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東京五輪は開催できる:論理的に問題点を詰めていくべき

新型コロナウイルス感染症の再拡大で、東京五輪の開催の是非が議論となっていますが、いささか感情的な議論が広がり過ぎではないでしょうか。私は感情論を捨てて、論理的に問題点を整理すれば、開催できると考えます。

国内の感染者の増減ではなく、国際的にみて、欧米等との比較では、いまだ感染者は100分の1程度。4年に1度の祭典を開くには、東京は最もふさわしい都市の1つであることは明らかです。例えば、パリやロンドン、米国の都市では開催は考えられません。日本の清潔さ、市民の規律正しい感染予防の姿勢、国民皆保険制度の充実など、本来はコロナに向かう姿勢として世界にアピールできるものです。日本政府はアピールが下手すぎるのではないでしょうか。

また世界で、スポーツイベントは単体なら何ら問題なく開催されています。ウインター競技のW杯や、テニスの4大大会、大リーグ、サッカーリーグなど、感染が日本の100倍の欧米でも開催されている。日本でもプロ野球、Jリーグは感染拡大を起こすことなく開催されている。観客をどれだけ入場させるかによりますが、少なくとも日本の観客の規律正しさも証明されています。その経験を生かせば、まずは個々の競技として大会を開催できない理由は既にありません。

そうすると、問題は外国から多くの人が日本にやって来るということに絞られるということになります。ですが、それは既に海外からの観客は来ないことになっている。フーリガンみたいな外国人がきて、夜の街で騒ぐようなことはない。日本に来るのは選手、役員だけです。彼らはそもそもエリートであって、感染対策はできているし、トレーナー、ドクターなどもついてきて体調管理も万全なプロです。その上で、事前、大会中の検査体制を組めば、問題は起きえない。

また「アスリートファースト」の考え方に徹すれば、開催すべきでしょう。世論の反対がありますが、突き詰めると、東京で開催することのリスクが問題であって、五輪を開催することへの反対ではないように思います。アスリートにとっても、東京かどうかは問題でなく、4年に一人の偉大な王者を決める大会があればいい(将来のギャラもそれできまるので、という意味も含めて)。東京開催にこだわっているのは、突き詰めれば、日本人。その中でも、それで利益を得る「老人(?)」だけでしょう。もし、本当に開催を妨げる問題が詰め切れないならば、一部の競技は東京でなくてもいい。日本国内の他都市(すでにマラソンの例がある)、あるいは、海外でも開催可能な都市があれば、移しても問題ない。

以上の理由で、五輪は、冷静に感情論を抜きにすれば、開催は問題ないと思います。政府は、五輪は開催できるという理由を、論理的に整理して明快に国民に話すべきだと考えます。

なにより大事なことは、論理的でない「世論」で五輪不開催を決めることだけは避けることです。なんだかんだいって、五輪は世界最大のイベントであり、国家事業です。その場の感情で決めていいような、小さな問題ではないからです。

その意味で、私が問題だと思うのは、「聖火リレーをやめる自治体」があることです。これは、論理的な判断ではないと思います。聖火リレーそのものが感染を拡大しないからです。スポーツ選手が感染を拡大しないのと同じですから。

ランナーは、検査を受けて陰性であれば、走ること自体で感染を広げることはありえないのです。感染拡大は、それを見に来る観衆が密になることと、移動することで起こる。ということは、無観客でやればいいのであって、聖火リレーそのものをやめるのは、本末転倒か、やりすぎです。

現時点では、五輪は開催されることになっているので、自治体は決められたリレーという行事を行うことを前提に、感染対策を考えてやるべきです。五輪不開催の世論(空気)を広げかねないリレー中止という判断は、いささか越権というか、やりすぎではないかと思います。

愛媛の中村知事が聖火リレー中止で泣いていましたが、あれは非科学的で感情的な行為で、五輪中止の感情を煽る。知事の態度ではないと思います。

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