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「縁なき衆生は度し難し」

一般的には仏教関連の言葉として、お釈迦様がおっしゃったと考えていると思います。ところが、下記の清明院院長先生によると異なるらしいです。

http://www.seimei-in.com/wp/b2299/

そこで元となったされている諸芸袖日記というものを探してみると、どうやらこれが該当しそうです。まだ全ては読んでいないのですが、該当箇所を探しています。

さて清明院院長先生によると、法華経の方便本が元ネタとのことですが、この「方便」は色々な使われ方をする言葉です。良く悪用される(?)のが、「ウソも方便」でしょうか。

法華経にはもともと28の章(品)が有り、方便品というのはその一つです。日蓮大聖人が「寿量品・方便品をよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり」とされたらしいのですが、私は僧侶では無いので明言できません。その中でも法華経の「方便品第2」と「如来寿量品第16」いわゆる「自我偈」とが大事とする考え方があり、実際に朝夕の読経では読み上げています。

元ネタらしきはおそらく方便品第二なのでしょうが、「それぞれに合わせて教えの解き方を変えてきた」けれども、そうそれもやめたと言うようなニュアンスが書かれています。
そこだけを取り出して「縁無き衆生度しがたし」に変換するのはかなりの大技です。

しかしながら仕事をしていると、「縁無き衆生度しがたし」と言いたくなる場面にそこそこの確率で遭遇します。これを自分の能力や幅が追いつかない性であると考えても良いし、実際問題そういうケースもあります。
ですが全てにつきあいきれないのも事実としてあり、六十花甲子でも人間にはつきあいきれない人が六人に一人は居ると明言しています。

わたしたちはお釈迦様では無いのですから、無理をせず、得意な人に任せながら補い合う必要があります。
そう言う意味で、「縁なき衆生は度し難し」というのもありなのではないかと凡人の私は思うのです。

サポートいただき感謝します。いろいろ困難な時ですが、人様のお役に立てる事を考え、行動していく所存です。宜しくお願いいたします。