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2023.08.23

財布が壊れた。正確にはチャックの引き手がスライダーから分離した。一度直したのだけど、帰ってから鞄を見てみたら完全に消失していた。手芸屋で何かを買って工作しようかな。

甲子園が終わったらしい。長野県にいた頃は甲子園やプロ野球をよく見ていた。松井秀喜とか、藤川球児とか、高橋由伸とか、智辯和歌山とか、そういうものに一喜一憂していた時期がある。何せ20時くらいに帰宅すると、確実にテレビで巨人戦が流れている。読売新聞をとっているから、たまにジャビットの描かれたバスタオルをもらう。母と祖父は巨人ファンで、巨人が負けると機嫌が悪くなる。父親は阪神ファンで、ぼくはといえば密かに中日を応援していた。これは巨人と阪神に比べると中日がオルタナティブっぽく感じたからだ。パ・リーグを応援すれば、という話なのだけど、当時の長野県にとってパ・リーグというのはひとつ向こうの宇宙の話だった。慶應が優勝した、ということについてあまり思うことはないのだけど、応援が大きいとか髪の毛が長いとか、そういう些細なことで甲子園野球が長く続けられるように制度が見直されていけばいいなと、と感じる。

『戦後短篇小説再発見』の石原慎太郎「完全な遊戯」を読む。倫理なんてどこにもないんだな、という強烈な話。少女を強姦し、崖から突き落として殺害し、「安上がりな遊びだったな」と述懐する青年は加害性の権化である。どこで読んだのだったか、大江健三郎の初期短編集は被害者、さらにいえば敗戦国である、という意識に先鋭化されていたけれど、石原慎太郎は徹底して加害性を書いた。アンチモラルであることは、当たり前だけれどモラルを照らし出す。こうした暴力性の行く末にあるモラルとは、いったいどのようなものなのか。

『鮎川信夫詩集』がかっこいい。

ぼくの背後で/野原がひとつ消えた/青空もろとも/おそろしい速さで

鮎川信夫「もしも 明日があるなら」

荒地の詩人たちには色濃く戦争が影を落としている。夏は敗北で崩壊の季節である。もし原子爆弾が冬に落ちていたら、あのアニメは夏を季節に選んだろうか、雪は何の比喩になっていたのだろうか。

500円のブドウを食べた。実家にいた頃は無料で食べていた。

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