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個性派ほど学問をせよ

ゼミ生の中には、いわゆる「個性派」と呼ばれる人がいる。普通に大学生活を送り、普通に就職活動をして卒業する学生ではない学生だ。最初に断っておくが、普通が悪いという意味ではない。

卒業生にも、個性派はいた。大学在学中に起業した学生。世界中を飛び回っていて、いったいいつ休学して、いつ復学したのか大学の事務室までよくわからなくなった学生(笑)。

僕は、そういう個性派の生き方を、できるだけおおらかに認めてきた。まあ、こういう若者は、何があっても一人で生きていけるのだろうから、心配することはないと思ってきた。

ただ、彼らには1つだけ言ってきたことがあった。

「個性派だからこそ、より学問をせよ」

堅苦しいことを言うと思われるかもしれない(笑)。でも、自分の経験からも、そう痛感しているからだ。

だって、誰にも頼らず、群れず、一人で生きていくってことは、ぜんぶ自分で責任取らないといけないってことだ。

ぜんぶ自分でやるには、モノシリにならないといけない。なにかあった時、「知りませんでした」では通らない。それは、極端に言えば、死を意味するのだ。

会社員だと、ぜんぶ知らなくていい。上司が知っていればいい事もたくさんある。別の部署の人がわかっていればいいこともある。例えば、僕は営業をやってたけど、経理のことは、完全にわかってなくてよかった。責任も、上司が、会社がとってくれる。

ひとりになると、ぜんぶ自分で責任もってやらなければならなくなることは、会社を辞めた時に痛感した。その上、地球の裏側の国に一人で行くことになったので、その時は、自分のすべてを中学生くらいからやり直してるような気がした。日本では当たり前のことも、1つ1つ確認してやらないと生きていけなかったからだ。

個性派というのは、油断すると、学問を軽視するようになる。普通に周りがコツコツやっていることを、やらないのがかっこいいなどと考え違いをするのだ。

いや、それは逆だと知らねばならない。俺は、人と同じことはやらないぜなどといって、いざとなると勉強してませんでした、知りませんでしたでは、こんな不格好な、ダサいことはない。

毎週、髪の毛の色が変わるような奴が、話してみるとむっちゃ教養がある、何でも知ってる、深い考えを持ってる、というほうがかっこいいではないか。

いや、かっこいい以前に、一人で個性的に生きていこうとするなら、
誰も助けてくれない道を一人で切り拓くのだという「覚悟」がいるということを知ってもらいたい。

今年も、これから世界一周するから休学しますという、髪の毛の色が毎週変わってたやつがいる(笑)。

そいつにも言った。「世界中を回って、学問をしてこい」。





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