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博士号を持つ者の使命とは

今日、久しぶりに博士論文の審査に加わり、口頭試問に参加したので、少し博士号(Doctor of Philosophy=Ph.D)と呼ばれる学位について日頃考えていることを書いてみたい。

僕の英ウォーリック大学(University of Warwick, UK)の学位は、Doctor of Philosophy (Ph.D) in Politics and International Studiesです。

これは原本じゃないんだけど、研究室においているレプリカです。


Doctor of Philosophy(Ph.D)とは、「哲学博士」という意味で、その後に「in Politics and International Studies」と続き「哲学博士、専門は政治学、国際学」ということです。

政治学、国際学の専門家ということを証明する学位ということはもちろん大事なのだけど、今日はもう1つ、僕が日頃大事に考えていることを話したいと思います。

それは、「哲学博士」ということです。このPh.Dの意味を、大学からとか恩師からとかはっきりと聞いたことはありません。でも、自分なりに解釈していることがあります。

中世の欧州に大学ができてから、博士号の学位を持つ者は、「哲学者」なのだということです。私は、この学位を得た時から、このことにいたく感動し、強く自分は哲学者なのだと自覚して行動してきました。

「哲学者」とはなにか。それは、自分の専門について深く知ることだけでなく世の中の神羅万象、すべてについて常に思索し、自らの考えを表現することだと考えています。

端的にいえば、「これは専門外なので答えられません」ということは許されない。世の中のことは、すべて答えなければならないということです。

だから私は、学者として専門分野の研究をするだけではなく、世の中に今、起こっている問題について、どんなことでも逃げることなく、自分の考えを表明してきたのです。それが、「哲学博士」の称号を持つ者の、使命だと考えています。

昨年は、ウクライナ戦争、そして、安倍晋三元首相の暗殺から、政治と統一教会の問題、国葬儀に関することと、学者の立場からメディアで積極的に出て、発言してきました。

その前の年までさかのぼると、「五輪賛成論」やコロナ対策の「野戦病院論」でメディアで発言させていただきました。

今年もいろいろなことが起こるでしょう。私は決して逃げることなく、「哲学博士」の使命を果たし、どんなことにも答えていく所存です。

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