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「知的体力」を鍛えること

今学期のゼミの最終回、3,4回生に共通していったのは「知的体力」を鍛えなさいということです。まだまだ弱いのでね。

「知的体力」とはあまり馴染みのない言葉ではないかと思います。要は、スポーツであれば、テクニックの習得と同時に、時にはそれ以上に「鍛える」ということが重視される。パワーをつければ、それだけ強くなれるというのは当たり前の話です。

ところが、頭脳に関しては、案外に「鍛える」といわれることはない。頭脳は、生まれつきもらったもので、それはそれとして、世の中をうまくわたっていくテクニック、スキルをつけることに熱心ではありませんか?

要は、中学、高校、大学の受験では「勉強の仕方」「受験テクニック」ばかりが重視される。大学ではというと、「就活のテクニック」。社会に入っても、「ビジネス・スキル」とか上下関係の作法だとか、要領よく世の中を渡っていく方法とか、そんなことばかりではないですか。

まあ、昔は「スパルタ教育」というのがあって、計算ドリルとか死ぬほどやらすとかあったのですが、そういうのは否定されてしまいました。

でも、五輪やコロナ禍であからさまになった今の日本のグダグダって、結局、テクニック、スキル、世渡りでうまくやってきた世代が、危機に直面して、立ち往生してしまったということではないですか。

一方、ワクチンを開発し、EURO2020決勝を6万人の観衆を入れて開催し、ついに行動制限を解除した英国は、科学力を基に、政治家、専門家、役人などが必死に考え抜いてきたわけです。

その英国で学んだとき、私が経験したことは、まさに「知的体力」を鍛えまくることでした。それは、よく日本では「世の中の役に立たん」と切り捨てられがちな「学問」というものが、人間性を変えるくらいの力を持っているということでした。

要は、死ぬほど論文や本を読まされることによって、圧倒的な知識が頭に入ってくる。また、その著者たちの理論や主張だけでなく、人生も経験することになる。そうすると、当然のことながら、なにも知らなかった時とはまったく見えてくるものが違ってくるわけです。

見えてくるものが違ってくると、人間性も変わり、成長することになります。

よく、人間的に成長したければ、現場に出て経験をしろと言われます。日本では特に、そんな「現場主義」が強い影響力を持っています。確かに、重要なことなのですが、人間一人が経験できる範囲って、がんばっても限られた狭い範囲です。

それよりも、「万巻の書」をあさったほうが、より古今東西の多くの人たちの人生を、自分のものにできるのです。英国留学は、そのことを私に教えてくれました。

私はゼミ生に、「モノシリになりなさい」とよく言っています。モノシリになれば、いろんな経験をしたことがないことが目の前に来ても、自分の引き出しからなんとかかんとか答えを出すことができます。

モノシリでなければ、勘に頼るしかありません。でも、勘が当たることなんて、1,2回はあっても続きません。

そして、モノシリになるのに、才能はいらないことも重要です。誰でも、がんばればモノシリにはなれるのです。誰もが、今から「ダルビッシュ」「大谷翔平」にはなれませんが、モノシリにはなれるのです。

そして、モノシリになれば、少なくとも文系として社会を渡っていく分には、なんとかかんとかやっていけます。

モノシリになることが、「知的体力」のある人になる第一歩です。これから社会に出る準備を始める3回生、就職の内定も決まって、いよいよ社会に出る4回生、この夏は万巻の書をあされ、と言いたいのです。

そして、「知的体力」を鍛えることは、日本の「勉強」に最も欠けた部分であり、日本の弱点といっても過言ではないのです。スキルやテクニックも、モノシリでなく、知的体力がなければ、薄っぺらい吹けば飛ぶよなものでしかないということです。

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