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人生のテーマ「復讐(ふくしゅう)」

同じ境遇の男子諸君に捧げる。

自分の人生にテーマがあるとすれば「復讐」だ。

以前の記事で、自分が逃げ癖のある人間だと書いた。
一方で、自分の経歴は、というと「それなり」なのだ。

☑そこそこの地方国立大学を4年で卒業
☑全国紙を発行する新聞社に新卒で入社
☑自動車製造業に転職し、今年係長に昇格
☑業務の知識を深めようと社会保険労務士試験に挑戦、合格

どうだろう?「それなり」ではないだろうか。
嫌なこと、苦しいことから逃げてばっかりの自分が、「それなり」の人生を送れている大きな理由の一つに、この「復讐」がある。

家庭環境を説明すると、自分は地方公務員の両親の間に生まれた一人っ子だ。父は教員だった。
幼少期は3人家族だったが、ある時から2人家族になった。母は強く優しく、そして経済力があったため、自分は貧しい思いをすることもなかったし、大学まで出させてもらった。

子どものころ、仕事が忙しかった父と夕食を共にしたことはほとんどなかった。寝てる間に帰ってきて、自分が起きたとき、父は仕事に出る直前だった。
ときどき、父が早く帰ってくることがあった。久しぶりの一家団らん。その時間が嫌で嫌でたまらなかった。

あれやこれやと、どなられ、手を上げられ、何度泣いたことか。
夕方、ドアの鍵が開く音がしたら、絶望的な気分になった。
機嫌がいいときは、自分の話を楽しそうに聞いてくれた。地雷を踏まないように父の顔色をうかがいながら、小学校で起きたことを話したものだった。

時間は少し進み、高校3年生の時。進学先について考えなければならなかった。その時には2人家族になっていた。
進学先を探した条件は先のnoteでも書いたが、「筆記試験不要」「学費が安い国公立」。もう一つ、大事な条件があった。それは「父親の卒業大学よりも偏差値が高い」。
そのころから、「父親を超える」ことが人生における選択で考慮する重要な要素の一つになっていた。

またまた前回のnoteで書いたことだが、大学生で希望していた進路は「教員」だった。それも、父親と同じ職業。「同じ土俵で戦って超えてやる」と息巻いていた。

まあ、教員にならなかった理由が「朝起きれなくて単位をとれなかった」「大学院に進学しようとしたが、いろいろ怖くなった」だから、今振り返れば、どこまで本気だったのかは疑問だ。
しかし、あのころは、冷静な思考もできないポンコツなりに、黒い情熱を燃やしていたのだった。

それから、友人の力を借りて新聞社に滑り込みで内定をゲットし、自動車製造業への転職も果たした(詳しくは先のnoteで(以下略))。
共通点は「大企業」。会社選びの際にも父親の影はちらついていた。

「違う土俵で超えるためにはどうしたらいい?給料か?会社の知名度か?」考え抜いて出した結果が、「大企業」だった。
もちろん、会社を選んだ理由はそれだけではない。そこまで馬鹿ではないし、人生そんなに単純ではない。
それだけではないのだが、ここでも大きな要素の一つだった。

また、誰に頼まれたわけでもないのに、高いお金を払って、2年という期間と多くの時間を費やして社会保険労務士の試験に合格した。
受けた理由はまた別のnoteで書いたが、それとは別に、「父親に匹敵する、あるいは超えるような肩書」も欲しかったんだろうな、と今になって思う。

父親のことは憎くてたまらなかったし、許せなかった。
しかし、自分の中で、父親の存在が、燃え上がる負の感情が、だんだん過去のものになってきたのを感じる。
「許した」とか、そんなきれいごとでは一切ない。

なんか、どうでもよくなってきた。どうでもよくなってきてしまったのだ。

自分は運もいいし、周りの人に恵まれている。
そして、何より大事なのが、人生の決定権を自分が握っている。自分はそう信じている。

もしかしたら勘違いかもしれない。でも、信じている。信じているから、自分の人生を振り返ったときに見えた「轍(わだち)」が、すごく尊いものに感じる。

動機にネガティブなものがあったとしても、「自分で決める」ことを繰り返してきた。
運の良さを喜び、周りに感謝しながらも、「自分で決めて、切り開き、その結果として今があること」、これは自分の中で強い自信になっている。
そうすると、だんだんと、もう父親のことなどどうでもよくなってきた。

逃げ足は遅いくせに逃げてばっかりで、それでも、大事なところで選択を間違えず、なんとかここまで生きてきた自分。
動機はどうであれ、「それなり」のキャリアを築くことに貢献してくれた過去の自分一人ひとりを、今はただ抱きしめてあげたい。
よくぞ頑張った。ありがとう。と。

同じような境遇だった男子諸君もいるだろう。

苦しかったよな、つらかったよな。
幼少期の自分、高校生の自分、大学生の自分、あの時の自分を抱きしめられるようになりたくないか?
特別なことはしなくていい。許す必要もない。
ただただ、「自分で決める」のだ。自分の人生は自分の手のひらの中にある、自分の人生は自分で変えられる、という経験を積み続けるのだ。

そうして、父親の影が小さくなって見えなくなり、どうでもよくなったとき、自分たちの「復讐」は完結する。

共に戦おう!

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