見出し画像

神様との電話占いを始めた理由

「神さまとの電話占い」という電話占いの管理人をしています。

「神さまとの電話占い」のコンセプトは、日本で最初の神さまと繋がる電話占いサービスです。神さまと繋がる全国各地の有能な占い師が電話を通して、相談者のお悩みの相談を受け、希望する未来へあなたを導く占いサイトです。

サイトをオープンしたばかりで、まだまだこれからの小さなサービスです。
現在、登録してくれている鑑定士さんは少数です。

先に、このサービスを始めようと思ったきっかけをお話しようと思います。少し私情が入ります。

私は幼少の頃から母親が精神世界に精通している変わった家庭環境で育ちました。幼少の頃から母はスピリチュアルや占いについて自然と子供たちにも話して聞かせるような親だった為、目に見える世界だけではない理論や価値観、不思議を脳内にインストールして育ちました。

母は若い頃から精神世界の探究の為に、飛び回るようなアクティブな人でした。時代が80年代、90年代だったということもあり、日本の経済もまだまだ元気でした。ただ、我が家はバブルとは逆行するような(笑)決して裕福ではなく、むしろ貧しい家でした。

そうの当時は、占いやスピリチュアル一本で食べていくにはまだまだ厳しい時代背景だったと思います。

母はシングルマザーで、仕事と家事を両立しながら、チャネラーとして活動をしていましたが、チャネリングやヒーリングなどはカルト扱いされる時代でしたので、日本ではまだ認知されていない時代でした。ちょうど霊能力者の宜保愛子さんなんかがテレビで活躍していた頃です。インターネットもない時代でしたから、街の情報誌に小さく「セッション(鑑定)」の広告を掲載して、集客活動をしていました。

最初は、有難いことに、少ないながら問い合わせや予約がきていました。
小さなおんぼろアパートを借りて、対面でセッションをしていました。
それでも地域の情報誌だけでは、なかなか思うように集客もできず、個人が情報を発信するには限界があった時代でした。

80年代、90年代初めまで、積極的に様々な活動をしていた母も晩年は独り家に籠るようになっていきました。10代だった私は、そんな母を見て、疎ましく思ったことも多く、傍観していました。その当時、情報発信したくても、手伝うこともできないままでした。そして、晩年、母は身体を壊し59歳の時に志半ばで亡くなりました。

母子家庭で女手一つで子供を育てながら、きっと母親には母親なりに目標や夢があったと思います。振り返ると、その頃の私は反発心もあり、応援したくてもできない自分がいました。

時代は変わりました。

私は当時の母親のように迷ってる人、活動したくても何かしらの事情でできない人の役に立てればと、ひとまずこのサービスを作りました。
ほんとうにひとまずという感じです。

様々なジレンマを抱えている人。
そんな人たちと志高く、この世界で楽しく生きられる、夢を叶えられることを証明するためにこのサービスでいろいろ試していけたらと思います。

占い師や霊能者、ヒーラーなど肩書きは何でもありです。良かったら、
しがらみのない新しい世界でご一緒できたら嬉しいです。

神さまとの電話占い✨ 
https://kamisama-uranai.com/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?