自民党総裁選:石破茂にみる「反主流」を貫いたことの意義
自民党総裁選の情勢調査では、小泉進次郎・高市早苗・石破茂氏のいずれか2人が決選投票に進む可能性が高いとみられている。
そうか、石破氏が決選投票に進むかもしれないのか。
私は、石破氏を支持も不支持もしないが、5回目の総裁選である。ずっと論じてきた政治家の一人であり、ずいぶん長い間「冷遇」され続けてきたのをみてきた。
いろいろ思うところはある。今回は、過去稿も振り返りながら、今回の総裁選の有力候補として浮上した石破氏について論じてみたいと思う。
18年の総裁選で石破氏が敗れた時、私はこんなメッセージを送った。
これ、当時結構読まれたんですよね(笑)。
リンクを貼っても、わざわざ読む人はいないので(笑)、簡単にまとめてみたいと思う。
石破氏にある人物の話を紹介した。第二次世界大戦前に、東京帝国大学経済学部教授だった河合栄治郎だ。河合は「反ファシズム」の論陣を張り、著作が内務省から発禁処分となり、「出版法違反」で起訴された。大学も追われた。
しかし、河合は大学を追われ、発禁処分で裁判にかけられたにもかかわらず、意気軒高だった。日本が戦争に敗北すると公言した。裁判については「私は無罪を信じるけれども、有罪ならば罰金刑ではなく、禁固を望む」「罪が重ければ重いほど、戦後自分が外国に対し発言する場合、自分の発言に重みがつくから」と言い放ったという。
河合は、敗戦の後に起こる社会的混乱の中で、必ず自分の出番が来ると予期していた。そして、その時により大きな発言力を得て、新時代のリーダーとなるために、あえて時代が変わる前に、最も重い罪を科されておくことを望んだというのだ。
残念ながら、1944年2月に河合は「バセドウ氏病性突発性心臓死」で亡くなった。しかし、河合が言ったように、戦時中に「重罪」に処せられた人物は、戦後に大出世した。
例えば、吉田茂元首相だ。親米英派の外交官だった吉田は、軍部に抵抗して逮捕された。そのおかげで、外務省同期の出世頭、広田弘毅元首相がA級戦犯になり絞首刑に処せられる一方で、吉田は戦犯とならず、政界に進出して首相となった。
このように、古い時代に迎合せず、冷遇されていた人物ほど、新しい時代が始まった時、時代の寵児となる。そのことを、勝ち目のない闘いに向かった石破氏に伝えたかったのだ。
続いて、安倍晋三首相(当時)の辞任に伴って行われた20年の総裁選。
18年の総裁選の後、石破氏はそれまで以上に「冷遇」を受けた。だが、ひるむことなく、「言うべきことは言う」という反主流の姿勢を貫いた。その結果、安倍首相が辞任を発表した時点で、「次の総理」の世論調査では圧倒的な1位という評価を得ていた。その「反主流」としての存在感の強さが、安倍首相の周囲による露骨な「石破つぶし」をした原因となった。
石破氏は、4度目の総裁選挑戦も、敗れることになった。
私は、石破氏は今の姿勢を変える必要はないとメッセージを出した。これからも、政権の批判勢力に徹すればいい。
現政権の限界が明らかになり、新しい指導者が求められるときが来るならば、「石破待望論」が世論だけではなく、永田町から出てくることもあるだろうと主張した。そして、石破氏に求めたのは、権力批判の姿勢だけでなく、政策を徹底的に練り上げることだった。
そして、「政治と宗教」「政治とカネ」で、自民党への支持が地に落ちた。派閥のほとんどが、表向きは解散さざるを得ないという危機的状況だ。その時、21年の総裁選には出馬もできなかった石破氏に、5度目の挑戦の機会がきた。
しかも、今回は決選投票に勝ち上がる可能性が高いという。
今日は、石破氏の首相としての資質、政策についての論評はしない。特に、石破氏を支持するわけでもない。
ただ、ずっと冷遇に耐え続けて「反主流派」の姿勢を貫いてきて今日に至ったことには、敬意を表したい。
国家も、組織も一枚岩であることは、一見よさそうにみえるが実は脆い。いろんな考えを持つ人がいて、誰かがダメなら、次の人が出てくる、というのが本当に強い組織だし、いろんな立場の人からも幅広く支持されやすい。
そういう「なんでもあり」的なしたたかさが自民党の持ち味だったが、それを今、失いつつある。石破氏が総裁選に勝つかどうかはわからない。だが、石破氏が反主流派を貫いたことに、自民党は間違いなく救われている。