アイドルを続けるという困難ーきまるモッコリ脱退に寄せて

二丁目の魁カミングアウトからきまるモッコリ氏の脱退が発表された。

きまるさんは、今年の夏の終わりから体調不良を理由に「お休み」、つまり活動休止の状態にあった。

二丁目の魁カミングアウト(以下、二丁魁)のメンバー、そしておなカマ(二丁魁ファンの名称)は、きまるさんを待ち続けた。

どれくらい待っていたかというと、毎回、全ライブできまるモッコリさんのお休みがアナウンスされた。(二丁魁のライブは必ずライブ前にぺいにゃむにゃむ氏による影ナレがある。一言一句正確ではないが、「なお、本日きまるモッコリはお休みですが、気持ちは4人で歌います」という言葉が毎回入っていた)
そしてきまるさんの歌唱パートは他のメンバーが担当することになったが、そのパートが歌われる時にはきまるさんのメンバーカラーである青いペンライトが灯され、歌っているメンバーではなくきまるさんの名前がコールされた。
それから、メンバーカラーを含んだ楽曲「三原色カタルシス」が各ライブで繰り返し歌われた。きまるさんの青のパートはメンバー全員で歌っていた。

ある日、リーダーで二丁魁のプロデューサーでもあるミキティ本物氏はつぶやいた。

その姿にみんなでついてきたようにさえ思う。

そして年明け1月8日の中野サンプラザでのワンマンライブを控えた今日12月12日、本日付でのきまるさんの脱退が発表になった。

きまるさんのいないステージを見つつも、誰もが常にきまるさんのことを思っていた。
これは非常に熱く、暖かい光景であると同時に不安もつきまとっていたように思う。
「希望」という肩書きを持つきまるさんだからこそ、その希望を失ったステージとフロアはそれを探し続け、探すことでその存在を確認し続けていた。

アイドルの体調不良に伴う活動休止や卒業、脱退が近年相次いでいる。

大きなところで思い出すのは、活動休止中だとSexy Zoneの松島聡さん、King&Princeの岩橋玄樹さん、48グループや坂道でも同様のニュースがあり、ハロー!プロジェクトでも卒業が相次いだ時期があった。

他にも頭に浮かぶアイドルグループがいくつもある。

アイドルという言葉が指すのは、多くの場合、生身の身体を持ったエンターテイナーである。
そして、アイドル研究の場でアイドルの定義をめぐる議論がなされる時には「パーソナリティー」というのがその一つのキーワードになる。
アイドルは、ビジュアルやパフォーマンス力もさることながら常にパーソナリティーを消費される存在であると考える。
アイドルという身体は、兼ね備えられた全てのものが商品であり、その消耗は大変に激しい。身体には限界がある。現状そのフォローがとても難しいと考えられる。

もちろん身体的な限界は人によって違う。
だから、これぐらいまでなら大丈夫、という一般化はできないし、してはいけない。しかし、多くのアイドルを抱えるアイドル現場では、1日にいくつもの現場や案件が同時に動き、一人一人をフォローしきれる状況にはないのだ。
もちろんそれがうまくいっている場合もある。
ただ、それは環境ややり方がいいのではなく、たまたまそこに集まったアイドル達の限界地点が揃っていただけかもしれないし、それも現場それぞれで事情が違うであろう。
何が悪いとも、いいとも言い切れない。

アイドル活動を続ける、というのは大変に難しいことである。
その背景には芸能界の構造や日本社会の規範などとてもとても大きなものがあるが、その下に経済的な理由や家庭の事情、生活上の困難など、物理的な継続の難しさがある。
突然決まるライブやイベント、オーディションなどに対応しつつ、合間の時間にSNSを更新し続け、周囲に気遣いながら、悲しい時も苦しい時も頑張らなければならない時間を過ごす。
何か一つ条件が成立しなくなったらアイドルとしての生活は崩れ去ってしまう。
もちろん他の職業や学生生活、家庭生活にも同じことが言えるが、基盤が緩く、身体的な消耗も激しいアイドルという仕事はさらに不安定だ。それに身体的に耐えられない人は少なくない。

そこで「辞める」のではなく、「休止」の道を選ぶのは一つの方法だ。
それも他の職業や生活と同じで、それを選ぶことができるのならば一度そうするのもいいかもしれない。
しかし、疲れ切った身体を伴う場合、誰かに待たれているということが苦しさを助長することもあると思う。
もちろん、もちろん、待つことに、待つ側に非は何もない。
待ってくれている、自分の居場所を守ってくれている、それが支えになる時があるだろう。
しかし体調によってはそれが苦しさになるという場面も容易に想像がつく。

どの現場もファンや他のメンバーは当人にとても優しく寄り添っている。
でもそこに苦しさもあるというのは遣る瀬無いことである。

「アイドルなんてメンバー何人か集めてライブやれば簡単に成立する」という類の言葉を聞くことがある。
しかも信じ難いことに現場をよく知る関係者から公的に発せられることがある。なんと悩ましいことだろうか。

「メンバー」を「集める」のは全く「簡単」じゃない。
グループに貢献するメンバーを集めることも、全員つなぎ止めておくことも本当に難しい。
容姿、パフォーマンス力、最低限の常識やコミュニケーション能力、そして、何より必要なやる気、これを兼ね備えたメンバーを揃えることは想像以上に大変だ。

正直、容姿やパフォーマンス能力は磨くことができるので、ある程度の基準は必要だが、この中でもっとも重要視されないかもしれない。
それより仕事の時間に必ず来る、連絡が取れる、話が通じる、約束を守る、といった事柄で「いい形」になれないことがある。
そして、大変残念なことに才能とやる気や環境は全く関係がない。
誰が見ても心を奪われるような美しく愛らしい顔立ちや声や振る舞いの持ち主でも、やりたくない、と言ったらその話はもう終わりである。

これらの奇跡的な条件を全てクリアした、素晴らしいアイドルでも人気が全く出ないということもある。
愛らしいアイドルが笑顔で渾身のパフォーマンスをしていれば、それに自然にファンがついて、チェキを撮って1分間のおしゃべりに1000円払ってくれる、とか、CDを買ってくれる、とか、ライブやコンサートに来てくれる、とかそういうことはない。
さらに奇跡的にもしたくさんのファンがそのアイドルの存在に気づき、多くの支持を得たとしても、それでも先に述べた続ける困難がつきまとう。

アイドルは何も「簡単」じゃないのだ。

ミキティさんは、アイドルとしてのキャリアをスタートさせてから約7年間、二丁魁を完成させるメンバーを探し続けてきた。
ようやく全てのピースが揃った、そう思った。
しかし、その美しいパズルは容易には完成しなかった。

今回の脱退を受けてグループ自体を終えることも考えたという。
しかし、きまるさんの強い希望でグループとしての活動は今後も続いていくことが決まった。
きまるさんの言葉、継続の経緯や思いは先でも引用した「脱退に関するお知らせ」をお読みいただきたい。

二丁目の魁カミングアウトは、再来年には結成10周年、武道館でのワンマンライブを目標としている。

あの「キレイな景色」を知っているからこそ、この後に見える景色に人は何を思うのか、自分は何を思うのか、怖くもなってしまう。
しかも、悲しいことにアイドルはその全ての物語が引き続き消費されることになる。どの物語も消耗されてしまう。
しかし「愛」と呼ばれたその風景(けしき)は、消えても忘れられてもこれからの彼らを支える「希望」の青く優しい光であり続けるだろう。

この儚さがアイドルの魅力だというのならあまりにもせつない。
ただ目の前のステージとそれを享受する己の身体に感謝しつつ、今日も愛を叫び続ける。

きまるくん、アイドルで居続けてくれてありがとう。
まずはゆっくり休んでください。
それからきまるくんのペースで成長していってください。


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