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なぜ岸田文雄首相は嫌われたのか?(中編)

(前編)では、自らの地元の首長、県会議員、市会議員などが敵陣営に買収されまくって、側近が落選の憂き目にあうような政治家が、首相として国益が守れるはずがない。岸田文雄首相にそもそも首相の資質なしと思った人が多かったのではないかと指摘した。

実際に、岸田首相が国益を守れたのかどうかは、これからの議論であり、歴史が決めるものかもしれない。岸田外交は、安倍晋三政権時代の遺産に依存するところも多く、単純に岸田政権の業績と評価できない難しさもある。

それでは、(中編)に入ります。

岸田首相は、自民党総裁選に何度も挑戦しようとして、挫折してきた。その鈍くささのイメージも強いように思う。

一言でいえば、岸田首相は、「負けっぷりが悪い」というか、かつての自民党であれば、二度と総裁選に挑戦できなかったような、無様さがあった。

岸田首相が、最初に総裁選に挑戦しようとしたのは、2018年9月だった。

当時、連続3期当選を目指す安倍晋三首相と、石破茂元幹事長が立候補して、安倍首相が勝利した。

一方、安倍首相の有力な対抗馬とみられていた岸田氏は、不出馬を決定した。岸田氏は、「今の政治課題に、安倍総理を中心にしっかりと取り組みを進めることが適切だと判断した」と不出馬の理由を語った。

宏池会(岸田派)内は、若手を中心に出馬を促す「主戦論」と、ベテランを中心に今回は出馬せず、次回の総裁選挙で安倍首相からの禅譲を目指す「慎重論」で割れていた。

岸田氏は、総裁選に出馬するかを慎重に検討してきたが、結局、自民党内に「安倍首相は、余人をもって代えがたし」という「空気」が広がる中、勝機が全くみえないことから、勝てない戦を避けて、安倍首相からの将来の「禅譲」に望みを託すことに決めたのだ。

だが、岸田氏の総裁選不出馬表明が、安倍首相の出身派閥である細田派、そして麻生派、二階派が支持表明した後になったことが問題だった。安倍首相側から「今さら支持すると言われても、遅すぎる」と言われてしまったのだ。岸田氏は、政局眼の弱さ、頼りなさをみせることになってしまった。

また、「今の政治課題に、安倍総理を中心にしっかりと取り組みを進める」と言ったことも問題だった。これは、かつて宏池会の領袖だった谷垣禎一総裁が中心となって公明党、民主党政権と「三党合意」して実現した「税と社会保障の一体改革」を事実上反故にして進められている「アベノミクス」に挙党態勢で全面的に協力すべきと、岸田氏は主張したことを意味した。

「アベノミクス」の評価は別の話としたい。

だが、ここで言えることは、宏池会といえば、伝統的に「健全財政」であり「軽武装経済至上主義」の「保守本流」だ。安倍首相の出身派閥「保守傍流」である「清和会」とは明らかに違うのは、国民のよく知るところだ。その宏池会の領袖が、完全に安倍首相の軍門に下ったことを意味した。

権力闘争、政策の両面で、岸田氏は弱さを国民に見せつけてしまった。

そして、2021年9月、安倍首相退陣で行われた自民党総裁選。案の定、安倍首相から岸田氏への「禅譲」はなかった。

あるわけがないのだ。戦後政治の歴史を振り返れば、禅譲を狙って裏切られ捨てられた事例は多数あるからだ。例えば、現在岸田氏が率いている宏池会の会長だった前尾繁三郎元衆院議長は、1970年の佐藤栄作元首相による佐藤4選の総裁選で、「人事での厚遇」の密約を理由に不出馬を決めたが、結果的に佐藤氏に約束をほごにされた。前尾氏は派内の反発を買って宏池会会長の座を大平正芳元首相に譲らざるを得なかった。

そもそも、生き馬の目を抜く政界で「禅譲狙い」は、上手くいくわけがないのだ。岸田氏は18年の総裁選後、政調会長に就任したが、アベノミクスを無批判に、礼賛し続けるしかなくなった。持論は封印して服従するしかなかった。
 
「禅譲狙い」は、首相と一蓮托生となり、心中するしか道はないだけではなく、それ以上に厳しいものだ。一生懸命働いても、手柄は自分のものには絶対にならない。なにか落ち度があれば、すべての責任を押し付けられる。いいことは何もないものだ。

この政調会長の時に、「河井案里選挙違反事件」が起こる。岸田氏の地元が大量に買収された。その背後に安倍首相・菅義偉官房長官がいたと言われているのだ。

岸田氏が、落ち度の責任を押し付けられた事例に、安倍政権が新型コロナウイルスを巡る経済対策の1つとして打ち出した、「国民1人当たり一律10万円を現金給付」を決定した時のゴタゴタがある。当初、「減収世帯に30万円を給付する」という措置だったが、国民から酷評された。制度そのものが分かりづらい上に、自己申告が煩わしく、いつもらえるかも分からない。本当に必要な人がもらえるのかどうかも分からなかったからだ。結局、公明党が首相官邸に泣きついて、「一律10万円の現金給付」に急遽変更となった。
 
当初の現金30万円給付は、岸田氏が政調会長として財務省と取りまとめたものだった。岸田氏に対して自民党内からの批判が噴出した。「公明党が言えば、ひっくり返すというのはどういうことか」「党は政府の下請けではない」「岸田氏は終わりだ」などと叩かれ、岸田氏のメンツは丸つぶれとなり、「ポスト安倍」として力量不足と酷評されてしまった。
 
岸田氏の政治的センスのなさと力量不足を不安視させる事態が続き、世論の岸田支持も盛り上がらなかった。安倍首相は、岸田氏ではとても勝てないとみて、岸田氏への「禅譲」をやめたというのだ。

そして、安倍首相の辞任記者会見の後、首相の周囲は即座に動いた。微塵も「ポスト安倍」への色気を見せなかったはずの菅氏が出馬の意向を示し、一気に「菅後継」の流れとなり、岸田氏はあっという間に蚊帳の外になった。やはり、「禅譲」などありえなかった。

かなり酷評したので、フェアに言っておきたいことがある(笑)。

「禅譲」がないとはっきりした後、岸田氏は、出馬表明の記者会見で「大変厳しい道のりを感じているが、国民のため国家のため、私の全てをかけてこの戦いに臨んでいきたいと思います。一人でも多くの国民のみなさんに共感してもらい、力を与えていただき戦いを進めていきたいと思う」と述べた。岸田氏は開き直ったのか、その言葉にこれまでにない力強さと率直さがでてきた。

岸田氏は確かに豹変したと思う。だから、その1年後、私は絶対にないと思っていた総裁選の勝利を得た。その後も、支持率低下はともかく、やりたい政策を次々進めていく姿は、別人となった。脱帽である。

しかし、首相になる前に張り付いた、「鈍くさい」「頼りない」「お人よし」の不器用なイメージは、ついに拭うことができなかったのではないか。

岸田氏は「増税メガネ」と揶揄された。名門政治家一家に生まれなければ、首相はおろか、政治家にもなれなかった程度の頼りない人物が、首相になれる。国民の日々の苦しさを知ることもなく、防衛力増強の増税に突き進む。

生まれつき恵まれたやつが、なにをするかと。そこに、多くの人が腹を立ててしまう1つの要因があったのではないかと思う。

それでは、(後編)へ。
 


 

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