見出し画像

授業は「対面」か「リモート」かは、不毛な話

コロナ禍で、授業を「対面」で行うべきか、「リモート」で行うべきかということがあって、文科省は「対面」でやれというが、緊急事態宣言で「リモート」に戻ってしまいました。

でもね、これは本質的に重要なことではないんですよ。「対面でやれ」と文科省がどんなに言おうとも、コロナ禍の前に完全に戻ることはないからです。

コロナ禍で対面授業をやろうとしても、学生から「家に高齢者がいる」「基礎疾患を持つ家族がいる」と言われたり、学生本人が基礎疾患を持っていて「家で授業を受けたい」と申し出があったら、教員は教室でカメラとインターネットをつないで、授業を配信しなければならないからです。

これが、留学生がいる授業だとなおのこと。留学生の半数以上がいまだに母国から出られない。それでも彼らに授業を受ける機会を提供しなければなりません。これも、カメラとインターネットをつないで授業を配信しなければならない。

つまり、対面授業をやるといっても、実質的には対面とリモートの「ハイブリッド型」になる。大学と教員は、いつでもその対応ができる準備をしなければならないことは変わらないのです。

では、コロナ禍が去った後は、完全に対面授業の元の形に戻れるのかといえば、戻れません。リモート授業という新しい授業形態を大学が手に入れた以上、それを使わなければならない局面があるからです。

それは、「なんらかの事情で大学に来れない学生」への対応です。コロナ禍でリモート授業が始まった時、これまで大学に来れなかったが、リモートで授業に参加しやすくなったという学生が少なからずいました。コロナ禍が去っても、彼らを受け入れる、多様な学びの機会を大学は提供し続けるのは当然のことです。

したがって、ポストコロナで対面授業が復活しても、学生からの申し出があれば、ハイブリッド型で対応することになります。

これは、大学に限りません。小学、中学、高校は大学以上にハイブリッド型授業の対応をする必要があります。「不登校」など「なんらかの事情で学校に来れない生徒」に対応すべきだからです。

コロナ禍で昨年、学校に来れなかった生徒が、リモートで授業に参加できるようになったケースは多々ありました。でも、昨年の緊急事態宣言が終結した後、対面に戻った時、「リモート授業に参加できたから、学校に来よう」というだけで、それらの生徒への対応をやめてしまった学校が大部分だったのではないでしょうか。

教室で授業をするのに、カメラとインターネットをセットして、その生徒に流してあげればいいのです。なぜ、続けなかったのでしょう。あるいはハイブリッドの対応をした学校はあったのかもしれませんが、メディアでその情報をみたことがない。個人情報に配慮しつつも、そういう事例をメディアはもっと取り上げてほしいと思います。

何度も、このnoteで言っているのですが、コロナ禍のリモート授業の取り組みは「緊急避難」ではないと思います。新しい学びを創る機会です。そして、新しい学びとは「多様な人を受け入れる、多様な学び」です。

その意味で、授業を対面に戻すか戻さないかというのは、現場の実態と乖離した不毛な話だと思います。今後学校は、いつでもハイブリッド授業を行うのが普通になるのです。

私が「9月入学」の導入を支持してきた理由は、学びの多様性の確保です。もちろん、ぜんぶ一律入学時期を9月にするというのは、バカげています。そうではなくて、9月入学→入学時期の多様化→学びの多様化につながり、より多くの生徒、学生が学びやすい環境を確保できるようになるのではないかと思うからです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?