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政治の技術

「政治の技術」っていうのは、学者や官僚が出した科学的で合理的な政策ってのを、ちょっと曲げて世の中を収める技術なんですよね。学者や官僚の政策がそのままでいけるなら政治家いらんのです。

でも、科学的で合理的で国家が全体として成長する政策でも、その政策で損をしてしまう、生活を失ってしまう人がいる。一部の人が利益を得て、国家として成長する政策でも、多くの人が生活を失うことがある。それでは社会は収まらない。正しいことのはず、国家としてはいいことのはずなのに、社会不安が起こってしまうわけです。そんな時に、「政治の技術」が必要になる。

要は、科学的で合理的だと学者や官僚が胸を張って出してきた政策を、少し曲げて、多くの人が「まあいいかな」と納得できるところに落とし込む。そして、社会不安が起こらないようにする。これが「政治の技術」です。

言い換えれば、政治家は「正しいこと」「科学的で合理的」なことを少し曲げて、いわば「間違っていたこと」をあえて行うことで、世の中を収めるのが仕事です。

だからこそ、古今東西、「政治家」と呼ばれる人たちは、「無能だ」とかいわれちゃったりする。学者や官僚がいい大学を出て賢い人だと言われる一方で、あんな奴らが政治をやってるんで、ダメだといわれる(ちなみに、僕はサラリーマンから成り行きで学者になっただけで、たぶん大学時代の成績は全大学教員で一番悪いだろうし、賢いと思ったことはありません。すみません)。

でも、そのある意味「馬鹿にされる」ところにこそ、「政治の技術」の神髄があるわけです。

科学を軽視するわけではないです。ただ、「政治の技術」はそれを超えた深みのあるものです。私はその深みに、なんともいえない愛情を感じるからこそ、政治学者になったのです。

政府が科学の見解通りに行動しないことにご不満なのはわかりますが、岩田先生は「政治の技術」をまったく理解していないのではないかなあと思います。




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