「+51 アビアシオン, サンボルハ」メキシコ・ペルーツアー所感

2年前にこの作品はインドネシアで終わりを迎えたと思っていたので、今回メキシコとペルーでツアーすることになり、当初は時間の経過に戸惑っていたのが本当のところで、出演者だったひとりは俳優そのものをやめてしまっていて、固定の3俳優でずっと上演して回っていたので、ひとりだけ新キャストを迎え入れるというイメージが持てなかった。
そういうわけで、思い切って、総キャストを入れ替えることにしたのだが、集まった俳優は、東京、京都、沖縄とそれぞれ異なる土地を拠点に活動している3人で、このところいろんな場所を拠点にする俳優たちとひとつの作品をつくりたいと思っていたので、図らずもそれが叶ったかたちで、幸先がよかった。
リハーサルも、これも偶然だが、自分のスケジュールの都合上、前半を那覇で、後半を東京で、と、この作品の舞台になる場所で行なうことになり、それをメキシコとペルーという作品の根幹に関わる場所で上演するという、コンセプトとしてはこれ以上ないというものだった。
で、上演はどうだったかというと、まずはメキシコシティの標高からくる酸素の薄さ、乾燥に俳優たちは苦戦していたので、リハーサルよりも出来が悪いと言える箇所もあった(とはいえ慣れない環境によく順応してやっていたとも感じた)。いっぽう、ぼくが一番気になったのは観客のことで、簡単に言うと、上演中に写真を撮りすぎ。客席がそういう行為をしやすいという環境だったのは確かだったが、それにしてもぼくが疑問に思ったのは、これをメキシコのカンパニーの公演でもやるのだろうか、ということだった。観客の多くは日本の演劇を見るのは初めてだったと思うから珍しいのだろうし、ぼくは客席で携帯の電源を切れとか音を鳴らすな写真を撮るなとは思わないが、それでも気になったのはなぜだろうかと考えていた。
あとになってそのことで思い出したのは、ぼくがブエノスアイレスに住んでいたときに一度、コロン劇場というところにオペラかなにかを見にいった日のこと。コロン劇場は世界で2番目に大きいオペラ劇場で、多くの観光客が訪れるところだ。ぼくはその日一番安いチケットを買い、一番後ろの、もう何階席かもよくわからない席に座ったのだが、まわりでは観光客たちがとにかく写真を撮りまくる、開演しても開演していなくても関係ないという感じで。ぼくは一度はそれを注意したものの、あまりの集中のできなさに疲れ果ててしまって、一幕が終わったところで、劇場を出て飲みに行った。
ぼくがメキシコシティでの客席に納得がいかなかったのは、彼らをあのときの観光客のように感じてしまったことなんだろうと思った。ぼくたちは多くの観光客の前で上演していたのだった(しかしながら大半は「観客」だったことも書いておかないといけない)。それでも集中を切らさず最後までやりきった俳優は立派だったと思うし、現地のスタッフたちも一生懸命にやってくれていたし、だからぼくはこの上演を代表するものとして、なにをするべきだったのかいまも考える。客たちに悪意はなかった。彼らとどう向き合っていくのか、この作品は最後の最後で観客のあり方に疑問を投げかけ終わるという構造をとっているが、はからずもその問いは自分に返ってきたのだった。

ペルー、首都リマ。91歳の祖母が住んでいる。劇中に出てくる神内先駆者センター(デイケア的施設)も、タイトルのサンボルハ地区アビアシオン通りもある。受け入れのスタッフは熱心で、会場はメキシコシティよりコンパクト、なにより標高が下がったこと、湿気の多さに俳優たちの体は変わったようだった。リマではこれまで上演したどことも違う反応が返ってきた。俳優の一人がリマの街の話をし始めると、それまでいぶかしげに見ていた観客も身を乗り出し、笑い、終演後には自分たちの街を外からの視点で見ることで、認識が変化する、みたいな感想を残して帰っていった。
リマの公演のことはいまはまだあんまり書けない。最終日には、神内先駆者センターの人たち、祖母の友人のイサベル(彼女も劇中に登場する)、そして祖母がやってきて客席に座った。
ぼくはこの作品を、私的なエピソードに基づきながらもそれをあくまで素材として見ることで作ることができたと思っていたが、なんだか途中の沖縄のシーンで感極まってしまったのだった。
最前列に座る祖母は、舞台で自分がモチーフとなった話をしているのもわからないようで、けれども神内先駆者センターの人たちは祖母におめでとう、と口々に伝えていて、5年前にこの作品ができたころには、まさかこんなことがあるなんて想像もしなかった。
劇中、「日本のパンはおいしいらしいねと祖母が言うので、今度来るときは持ってきたいのだが難しいだろう」というセリフがあるが、パンどころか作品を持ってきてしまった。祖母からはけっきょく感想を聞くことはできなかったが、5年の時を経てリマの地で言葉にできない感覚にぼくは包まれて、、
そういうわけでセンチメンタルな感じもするし、戸惑いもあるし、とにかくうまく言葉にできないが、この作品は幸せに育った。
この作品をまたやるかはわからない。けれど、作品の評価は高く、リマで新たな仕事が生まれそうな話も出てきて、言葉にできないものをそのままに、今後もぼくたちは作品をつくって上演していろんな土地を回りたい。

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