、名は絶えず作られ、絶えず試されているのである。」

第六節
 「われわれは立法者に対して、命名する前にものを知ることを要求したが、それはまたわれわれ自身への要求となった。われわれは名実の一致を事物の知識によって確かめなければならない。われわれと立法者との相違は、彼は未だ名を知らないけれども、われわれは既に名を彼から教えられているということであり、彼は神授によって直接に事物を把握したかも知れないが、われわれは探求によって事物に肉迫しなければならないということである。そしてそのためには、われわれは立法者に教えられた名目を批判し、すべてをロゴスのうちに見るようにしなければならない。われわれは一度自分自身に立ちかえらねばならぬ。知識はわれわれ自身のうちに獲得され、ロゴスはわれわれ自身のうちから語られねばならないからである。」

第七節
 「そのようにして、世間なみの考えを語るのではなく、むしろ世に背いても、自分自身で本当に考えたことを、再び世に問うというのが、言明としてのロゴスでなければならない。無論、それの真偽は問題となり、いろいろな異論が起るであろう。しかしながら、真偽が問題にならないということは、必ずしもそれが真実であることを保証するものではなく、かえってそれの欺瞞が発見に困難であることを示す場合が少なくない。直接の見聞や社会の通念は多分にその危険をもっている。われわれはこれをロゴスとして示すことによって、はじめてその誤謬に気づく。従ってわれわれは、ロゴスに訴えることによって、事物から遠ざかるのではなく、かえって真実に近づくのである。ロゴスはオノマから成るけれども、出来るだけ名目から解放されることを求める。よきロゴスにおいては、ひとはただロゴスを聞き、オノマの存在には気づかないでしまう。それは単なる名目綜合のレトリックではなく、むしろ事物への論理なのである。かくてわれわれは、『クラテュロス』における「名目をはなれて、事物そのものを探求せよ」という要請と、「ものはまずロゴスのうちに見られなければならぬ」という『パイドン』の要請とが、必ずしも矛盾するものではないことを知る(*)。しかしまた同時にわれわれは、ロゴスが道程であることを忘れてはならないであろう。それは事物の表面に附着している名目やドクサから始めて、その究極は忽然として最も善美なるものを見るに至るまでの困難な道程なのである。プラトンの第七書簡(三四四B )には、「名付けられたり(オノマ)語られたりするもの(ロゴス)と、見たり聞いたりする感覚的事実とが互いに揉み合わされて、好意の吟味が加えられ、腹蔵のない問答が取りかわされて、やっとそれぞれについての智慧が輝き出し、理知が人間能力の最大限に達する」と言われている。このような吟味と問答のロゴスに媒介されてわれわれの観念はドクサから知性の最高なものに純化され、事物との表面的な接触が、それの根本的な把握にまで深められるのである。」


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【田中美知太郎「名目 」(『ロゴスとイデア』より)】


発表:1943(昭和18)年5月『思想』
所収:1947(昭和22)年9月『ロゴスとイデア』岩波書店 
今回の引用:
1)1968(昭和43)年10月『田中美知太郎全集第一巻』筑摩書房. pp. 171-197. 
2)2014年(平成26年)6月『ロゴスとイデア』文春学藝ライブラリー. pp. 242-279. 
3)1947年9月第1刷, 1977年7月第3刷『ロゴスとイデア』岩波書店. pp. 219-253. 


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1933 国際連盟脱退通告。塘沽停戦協定。/京帝大滝川事件。/ドイツ, ナチ党政権独立。アメリカ, ニューディール政策開始。
1934 満州国帝政実施。/丹那トンネル開通。
1935 天皇機関説, 問題となる。国体明徴声明。/湯川秀樹, 中間子論。第1回芥川賞・直木賞。/イタリア, エチオピアに侵入。
1936 二・二六事件。日独防共協定。/スペイン内戦(〜1939)。西安事件。
1937 盧溝橋事件:日中戦争。日独伊防共協定。/文化勲章制定。国民精神総動員運動。
1938 近衛声明。国家総動員法。張鼓峰事件。/ミュンヘン会談。
1939 日米通商航海条約廃棄通告。/独ソ不可侵条約。第二次世界大戦(〜1945)
1940 北部仏印進駐。日独伊三国同盟成立。/津田左右吉著書発禁。/南京に汪政権。
1941 日ソ中立条約締結。南部仏印進駐。ハワイ真珠湾攻撃:太平洋戦争(~1945)。/国民学校令公布。/大西洋憲章。独ソ戦争。
1942 翼賛選挙。ミッドウェー海戦。/関門海底トンネル開通。
1943 ガダルカナル撤退。学徒出陣。/イタリア降伏。カイロ会談。イタリア降伏。カイロ会談。
1944 サイパン島陥落。本土爆撃本格化。

1945 東京大空襲。アメリカ軍,沖縄本島占領。広島に原子爆弾。ソ連参戦。長崎に原子爆弾。ポツダム宣言受諾。降伏文書に調印。連合国軍の本土進駐。五大改革指令。財閥解体。農地改革指令。新選挙法(女性参政権)。労働組合法。/ヤルタ会談。ポツダム会談。国際連合成立。インドネシア独立。

1946 天皇人間宣言。公職追放令。農地改革。金融緊急措置令。極東国際軍事裁判開始。日本国憲法公布。/第1回日展。第1回国民体育大会。当用漢字告示。/フィリピン独立。インドシナ戦争(〜1954)。
1947 二・一ゼネスト中止。労働基準法。独占禁止法。日本国憲法施行。/教育基本法・学校教育法公布。六三制実施。/インド・パキスタン分離独立。コミンフォルム結成(〜1956)。
(年表:山川出版社『詳説日本史B』p. 424より)

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(なお書き写しに関しましては、田中美知太郎先生の著作権継承者である田中氏より、長い引用大丈夫ですと許可をいただいております)

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    一

 「それは名目に過ぎない」ということがよく言われる。例えばヒッポクラテス全書のうちに収められている『技術について』の筆者は、ひとりでに病気がなおるというような場合の、「ひとりでに」は名目に過ぎないのであって、実際にはそのようなものは何もない( ούσίην ἔχον ούδεμίην ἀλλ' ἢ ὄνομα )ということを述べている(*)。そしてこのような言い方は既にパルメニデスにおいて見出されるものなのである。彼は生成や変化や運動が結局において否定されなければならぬということを、「それらすべては死すべき者どもが真実と信じて定めた名目に過ぎぬであろう」( Fr. 8. 38-41 )というふうに述べている。われわれは名目(オノマ)が一個の哲学的概念であることを知らなければならない。言葉としては、それは「名前」であり、「単語」であり、「辞句」であり、また「言葉」なのである。しかしながら、概念としては、それは名実の不一致、あるいは対立を特に強調するものとなっている。名目は実のないことにおいてまさに名目なのである。『栄養について』の筆者は、「栄養は栄養となり得なければ、栄養ではない。栄養でないものでも、栄養となり得れば栄養である。名は栄養でも、実は栄養でないことがあり、実は栄養でも、名はそうでないことがある」(**)と述べている。われわれは名( οὔνομα )が実( ἔργον )に対するものであることを知る。「弓にはビオス( βιός )すなわち生( βίος )という名があるけれども、実の仕事は死なのである」というヘラクレイトス(Fr. 48 )の言葉は、アクセントの相違による単語「ビオス」の二義性を利用して、たくみに名と実とのこの対立を言いあらわしたものと見ることが出来るであろう。名目に欺かれる者は、生を求めて、かえって死を得なければならない。名実の対立もまたまことに容易ならぬものをもっていると言わなければならない。

*  Hippocrates, De arte 6. 
** Hippocrates, De nutrimento 21. 

 このような名と実の対立から、われわれは中世における名目論と実在論との対立を思い浮べることが出来る。普遍はそのまま実在するものなのか、それとも単なる名目に過ぎないのかということを、人々は教会や人類の普遍性に関連して、熱心に議論し合わなければならなかった。しかしながら、名目か実在かという問題は、中世だけの特殊な問題ではない。実を言えば、われわれは日常このような問題に当面しているのである。われわれは自分の現になしつつある仕事の意義を信じ、将来にかけられた希望の実現をねがっている。しかし時にはまたそれを疑わなければならなくなることもある。『技術について』の筆者にとっては、「ひとりでに」ということが実際にあるのか、それとも単なる名目に過ぎないのかということは、医学の成否に関する重大問題だったのである。われわれにとっても、現在の事柄について説かれるところの目的や意義が、果して実のあるものなのか、それとも単なる名目に過ぎないのかということは、極めて大切な問題でなければならない。中世スコラ哲学は実在論をもって始まり、名目論をもって終っている。歴史の変化は、ひとたび実在と信じられたものが、たちまち名目に過ぎなくなることを教えている。パルメニデスの出現は、彼以前の自然哲学にとって自明であったところの、生成変化運動等の根本思想から、その実在性を奪って、これらを「死すべき者どもの定めた名目に過ぎぬ」となすに到らしめた。名目の問題は、パルメニデスにおいて、ひとつの極点に達したと考えることが出来る。人々は普遍については、容易にその実在を疑うであろう。またわれわれの希望に過ぎないものについても、人々はそれを名目に止まると考えるかも知れない。しかしながら、現にわれわれが見ているもの、現にわれわれのパトスとしてもっているもの、かくのごときものについては、われわれはこれを疑い得ない。人々はこれを現実と呼ぶであろう。しかしそれはパルメニデスにとって、ただ名目上そう呼ばれているに過ぎない。われわれが現に見たり、感じたりしているものは、それがわれわれにとっていかに切実であろうとも、ついに実物ではないのであって、「死すべき者どもが真実と信じて定めた名目」に過ぎないのである。このパルメニデスの立場からすれば、現にあるものを頼みにするのは、将来を当にするのと同じことで、いずれも名目に欺かれているものと言わなければならない。現にあるからといって実際にあるのではない。いわゆる現実は必ずしも現実ではない。それは現にあるけれども、実はないのである。「名目に過ぎない」ということが言われるのは、ちょうどそのためであって、名は名として存在するけれども、しかも名づけられたものは実際に存在しないということがあるからなのである。

    二

 しかしまた同じような関係は、観念と実在との間にも考えられるであろう。われわれが現に感じていること、現に見ていること、現に思い浮べていること、現に考えていることなどは、われわれ自身にとってその現在は疑いないところではあるけれども、しかし要するにそれはわれわれ自身にとってそうあるだけで、そのほかにも実際にそうあるかどうかは疑わしいとも考えられる。いわゆる観念論と実在論との対立は、名目論と実在論との対立とそれほど違ってはいないのである。かりにわれわれがパルメニデス哲学の立場にあるとすれば、現にわれわれが見ているすべてのものは名目に過ぎないのであって、真実在は別にあるものと考えなければならなくなる。これに対していわゆる名目論の立場にある人たちは、パルメニデスの真実在こそ名目に過ぎないのであって、われわれの現に見ているものの方が実在なのであると主張するであろう。観念論の主張もまた同様であって、われわれの現に見ているものの観念性を主張して、そのほかに真実在を考える超越的実在論と、かかる実在こそ観念に過ぎないのであって、真の実在はわれわれが日常経験しているものより外にはないとする経験的実在論とは、ちょうど反対のものに同じ言葉を用いているのである。しかしこれらの対立を通じて、名目と観念とが、実在から区別される限りにおいて、つねに仮象の意味を伴うことは否定出来ないように思われる。それはちょうど “ ある ” けれども、しかし “ ない ” ものなのである。その仮象という性質において、しかし名目と観念とは区別すべき点をもっている。観念がちょうど “ ある ” ものと考えられるのは、それが直接われわれに与えられていると考えられるからなのである。現にあるもののみを頼みとする時、われわれは自分自身の現在のパトスというようなものをわれわれの最も確実な所有と見なければならなかった。そしてこのようなものが現実だとすれば、観念もまた一個のパトスとして、まさに現実的だと言わなければならなくなる。現にわれわれが考えたり、思い浮べたり、まのあたりに見ている観念をわれわれは疑うことは出来ない。しかしそれにもかかわらずわれわれは、現実が何かわれわれのパトスを越えたものであることを知らねばならなかった。われわれの見ていた現象が仮象に過ぎなかったことを知らねばならなかった。観念は何かわれわれの内部にあるけれども、実在はわれわれの外にある。われわれは観念がわれわれの個人的な所有としてのみ現実であることを知らなければならない。

 ところが、名目はむしろ公共的なものである。そしてその公共性が名目に何か実在的な仮象を与える。われわれは自分だけの私念を恐れる。そして現実は何か個人的なパトスを越えたものでなければならないと考える。そういう場合、名目が自分だけのものではなく、他人にも通用するのを見ると、その超個人性の故に何か現実に近いものをもっていると考える。しかしながら、社会的であるということが直ちに実在性を意味しはしない。古人は法律や習慣によって定められたものを自然のものから区別した。法律や習慣によって定められたものは、時と所によって互に異り、矛盾することもあるが、自然にはこのことがない。法律や習慣に反した行いは、見つかれば刑罰や恥辱を免れないが、誰にも気づかれなければ、すこしもそのようなものを受けずにすむ。しかし自然のものは、可能な限度を越えてこれに無理を加えれば、見ている者がいてもいなくても、必然に悪い結果が伴うというようなことが、古人によって主張されている(*)。『技術について』(**)の著者によれば、名目もまたちょうどそのような習慣や法律によって定められたもの( νομοθετήματα )なのであって、パルメニデスも「名目」については、「死すべき者どもが真実と信じて定めた」という言葉を附加することを忘れなかったのである。たしかに名前は人間がつけたものなのである。しかも人間の命名は、デモクリトスが指摘しているように、極めて不完全なのである。われわれは異る事物に同じ名を用いるかと思えば、同じものを異る名で呼んでいる。変名も出来るし、名前の不足にも平気でいる(***)。名は自然に定まっているとは言うことが出来ない。むしろそれは名づける者の勝手だとさえ考えられる。

(*)  拙著『ソフィスト』(教養文庫)一七四頁以下参照。
(**) De arte 2. 
(***)Proclus, Scholia in Platonis Cratylum 16. (ed. Boissonade, pp. 6-7 )

 極端な議論をすれば、「ものを正しい名で呼んだかどうかということは、協定と同意の上でどちらにでもきまることなのである。なぜなら、ものにひとが何でもひとつ名をつければ、それが正しい名となり、また別の名をもう一度つけかえて、前の名はもう呼ばないようにすれば、これも前のと少しも違わずに正しい名となることは、ちょうどわれわれが勝手に召使の名を変更する場合に同じだと思われるからである。というのは、名はどれも自然にそれぞれのものについているというようなことは決してないのであって、それの慣用をつくり、その名を呼んでいる者の認定と習慣によってつけられているのだからである」というようなことも言われるであろう。これは無論、いまも注意したように、極端な議論であるが、しかしプラトンは『クラテュロス』(三八四D )のなかで、対話の出発点として、このような主張を取り上げているのである。そこでは世間が「人」と呼んでいるものを、自分だけは「馬」と呼び、逆に世間が「馬」と呼んでいるものを、自分だけは「人」と呼ぶことの可能性が論じられている。このような場合には、名の公共性さえも失われて、それは観念と同じように、自分だけのものとなってしまう。しかし自分だけにしか通用しない言葉というものは、言葉としての本来の機能を失ったものとも考えられるであろう。言葉はどこまでも社会的なものであって、言葉の成立は社会の成立と共に考えなければならない(*)。まことに、言葉をもてる動物としての人間はまた同時に社会的動物でなければならなかった。われわれがものに名をつけるのはいたずらではない。それは互いにわれわれが教え合うための手段( διδασκαλικόν τι ὄργανον )なのである(**)。そしてそのためには名は公共的でなければならない。もし社会的であることが人間の自然だとすれば、名前もまた自然のものでなければならない。名は名としてあるばかりでなく、国家社会のうちに自然の根拠をもっていると考えられる。観念はわれわれが自分だけでもつパトスのうちに現実性の根拠を見出すけれども、名目はそのような個人だけの所有を越えて通用するところの、社会性公共性のうちに何らかの自然的実在性を獲得すると言うことが出来るであろう。

(*) 言語の成立に関する社会的考察は、ソポクレス『アンティゴネ』の合唱(三三二 − 三八〇)やプラトン『プロタゴラス』の説話(三二〇 C 以下、特に三二二 A )中に暗示されているけれども、判然たる形ではディオドロスの Bibliotheca historica I. 8 のうちに説かれている。ラインハルト( Reinhard, Hermes 47, 1912, ss. 492ff. )は、これの内容がデモクリトスの「小ディアコスモス」に由来することを主張し、ディールス( Diels, Vors. 4. Aufl. II. Bd. ss. XI - XIV )クランツ( Diels = Kranz, Vors. 68B. 5  )も大体この意見に従っている。
(**)Plato, Cratylus 388BC, 428E, 435D 

    三

 しかしながら、名目の社会性が直ちに名づけられたものの実在性を保証するかどうかは疑問である。世間が「人」と呼んでいるものを、自分だけで「馬」と呼ぶことは、世間に通じないにしても、とにかく可能なことであって、地方的に名称が逆であるような事実をわれわれは少なからず知っている。そして外国語の存在というようなものがわれわれに、名と物との結びつきは決して自然に一定しているものではないということを教えてくれる。従って、名はわれわれが互に教え合うためにつけられたとしても、われわれは名目だけを頼りにして事物を知ることが出来ると信じてはならないであろう。なるほど、文字を学ぶことは学問のはじめであり、幼児はまず名前を教えられる。われわれは言葉を通して先人に学び、知識の歴史的集成を受けつぐのである。しかしながら、いま一国一社会に通用する言葉の歴史を遡って、そのはじめにこれを発明した神話上の立法家を想像してみると、彼だけは自分が言葉を発明するまでは、言葉なしに存在したわけである。ところで、もし事物は言葉によってのみ知られるのだとしたならば、彼はいかにして事物を知ることが出来たであろうか。彼は自分の発明した言葉によって、始めてものを知るのであろうか。しかしそれならば、どうして名を発見することが出来たであろうか。ものを知らないで、ひとはそれに名をつけることが出来るであろうか。ものを知らせるために名が出来たとすれば、ものの知は既にその時に存在しなければならない。従って「名前のたすけなしにものを知ることも可能だ」(*)〔※1〕と言わなければならない。否、単に先人の糟粕をなめるだけでなく、自分で新しく発見しようとする者は、「名目からではなく、むしろ事物をそれ自体から探求して、学ぶようにしなければならない」(**)わけである。

(*) Cratylus 438E. 
(**)ibid. 439B. 

〔※1〕引用者註:全集には、*がないが、岩波版(1947,1977 3刷)に従い、*を入れた。


 かくてわれわれは、名のみを頼りにして、名を知れば、ものを知ることが出来ると、簡単に信じ込んでしまうわけにはいかないのである。しかし実際には、名の解釈によって、既に事物が明らかにされたように思い込む場合が少なくない。単語を勝手に分解して、何か語源に遡るかのように見せかけながら、事物の深い意味を説く智者たちをわれわれもまた知っている。プラトンの『クラテュロス』のなかでは、このような語源論によって、万物流転の哲理が面白く説かれているが、それは要するに一個の戯論であって、逆に万物静止の原理も同様の語源論によって説かれ得ることが示されている(*)。個々の名前は、勝手な解釈をすれば、どんなにでも解かれる。しかし二三の名前について解釈し得たことを、他のすべての名前に及ぼすことは困難である。名は慣用によって通用しているのであって、これを首尾一貫の論理によって解釈し尽すことは不可能に近いからである。またもし首尾一貫の解釈が出来たとしても、それは別に名目の真実性を保証するものではない。論証の出発点を間違えても、そこから出て来る帰結の間には首尾一貫の論理が保たれていて、少しの矛盾も見出されないことがあり得る。しかしその首尾一貫の論理にもかかわらず、全体は虚偽なのである。法律体系が全体としていかによく整備されようとも、その根本法が間違っているならば、法令に忠実な行政司法の官吏は、整然たる秩序をもって、時には誠心誠意かえって不正不義を行っていることになるかも知れない。法令や行政が首尾一貫しないことによって、かえって根本法の間違いを修正していることもあり得るであろう。一個の慣用物として、まさに法定物にも比すべき名目は、それだけをいかに徹底的に解釈し、これに首尾一貫の論理を与えたとしても、われわれは語源における誤謬、名前制定者の誤謬に遡り得るだけで、それ以上は事物そのものに迫り得ないであろう。名目にあらわれた命名者の思想を追求しても、名づけられた事物そのものは捉えられない。名目は人々が事物について考えていることを伝えるけれども、事物そのものについて教えるとは言われないであろう。

(*)Cratylus 437c, 397D, 402A, 436E etc. 

 われわれは名目が人間の定めたものであることを忘れてはならない。それは互いに教え合う目的を果すためには、個人の勝手な使用を許さない一面をもっている。その超個人性が名目に実在性の仮象を与える。しかしながら、それが個人の私有を越えて、人々の間に通用するのは、ただ慣用によるのであって、別に普遍妥当性とか、客観的実在性とかによるのではない。どうしてそれが「人」と呼ばれ、「馬」とは呼ばれないのかは、いかほど語源に遡っても説明はされない。それはただそう呼ばれる習わしなのである。この習わしがすなわちまたノモスなのであって、それは国家社会の成立と共に始まる。ポリスの成立には建国の神話があり、立法者の伝説がある。法(ノモス)によって定められたものとしての名目は、その成立を立法者に負うていることになる。それは従って国家社会によって異らねばならない。名目が法律や習慣によって定められたものであって、自然に与えられたものではないというのは、まさにこの意味である。われわれがいかに法定物の歴史や文化を解釈して、これに首尾一貫の説明を与えたところで、それは『クラテュロス』の語源論と異るところはない。ひとはそれの逆を説明することも出来るであろうし、立法者に始まる根本の間違いを指摘することも出来るであろう。語源論によって世界を説明し、名目によって事物を解明することの愚を覚らせるものは、実に外国語の知識なのである。外国語の学習を一般的教養のうちに取り入れていないことは、ギリシア人文主義のひとつの弱点であって、イソクラテスの教育はクインティリアヌスのそれに比して、甚だしく浅薄狭小である。アカデメイアの教育をこのような欠陥から救ったものは、数学自然科学の研究が一般的教養のうちに取り入れられていたという一事のほかにはない。もし彼等に数学自然科学の研究がなかったならば、事物そのものへの探求は著しく阻害されたであろう。

 教育の第一歩は、自国のノモスを学ぶことから始められねばならない。それの第一歩はまず名を覚えることである。しかしながら、教育はかかる名目だけに終始することは出来ない。われわれは名をつけただけで、ものを完全に支配することは出来ない。われわれは立法だけで国を治めることは出来ない。どの国も法令を出し、これを徹底させるためにあらゆる努力をしている。しかしある国は興り、他の国は亡びる。ある国は難局を打開し、他の国は破局を招来する。それはちょうどかの論証の場合と同じであって、立法の根本精神や根本国策に間違いがあったならば、いかに法令を整備して、これを徹底させたところで、困難はかえって大となるばかりだからである。政治家は何が真に国家のためであるかを知って、その目的のために法を定めなければならない。それはしかし立法によっては知られない。ちょうどそれは名の制定者が、名づける前に知っていなければならないものを、名づけることによって始めて学ぶことが出来なかったと同じである。事物をそれ自体から( αύτά έξ ἑαυτῶν )学び、名目や法律に頼らないことが、真の立法者には絶対に必要なのであって、真の教育は名目を学ぶことではなくて、事物の新たなる発見に至らなければならない。そのためには、外国語の学習と数学自然学の研究が重要な教育手段となる。このような教育を欠く時、われわれは名と実を区別することが出来ず、文字を学ぶことによって、事物を知ったと思いあやまり、甚だしい場合には、名目を実体化して、その魔力を信ずるがごとき迷信に堕するであろう。名目の欺瞞は、その社会性の故に、容易に看破されず、意外の広範囲にわたって深刻にわれわれを支配している。しかし名目に欺かれることは、国家にとっても個人にとっても、甚だ危険である。恐るべきは名目だけのレトリックである。

    四

 かくてわれわれは、名目に欺かれないために、名実の区別を厳にし、名目はただ慣用によって存立し、時と所で全く異るということを忘れないようにしなければならない。それはわれわれが真にものを知るための絶対的要請なのである。しかしながら、われわれがこのようにして事物そのものを、個人のパトスや世間の名目を越えたところに求めようとする時、われわれはすべての観念や言葉をむしろ邪魔物と感じなければならない。それはわれわれをミソロゴスとするかのようである。一切の説明や理論は余計であって、ただ事実がありさえすればよいというようなことが、事物そのものに肉迫することを仕事としている実証家たちによって言われたりする。しかしそれはまた哲学者の感情でもあった。第七書簡を書いた時のプラトンは、哲学的真理がやすやすと書物になり、またそこから造作なく学べると思っている人たちに、はげしい怒りを感ぜずにはいられなかった。彼は真の実在をそれの名前からも、説明からも、図解からも、また観念からも区別しなければならなかった(*)。図面に描かれた円は消すことが出来るけれども、それによって円そのものは消えはしない。心のなかにも円の観念がのこっている。しかしこのような観念も直ちに円そのものと同一視することは出来ない。観念は心のうちにもあるけれども、円そのものはそれ自体で存在し、他の何もののうちにもないと考えられるからである。これに対して、名前は声音や形象のうちにある。しかも「ものの名はどれのも確かではなく、いま円と呼ばれているものを角と呼び、いま角と名づけられているものを円と名づけるのに、何の困難もないのであって、名をかえて逆に呼んでみても、不確かなことは同じだ」(三四三AB )と考えなければならない。そして「同じことは、もしロゴスがこのような名詞と動詞を綴り合わせて作られるものとすれば、ロゴスについても言われなければならない」(同上)のである。われわれはここにおいて、オノマ(名)の否定が直ちにロゴスの否定に及ぶのを見る。

(*)同書簡三四二A 以下。

 しかしながら、ミソロゴスの精神というものは、『定義集』(四一五E )にも言われているように、結局は非哲学的精神なのである。プラトンは『パイドン』(八九D )において、ミソロゴスとなることを戒めているが、また更に「事物の真相はロゴスのうちに見るべきである」(九九E )ということを説いている。これは今までに言われたことと矛盾するようである。無論、これがプラトン解釈の問題に止まるならば、解決の方法もまた別にある。簡単な行き方としては、この矛盾の故に第七書簡を偽作として否定することも出来るであろう。少なくとも当の部分は疑うことが出来るであろう。あるいはまたそれが矛盾ではないことを解明することも出来るであろう。しかしながら、問題はそこにはない。われわれの問題は、「事物を知るには、言葉からではなく、事物そのものを事物そのものから探求しなければならない」という『クラテュロス』(四三九B )の要請と、「事物の真相は、直接これを耳目で捉えようとすれば、日蝕観測に太陽を直視する者が目を損ねるように、精神はかえって盲目となって何も見ることが出来なくなるから、われわれはむしろ事物に直面するのを避けて、これをロゴスのうちに見るようにしなければならぬ」という『パイドン』(九九E )の要請との間にあって、われわれ自身をどうするかということなのである。われわれは哲学を否定し、すべての学問を否定するのでなければ、単純にミソロゴスとなることは出来ない。しかしその哲学は真実を狩猟する者( θηραταί ἀληθείας )の道である限り、われわれは真実在に肉迫して、事物をそれ自体から理解しようとする努力をすてることは出来ない。

(*)Diog. L. VIII. 8. 

 問題は事物とロゴスとオノマの間にある。これまでに見られたところでは、名実の区別は結局においてオノマの否定となった。そしてそれがまたロゴスの否定に及ぼうとしているのである。しかしながら、オノマとロゴスは果して同じものであろうか。第七書簡の著者はこれを同列に取扱っていた。彼にとっては、描かれた円も観念の円も、また円の名前(オノマ)も説明(ロゴス)も、円そのものでない限り、同類と見なすべきものであった。オノマについて言われることは、またロゴスについても言われなければならない。なぜなら、ロゴスはオノマ(名詞)とレーマ(動詞)を綴り合わせて出来たものだからである。われわれは『クラテュロス』(四三一B )においても、同じようなロゴスの規定を発見することが出来る。しかしながら、ロゴスはオノマから出来ているにしても、オノマがすなわちロゴスなのではないであろう。『ソピステス』(二六一C − 二六四B )はこの間の区別を明確にしている。狭義のオノマは事物の名であって、事物の作用や動作を示す動詞(レーマ)からは区別される。そしてロゴスはこの両者を綴り合わせたもの( πλέγμα )なのであるが、しかしそれは名詞や動詞をただ並べて出来るものではない。結合が悪ければ、個々の言葉には意味があっても、それから組立てられたロゴスには意味がないことになる。ロゴスはロゴスとして、つねに何かについて何かを語っていなければならない。そのことはオノマなしには不可能であるが、しかしオノマだけでも不可能である。ロゴスがロゴスとして成立するのはまさにその点においてである。それは何かについて何かを語ることによって、単に有意味となるばかりでなく、真偽を問われるものになる。ロゴスはつねに何かについてのロゴスであって、そこには事物との結びつきが必然となる。オノマにおいては、これまで見たところでは、その結びつきが不定であった。個々の名については、真偽は問題にならなかった。しかし何かについて何かを語るロゴスは、果してそれがそうであるかを問われなければならない。ここにオノマとロゴスの決定的な相違がある。名実は分離しても、ロゴスと事物の関係は失われてはならない。この関係を失う時、ロゴスはロゴスでなくなり、単なる名目の羅列となる。このようなものは、名目と同じことであって、オノマの否定によって容易に否定されなければならない。しかしロゴスはそれによって必ずしも否定されないであろう。

 厳密に言えば、われわれはアリストテレスと共に、単なるロゴスと、 ἀπόφανσις としてのロゴスを区別しなければならないであろう(*)。希望や命令や詠歎をのべるロゴスについては、われわれは真偽を問わないからである。それはわれわれ自身の意志や感情を表白するのが主であると言わなければならない。無論、 ἀπόφανσις のロゴスといえども、何が何であるかということについての、われわれ自身の意見の表明である。しかしそこではわれわれ自身よりも事物そのものが問題となる。真偽が問題となる。そしてこのことがロゴスにおいて問われる限り、われわれはロゴスのすべてをオノマと同列に取扱うことは出来ない。オノマの否定が直ちにすべてのロゴスに及ぶと考えることは出来ない。無論、オノマとロゴスの区別は、単なる表白( φάσις )のロゴスにおいても既にこれを認めることが出来る。アリストテレス(**)に従えば、オノマもロゴスも等しく意味をもってはいるが、オノマの部分たる音節や字母は単独では意味をもたないけれども、ロゴスの部分に当る単語はそれだけで独立の意味をもち得るから、われわれはそこに既に両者の区別を見ることが出来るであろう。しかしながら、既に見られたように、両者の区別は何かについて何かを言明するところの、いわゆる ἀποφαντικός λόγος においていっそう明確になることは言うまでもない。従ってもしわれわれが、すべてのロゴスを言明(アポパンシス)のロゴスに本質還元することが出来、そのアポパンシスやアポパンティコスのもとの意味を、事物を事物そのものから( ἀπό )見せる( φαίνεσθαι )というような意味に解釈することが出来るとしたならば、われわれはロゴスをむしろ事物そのものの側におくことによって、オノマとロゴスの区別を名実の対立に同じくすることが出来たであろう。ロゴスの立場は、「事物を事物そのものから」という『クラテュロス』の要請に完全に一致するわけである。しかしながら、それは άποφαίνεσθαι の正しい意味ではないであろう。この言葉のもとの意味は、γνώμην άποφαίνεσθαι などという言いあらわしにも見られるように、むしろ自分自身の意見などを「表明する」ことにあると言わなければならない(***)。中動形式( medium )は、「あらわにする」はたらきを、あらわにされる事物そのものよりも、むしろあらわにする者自身へと再帰させているのである。従ってわれわれは、名前の勝手な分解によって、簡単にロゴスを事物に一致させることは出来ない。われわれは既に『クラテュロス』の語源論からは解放されたはずなのである。しかしながら、これによってわれわれは、言明のロゴスにあらわれた事物そのものへの必然的関連を見失ってはならないであろう。事物への関係は、語源のうちにではなく、真偽の問題のうちに示されているのである。語られたことが果してその通りであるかを問われなければならないところに示されているのである。

(*)  De interpretatione IV. 17a 2-3. 
(**) ibid. II. 16a 19-20 ; IV. 16b 26-27. 
(***)オックスフォード希英大辞典などを見よ。中動形はつねに「自分のを示す」である。「自分の意見を表明する」というような慣用句については、たとえば Pollux, Onomasticon II. 129 ; IV. 27 などを見よ。他の用例はほとんど無数であるが、なかんずくアリステイデス( Aristides, Ars rhetorica II. 15, ed. W. Schmidt )が、「とにかく私の思うところでは」というような言い方を、特に「アポパンティコス」と呼び『ディオゲネス・ラエルティオス』(三の五二)では、「不明なことについては判断を控え、誤謬は徹底的に吟味反駁する」というようなことに並べて、「自分がたしかに把握した事柄については、自己の見解を披瀝する」ということが言われていて、そこにこれの中動形が用いられているが、これらはいずれも特に興味ある実例と言うことが出来るであろう。のみならず、アリストテレス自身、問題の書 De interpretatione の問題の章(五)において〔※2〕 άποφαίνεσθαι を「ひとの質問に応じ、あるいは自らすすんで」( 17a 19-20 )なされるものと規定している。それが他の用例に見られるものと同じく、「自分の意見をのべる」意味であることは明らかである。これに反して、 der λόγος lässt etwas sehen, nämlich das, worüber die Rede ist und zwar für den Redenden ( Medium ) …… von dem selbst her, wovon die Rede ist. というような解釈は、全く架空の解釈と言わなければならない。中動形の解釈などは無理にとってつけたようである。無論、このような解釈によって意図されているところのものに対しては、理解と同情をもち得ないではないが、しかしこのような解釈を無批判に受けいれて、ギリシア語のロゴスが根本において事実このような意味を持っていたと信じて、これを歴史的事実のようにして説くことは許されないように思う。

〔※2〕引用者註:全集ではこの場所に( があるが、受けるものがない。岩波版に従い、( は外した。


    五

 しかしわれわれは、果してどこまでロゴスとオノマを区別することが出来るであろうか。オノマはそのまま直ちにロゴスではないにしても、オノマなしにはロゴスは成立たない。コプラだけでは命題にならない。しかしそのオノマは慣用によって存立し、ノモスによって定められたものである。従ってわれわれは、ロゴスにおいても同様の一面を認めなければならないであろう。オノマもロゴスも意味をもつ点は同じであるが、オノマの部分にはもはや意味がなく、ロゴスの部分にはなお独立の意味があると言われた。ロゴスそのものの意味は無論オノマの意味と区別されなければならないが、しかしロゴスの意味は、その部分が意味をもたなかったなら、決して生じなかったであろう。オノマが意味をもたなかったなら、決して成立しなかったであろう。しかしオノマそのものはどこから意味を得たのであろうか。オノマそのものの部分はもはや意味をもたないのである。アリストテレスによれば、それは名がシンボルとなることによってである。すなわちオノマは自然に意味をもっているのではなく、ただ協定( συνθήκη )によって有意味なのである(*)。ものはすべて協定によって σύμβολον となる。そしてロゴスの意味もまた協定によると考えなければならない(**)。いわゆる文章法は、ロゴスの理解されるノモスが、いろいろ時と所で異ることを教えてくれる。ロゴスの理解もまた社会の慣例によらなければならない。

(*) De interpretatione II. 16a 26-28. 
(**)ibid. IV. 17a 2. 

 すると、慣用によって存在することは、ロゴスもオノマも同じだということになる。従ってもしロゴスのもつ法定物たる性質が、それの真偽性や事物そのものへの必然的関係と両立し得るものだとするならば、同様のことはまたオノマについても考えられなければならない。われわれはもう一度名実の関係を考え直してみなければならない。名をわれわれは互いに教え合うための手段( διδασκαλικόν τι ὄργανον )と規定した。それが社会的必要によって生じた法制的なものであることは、既に見られた通りである。しかしながら、互いに教え合うのはわれわれであるとしても、それは何を教えるのであろうか。それはわれわれがもっている知識や経験であると考えられる。しかしながら、それは何の知識であり、何の経験なのであろうか。われわれはそこに名と実との連絡を見つけることが出来る。ものを何と呼ぶかは、人々の勝手であり、慣用によって異ると考えられるであろう。しかし何かものが呼ばれなければならないことはたしかである。すなわち名づけられるものがなければならない。そして名はそのものとの関連を欠くことが出来ない。その点、ロゴスもオノマも同じだと言わなければならない。しかしながら、事物が果して言われた通りであるかどうかの真偽問題は、ロゴスについてのみ問われ、オノマについては問題にならないとも考えられるであろう。しかし既に観念については、一種の falsitas materialis というものが考えられている。すなわち「本来の意味の虚偽は判断のうちにのみ見出されるけれども、しかし観念が事物を事物そのままに再現しない場合には、別に内容的な一種の虚偽が観念の間に存立するようなことはたしかである」と言われている。従って、『クラテュロス』の主題として示されている「名の正しさ」( όρθότης όνομάτων )というようなものも、この見地からすれば、必ずしも無意味ではないと言われることになるであろう。そこでは、名の正しさは「ものがそれぞれいかなるものであるかを何か明らかにするようなもの」(四二二D − 四二八E )として規定されている。

(*)Descartes, Meditationes III. p. 46. 

 まことに、名は体をあらわすもの( δήλωμα πράγματος ὄνομα εἶναι )(*)でなければならない。しかし、それはどのようにしてあらわすのであろうか。いまもしわれわれが言語の通じないよその国へ行ったり、あるいは舌や筆で話をすることが生理上出来なかったりしたら、われわれはどんな仕方で言葉の目的を達するであろうか。われわれは自分の身体の他の部分を使って、いわゆる手真似身ぶりで用を足すことを試みるであろう。それは出来るだけ事物そのものに似た恰好をすることなのである。われわれが声音や文字をもって事物をあらわすのも、またこれと異るところはないとも考えられる。すなわち名は事物を真似たもの( μίμημα )なのかも知れない(**)。しかし真似にもいろいろある。事物には色もあり、形もあり、また音もある。それらを直接そのまま音や形で真似るということも可能である。しかし名の多くはそのような真似ではない。またそのような性質をもたない無形のものについても多くの名がある。このような直接の真似は、第七書簡の筆者の挙げた四つのものでは、図解において最もよく見られ、観念においても感覚から直接に取られた印象や、それの記憶像や想像などにおいて、あるいはこれを見ることが出来るかも知れない。しかしオノマやロゴスにおいては、このような直接の真似は多く認められない。名はものにあまり似ていないのである。それにもかかわらず、名が体をあらわすとすれば、それはどんなにしてなのであろうか。

(*) Cratylus 433B, ibid. C. 
(**)ibid. 432B, 430AB etc. 

 もう一度身ぶりや手真似の場合にかえってみると、あの場合もし目的の事物が眼前にあったとしたら、われわれは果して真似をしたであろうか。明らかにそうではない。われわれは簡単に事物そのものを指示したであろう。従って、真似られたものは本物の代りなのである。われわれは本物を指示する代りに、それの代物を示しているのである。ところが、代物は必ずしも似たものであることを必要としない。合札や契符〔わりふ〕のように、まるで似ていなくても、充分間に合うのである。名はちょうどこの合札のようなものだと言うことが出来る。シンボルというのは、この合札や契符のことであって、名と実の間には引き合わせが出来るから、それで体をあらわすことも出来、ひとは名を呼んだり、聞いたりして、互いに了解し合えるのである(*)。しかしこのような引き合わせ〔※3〕が出来、名がシンボルとなるためには、あらかじめ協定が行われていなければならない。この協定は永年の習わしとして、神話的には立法者によって定められたものと考えられている。しかし真似に上手下手があるように、立法にも上手下手がある。果して事物を事物そのままに示しているかどうかという、名の正しさはそこに考えられるであろう。しかしその正しさは名を定めた者にはよく分らない。これを批判する者は、実際にこれを使用して、事物そのものを明らかにしようとする者でなければならない(**)。すべての道具は使用者が良否を実地に試験するのである。知識や経験の増大変化と共に、名は絶えず作られ、絶えず試されているのである。

(*) Cratylus 435AB. 
(**)ibid. 390BD. 

〔※3〕引用者註:全集では「引き合せ」、岩波版では「引き合はせ」。直前の用法に従い、「引き合わせ」とした。


    六

 かくて、名は体をあらわすものであり、そのあらわし方いかんについては、名の正しさということも考えられ得るのである。名はシンボルとなることによって、始めて名となるということが言われた。しかしシンボルとなるためには、引き合わさるべき事物をほかにもっていなければならない。いかなる協定も、引き合わすものがなくては、合札を出すことは出来ないのである。協定はいつか実物を出す約束なのである。われわれはオノマがつねに何かのオノマであり、事物への関連は、ロゴスにおけるがごとく、オノマにおいても必然であることを知らなければならない。否、人々が「アポパンティコス・ロゴス」について考えた即物性というものは、ある意味においては、むしろオノマについて言わるべきものなのかも知れない。名は直接ものにつけられる。ものは直接オノマに結びつけられる。だから、名実の自然の一致を主張する立場にあったクラテュロスは、名は名である限りすべて正しい(三二九B 、四三〇DE、四三三C )というふうに考えなければならなかった。名はつねに実に結びついているから、その真偽は問題にならないわけである。これに反して、かの言明(アポパンシス)のロゴスにおいて真偽が問われなければならないのは、かえってロゴスと事物の分離を示すものとも考えられる。もしロゴスが人々の解釈のごとくに即物的であったなら、われわれはロゴスの真偽を問題にしなかったであろう。ロゴスはすべて真であって、虚偽の心配はなかったであろう。しかし実際にはその危険があり、理論と実際が離れるから、逆にその一致が要求され、真偽がやかましい問題となるのだとも考えられる。アポパンシス(言明)としてのロゴスは、自分の意見を表明するものであった。そして人々がロゴスの意味としてまず考えたことも、自分自身の思考を口外したものがロゴスだというようなところにあった(*)。そしていわゆる神の啓示としてのロゴスというような後の考えも、ロゴスのこの初歩的な意味に結びついていることを知らねばならぬ。すなわちオノマが事物に結びついているに反して、ロゴスはむしろ観念に結びついているのである。それは思考や認識や意見など、心の中にあるものと結びついている。かの「アポパンティコス・ロゴス」が後に「判断」(**)と解されるに至るのも、このような関連からすれば、極めて自然だと言わなければならない。

(*) Plato, Theaetetus 206D ; Sophista 263E ; Philebus 38E ; Timaeus 75E.
(**)F. A. Trendelenburg, Elementa logices Aristotelicae, 1842, p. 51. 

 かくてオノマとロゴスとは、さきに考えられたとは逆の関係において、再び区別されなければならなくなった。オノマは即物的で、ロゴスは観念的なのである。無論、オノマにおいても、即物的な一面と対人的な一面が区別されなければならない。われわれがものに名をつけるのは、事物そのもののためではなくて、われわれが互いに教え合うためなのであった。名は人のためにものを示すのである。従って、名もまたわれわれ自身への関連をもっている。われわれが名を聞いて、互いに了解し合うのは、われわれ自身の心のうちにおいてである。しかしながら、オノマだけでは、われわれはほとんどわれわれ自身のうちに止まらない。われわれは何も自分自身のうちへ立ちかえって、そこから取り出して来なければならないようなものをもたない。われわれの眼はせわしなく外に向い、名は一刻も早くわれわれ自身の了解から離れて、ものの上に附着しようと飛んで行く。いまわれわれ自身を即物的な立場においてみるとしよう。その場合、われわれの関心はすべて事物そのものに寄せられていて、それさえあれば、他のものは何もいらないと考えられる。ただ観察が紛らわしくならないために、事物に目じるしをつけたり、名をつけたりするだけである。その間に何が行われ、どんな関係が成立つか、われわれはただ見ていればいいわけで、それについて自分の方から説明を加えたりしてはいけない。ただそこに行われることや、そこに成立つ関係がいろいろあって紛らわしい場合、それにまた名をつけて区別すればいい。しかし名をつけたからといって、名づけられたものの関係を実際に見ないで、名前だけを綴り合わせてはいけない。われわれは忠実に一々の場合を実物において見るべきであって、決してそのことを怠ってはならない。観察と実験がすべてである。余計なことを考えたり、喋ったりしてはいけない。名は実際のものがあり、いつでも実際に見られるという保証があって、はじめて用をなす。しかし出来れば、代用物もなしにすませたいものである。もしわれわれが啞である代りに、たくさんの指をもつとしたら、どんなに仕合せだろう。われわれはそれらの指を使って、すべての事物を直接に指示することが出来たであろう。クラテュロスは何も言わずに、ただ指を動かしたと言われるが(*)、彼のオノマについての考えが、プラトンの『クラテュロス』に示されたような傾向のものであって、名実の自然の一致を主張する立場にあったとすれば、それは一転してこのようなミソロゴスともなり得たであろう。事物が第一であって、名はそれの符牒として、いつも事物に附着して考えられねばならぬ。それだけ独立しては何の意味もない。つまりオノマが即物的なのは、それみずからが無だからであって、われわれはそのようなものを省略してもいいわけである。

(*)Aristoteles, Metaph. Γ 5. 1010a 12-13. 

 しかしながら、名実のこのような一致を保証するものは何であろうか。既に言われたように、名が名となるのは協定によるのであって、名は法定の合札(シンボル)のようなものなのである。われわれはまたそれを通貨(ノミスマ)に比することが出来るであろう。ノモスによって定められたものであり、慣用によって存立し、人々の間に通用し、しかも国と時代によって異る点は、通貨も名目も全く同じである。そしてそれが実物の代りであることも同じである。しかしながら、すべての通貨に実物が引きかえられるかどうかは、法律だけでは保証されない。否、通貨が法律だけで勝手に定められて行くことが多ければ多いだけ、かえって実物との引きかえは困難になっていく場合もある。われわれは世に氾濫している名目が、果して正体のあるものなのかどうかを疑わなければならない。協定は事物とわれわれの間に結ばれたのではなくて、われわれの間だけで結ばれたのである。従って、名実の一致には自然の保証がないのである。立法者は同じものに名をつけたつもりで、違ったものをひとつの名で呼んだかも知れず、逆にまた同じものに違った名前をつけているかも知れない。立法者は命名だけでものを知ることは出来ないと言われた。だから立法者は、直接にものを知ることに努めなければならなかった。しかし彼が正確にものを把握したかどうかは、出来上った言葉だけでは確かめられない。論証は首尾一貫して間違いがなくても、前提そのものに間違いのあることがあるからである。立法者は命名によって、名実の一致を保証することは出来ない。法律では、名は何かの名でなければならなかった。しかしその何かが実際にあるかどうかは、法律によっては保証されない。なぜなら、事実そのものは法律の命令によって存在するのではないからである。われわれはどうすればいいのか。名目だけではどうすることも出来ない。名実はいまや分離し、立法者の誤過が疑われ、真偽が問われなければならなくなったから、われわれは名目から直接に事物へ行くことは出来ない。われわれは立法者に対して、命名する前にものを知ることを要求したが、それはまたわれわれ自身への要求となった。われわれは名実の一致を事物の知識によって確かめなければならない。われわれと立法者との相違は、彼は未だ名を知らないけれども、われわれは既に名を彼から教えられているということであり、彼は神授によって直接に事物を把握したかも知れないが、われわれは探求によって事物に肉迫しなければならないということである。そしてそのためには、われわれは立法者に教えられた名目を批判し、すべてをロゴスのうちに見るようにしなければならない。われわれは一度自分自身に立ちかえらねばならぬ。知識はわれわれ自身のうちに獲得され、ロゴスはわれわれ自身のうちから語られねばならないからである。

    七

 このように、直接ものそのものへ行かないで、かえって自分自身のうちへ引き下って、そこからまた出直すというようなことは、ひとつの廻り道であって、事物の認識からはますます遠ざかることになるのではないかと疑われる。この疑いはプラトンが、『パイドン』のなかで、事物を直接に見聞するよりも、まずロゴスのうちにそれを見よと教えた時にも、われわれの懐かなければならなかったところのものである。しかしながら、事物には既に名がついてしまっている。ちょうどそれは評判のようなものである。世の中に一度ひろまった評判というものは、なかなか打消し難いものであるが、一度ついた名前もなかなか取れないのである。ソクラテスは国の定めた神々を認めないで、何か新奇な宗教をひらき、それによって青年に害毒を及ぼしているという名を得た。そのために彼は死なねばならなかった。人々は名を恐れ、名にあこがれ、名のために死んだり、生きたりしている。しかしその名が正しいものであるかどうかは確かではなく、事実無根の場合も少なくない。従って、直接に事物を見たつもりで、実はかえって名に欺かれている場合も少なくない。人間は社会的動物であるから、知らぬ間に立法者の定めた名前に欺かれて、立法者の見誤りを自分の見聞のうちに入れているかも知れない。われわれはこのような危険を避けるために、ひとまず世に背いて、自己自身にかえらなければならない。無論、われわれ自身の内部といえども、既に社会の習慣と法律によって、立法者の意のごとくに教育されているから、われわれの考えは世間そのままである。われわれはわれわれのそういう考えをドクサと呼ぶことが出来るであろう。パルメニデスは、彼が名目に過ぎないと考えたもろもろの現象について、「これらはドクサに従えば、たしかにこのようにして生じたのであり、また現にあるのである。そしてこれから将来にまで延びひろがり、やがて終るであろう。そして人間はこれらのために名を定め、それぞれのものを区別しようとした」( Fr. 19 )と語っている。ドクサはオノマに対応し、ノモスと共に存在する。ものが法律や習慣の上だけで存在することを、ひとはまたドクサ(世人の思いなし)の上だけで存在するとも言うことが出来たのである(*)。われわれが名を呼んで互いに了解し合うのは、このようなドクサによるものと考えられる。従って、そのような場合には、われわれは自分自身に気づかない。われわれが名目からのがれるために立ちかえらなければならないのは、このようなドクサへではない。それはわれわれ自身ではないからである。われわれはドクサを破って、自分自身へかえる。そしてロゴスは、そのような自分自身をあらわにし、真に自己自身のものを示すところに成立するのである。しかしながら、そのような自分自身にかえることが、どうして事物そのものへの途なのであろうか。

(*)Plato, Respublica II. 364A, 367D 

 それには、ドクサを破るということが、どういうことか考えてみなければならぬ。それはドクサをオノマから解放することに外ならない。われわれが名を聞いて互いに了解し合うのは、既に見られたように、名が何を示すかということについて、われわれの間に協定が出来ているからなのである。しかしながら、名を聞いてわれわれが了解するのは、直接には事物そのものではない。われわれが直接了解するのは、われわれお互いの考えである。何を考えているかということである。つまりわれわれは、名から事物へ行くのではなく、名から観念へ行くのである。そしてわれわれは、相手が何を考えているかは理解しながら、しかもそこに考えられているようなものが果してあるかどうかを疑う時、名と事物とをはっきり区別することが出来るのである。そして事物を名目から解放し、これを独立に取扱う準備をすることが出来るのである。しかしこのことは観念の介在なしには不可能であり、観念の介在は観念の独立なしには不可能である。そしてこの観念の独立がすなわちドクサのオノマからの解放なのである。それはしかしどうして可能となるであろうか。いまわれわれが自分の勝手で、いままで「人」と呼んでいたものを、今度は「馬」と呼ぶことにしたとする。名前が変ったことはたしかである。しかしながら、その異った名でわれわれが考えているものに変りはない。すなわち名目と観念とは別なのである。しかも名はものに似ていないけれども、観念はものに似る事が多いと考えられた。われわれが名目から観念に行くのは、従って、事物から遠ざかることではない。観念は名目と事物との間に介在し、むしろ事物に似るものなのである。しかも名は法律によって勝手に変えることが出来るけれども、観念は変名によっては変らないのである(*)。すなわち時と所で言葉は違うけれども、われわれの理解がとどくのは、そこに考えられているものが一つだからである。従ってわれわれは、名を単に名として受取らずに、その意味をよく考えるようにすれば、名目に欺かれることは少なくなるわけである。それには、一つ名前だけに捉えられずに、一つことがいろいろの名で呼ばれ得ることを知るようにしなければならない。外国語の学習がその有力な教育手段であることは言うまでもない。

(*)この点、観念は法制的なものであるよりも、むしろ自然なものと見られる。名目論で有名なオッカムのウィリアムが、 Expositio aurea Librum praedicabilium., Prooem. や Summa totius logicae I. 14 などで、普遍を実際( in re )には存在せず、ただ心のうちだけ( tantum in anima )に存在するか、あるいは語られる言葉が一般に通用する仕方で、ただ制度によって( per institutionem )存在するだけだと言いながら、しかし前者の存在を自然的( naturale )と呼んで、これを単なる名目的存在から区別しているのは、興味あることだと言わねばならぬ。

 そのようにして、世間なみの考えを語るのではなく、むしろ世に背いても、自分自身で本当に考えたことを、再び世に問うというのが、言明としてのロゴスでなければならない。無論、それの真偽は問題となり、いろいろな異論が起るであろう。しかしながら、真偽が問題にならないということは、必ずしもそれが真実であることを保証するものではなく、かえってそれの欺瞞が発見に困難であることを示す場合が少なくない。直接の見聞や社会の通念は多分にその危険をもっている。われわれはこれをロゴスとして示すことによって、はじめてその誤謬に気づく。従ってわれわれは、ロゴスに訴えることによって、事物から遠ざかるのではなく、かえって真実に近づくのである。ロゴスはオノマから成るけれども、出来るだけ名目から解放されることを求める。よきロゴスにおいては、ひとはただロゴスを聞き、オノマの存在には気づかないでしまう。それは単なる名目綜合のレトリックではなく、むしろ事物への論理なのである。かくてわれわれは、『クラテュロス』における「名目をはなれて、事物そのものを探求せよ」という要請と、「ものはまずロゴスのうちに見られなければならぬ」という『パイドン』の要請とが、必ずしも矛盾するものではないことを知る(*)。しかしまた同時にわれわれは、ロゴスが道程であることを忘れてはならないであろう。それは事物の表面に附着している名目やドクサから始めて、その究極は忽然として最も善美なるものを見るに至るまでの困難な道程なのである。プラトンの第七書簡(三四四B )には、「名付けられたり(オノマ)語られたりするもの(ロゴス)と、見たり聞いたりする感覚的事実とが互いに揉み合わされて、好意の吟味が加えられ、腹蔵のない問答が取りかわされて、やっとそれぞれについての智慧が輝き出し、理知が人間能力の最大限に達する」と言われている。このような吟味と問答のロゴスに媒介されてわれわれの観念はドクサから知性の最高なものに純化され、事物との表面的な接触が、それの根本的な把握にまで深められるのである。

(*)なお『ソピステス』二一八BC, 二二一B 参照。

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【田中美知太郎「名目 」(『ロゴスとイデア』より)】
発表:1943(昭和18)年5月『思想』
所収:1947(昭和22)年9月『ロゴスとイデア』岩波書店 
今回の引用:
1)1968(昭和43)年10月『田中美知太郎全集第一巻』筑摩書房. pp. 171-197. 
2)2014年(平成26年)6月『ロゴスとイデア』文春学藝ライブラリー. pp. 242-279. 
3)1947年9月第1刷, 1977年7月第3刷『ロゴスとイデア』岩波書店. pp. 219-253. 
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