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2023.08.26

16時から仕事で、午前はちょっと動いてマウスを買いに行こうかな、と思っていたのだけど低気圧と雷雨に襲われて何も手につかなかった。

仕事の休憩時間にヤマダ電機に行ってマウスは買えた。

大江健三郎の『われらの時代』を読み始めたのだけど、

そしてかれは快楽の小さな芽がうまくめばえて下腹部にふくれひろがりはじめるのを感じた。そらを育てみちびき爆発させねばならない。ときにはまったくうまく育たず、たちまちむずがゆい快楽の芽はかれしぼみ、いくらかさねて体をうごかしても性器は充血したゴムのかたまりにかわって厚ぼったく無感覚になってしまうことがあるのだ。

という描写に感嘆する。

眠れなかったので、『現代の短歌』の佐佐木信綱のところを読んだ。

みづうみを越えてにほへる虹の輪の中を舟ゆく君が舟ゆく

こういうとき「輝く」「広がる」というような言葉を選択し、「匂う」の意味をひとつに絞ってしまった現代ではほとんどロストテクノロジーみたいな距離感の情景に思える。リフレインも哀傷的で、かくっ、かくっという櫂の音まで聞こえてきそうである。

蛇遣ふ若き女は小屋いでて河原におつる赤き日を見る

「蛇遣ふ若き女」というのがよくわからなくて見世物小屋を想起したのだけど、これから興行のはじまる夜という時間に入る前に、太陽か沈んでいくのを見る、というのは純粋でもあるし、儀式めいた何かも感じる。ほとんど同時代にアンリ・ルソーの「蛇使いの女」という絵画もある。

春の日の夕べさすがに風ありて芝生にゆらぐ鞦韆のかげ

ふらここ、しゅうせん、というのはよく見かけるのだけど「ゆさはり」というルビははじめてみた。揺さぶる、から来ているのだろうか。「ゆらぐしゅうせんのかげ」より「ゆらぐゆさはりのかげ」がばっちりはまっている。

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