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どうか、逆らい続け、あがき続けていてくれ

ドイさん発案の「40歳」企画に、33歳のかみたかはらも参加します。

このnoteは自分と、自分と同じ逃げ癖のある同世代に贈る。

自分の人生は逃げてばかりである。遠くの大きな目的に向かってコツコツ継続することができない、というふうに自分をしてしまった。

最初の大きな逃げは、大学入試。
受験勉強に身が入らなかった自分は、「筆記試験不要」「学費が安い国公立」を条件に見つけた地方国立大学のAO入試を受験。夏休みにつきっきりで指導をしてくれた教師のおかげで見事に合格。
恩知らずな自分は教師への感謝を忘れ、ここで「逃げ」の味を知ってしまった。

次の大きな逃げは大学4年生の時に訪れる。
教員志望だったが、教育実習に行くための必要な単位を落としてしまった。どうしても、朝起きられなかった。
大学院生の先輩が勧めてくださり、大学院へ進学することを決意。
しかし、卒論を書きながら2年後を思い浮かべた。修士論文、教育実習、教員採用試験…
「俺は勉強が好きじゃない」「あと2年間、頑張れる気がしない」「2年後試験に受かるだろうか?採用試験の勉強は続けているだろうか?」

だいぶ周回遅れで就活を始めたが、友人の助けによって秋採用(今もあるのか?)で新聞社から内定をもらえた。おかげさまで就職浪人をすることもなく、「新聞記者」としてキャリアをスタートさせた。

次の大きな逃げは、新聞記者時代。
ここでも逃げてしまった。優秀な先輩、同期、そして後輩。「優秀なやつって、さらに努力を重ねてもっと優秀になるんだよな」と毒づくだけの怠惰な自分。差はどんどん開いていった。
自分が選んだのは、努力、ではなくて転職だった。

転職先はとある自動車製造業。新聞社に負けず劣らず、先輩、同期、後輩たちはみな優秀だ。逃げたくなる。逃げ出したい。何度思ったか。
何回も転職サイトに登録したし、何回も職務経歴書を書いた。
それでも、自分はこの5年間、逃げずに今の会社にとどまっている。

新聞社での最終出社日、会社の方々にお礼メールを送った。ある先輩の返信が強く印象に残っている。

「次は逃げないようにしような」。
自分の弱さから逃げ出し、楽な方へ向かう自分への花向けの言葉。ぶっきらぼうな一言だが、忙しい中、わざわざ送ってくれた先輩の優しさ。
当時は「逃げてないやい!」と粋がったが、年数が経つほど沁みてくる。自分の側にいつもいてくれる言葉だ。

この言葉が、崖から落ちそうになる自分を何度も救ってくれた。
「小さな逃げ」は何回でもしてしまうが、「大きな逃げ」は今のところない。

悔し涙でほほを濡らしながら帰宅した回数は数えきれない。
何度も「壁」にぶち当たった。怒られた。呆れられた。自分を嫌いになった。
しかし、どうだろうか。ある時、逆回転が始まったのを感じるようになる。

小さくても「壁を乗り越えた」奇跡の回数が増えると、壁の乗り越え方、あるいは、横から通り抜ける方法、地下から攻める方法、壁を壊す方法、少しずつ分かってくる。自分の中に手札が増えた感覚になる。

順風満帆では決してないし、相変わらず、「逃げ出してえな」と思う日もあるが、昔の自分とは決定的に違うことがある。
それは、「自分が奇跡を起こせる人間だ」と分かっていることだ。

優秀な人間からしたら当たり前にできることでも、逃げ癖のついた我ら凡人にとっては至難な技なことがたくさんある。
それに、逃げ癖のついた30歳代の人間が、普通の社会人になろうと思ったら、人の何倍も努力しなければならない。分かっているけど、時々ちょっとだけ逃げてしまう。
ちょっとぐらいならいいよ。明日からまた頑張ろう。と自分を慰める。

今日この日まで、三十数年間生きてきた。
それだけでも十分じゃないか。立派なことだ。

「つらいときは逃げてもいい」
それは間違いではない。命は何よりも大切だ。「自分が抱えている何か」と命の重さを比べるような状況だったら、間違いなく命を選ぼう。

しかし、「逃げる」か「逃げない」かを悩める余裕があるのであれば、話は別だ。
「逃げる」のは楽だ。しかし、取り戻すまで「逃げた」という事実は消えないし、自分の頭の片隅に居座り続ける。あとから軌道修正するのは本当に大変だ。

自分の戦いは終わらない。少なくとも人並みになれるまでは。
このことに30歳代で気づけて良かった。40歳になった自分もどうか「逆らい続け、あがき続け」る人間でいてほしい。

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