東京アイドルライブハウスマップ(β版)ー現場は「秋葉原」なのか?
※本稿は、筆者が参加する某研究会で2019年7月に発表を行なった際の原稿を加筆修正の上公開するものである。また、同発表は東京文化資源会議『広域秋葉原作戦会議』に寄せた「アキバとアイドルの10年を振り返るーホコ天からディアステまでー」(2019年8月)の下敷きともなっている。基本的には2019年7月頃の情報を元に書かれていることをご承知おきいただきたい。
※海老沢玉希さんによるヴィジュアル系バンドの視点からのライブハウスについてのエントリーを拝読してアイドルバージョン(?)を公開しました。
「アイドル」、特に「地下アイドル」のファンである、または研究をしていると言うと必ず出てくる地名がある。「秋葉原」だ。
いつも秋葉原でライブを見ているのか、秋葉原に詳しいのか、と尋ねられる。サブカルチャーのメッカ、オタクの聖地、呼び方は何でもいいが、秋葉原は常に「オタク」的な文化と共に語られ、イメージされてきたからだろう。しかし現状、秋葉原はアイドルオタクが集まる場所として限定される街ではない。実際、筆者がライブを見に秋葉原を訪れるのは、せいぜい月に1、2回だし(1、2回は行く)、推しているアイドルユニットが2019年4月に秋葉原でライブを行った回数は全14回のライブ中2回で、5、6月は0回だ。
では、アイドルは、アイドルオタクはどこにいるのか。そもそも、なぜ秋葉原にアイドルオタクが居ると思われるのかを考えながら、筆者のよく訪れる店舗を中心に都内のアイドルライブハウスマップを描いてみようと思う。
なお、マップとは言いつつも実際に地図などは作成していないので場所など必要に応じて地図アプリなどをご参照いただきたい。(地図を作るセンスが欲しい…)
・秋葉原
まず、最初の問いに答えるためには、2000年代の秋葉原に焦点を当てなければならない。
2001年、当時、秋葉原で実施されていた「歩行者天国」でストリートライブを始めた「アイドル」がいる。彼女たちの名はFICEだ。炎と氷をモチーフとした装いに身を包んだ炎(えん)と氷(ひょう)、真っ赤と真っ青、衣装は隅々までデコラティブで一瞬で目を引く。パワフルなパフォーマンスにヲタ芸が加わったのはいつからだろうか。炎ちんは「当時のライブハウスはオーディション制で、ウチらみたいな活動スタイルだと出ることができなかったの。オリジナル曲ありきで、まずはデモテープを持っていって、デモテープが通ったら生演奏でオーディションを受けて、それが認められて初めて出ることができる。」と語る(姫乃2015)。ライブハウスには、楽器を持ったバンド、アーティストしか出演できない、この時代に彼女たちが選んだのはこの秋葉原の歩行者天国だったのだ。さらに炎ちんは、「当時はアニソンとかのカバーをしてたから『それならアキバでしょ』って思って。ホコ天あるから、やってもいいんかなと。(中略)その後、テレ朝の『ストリートファイターズ』っていう番組の秋葉原特集にウチが出演したのをきっかけに、一気にパフォーマーが増えた。でも、番組に出るまでの3年間は本当にウチらしかいなかったよ。」と振り返っている。そんな彼女たちの名乗りが「アキバ系アイドル」であった。
「アキバ系アイドル」は「萌え」や「電波」をキーワードに特徴的なアニメ声で、アニメキャラクターのように振舞う「アイドル」として、特に2000年代後半、時に面白おかしくメディアに取り上げられた。後に人気を得る「でんぱ組.inc」(2009年6月結成)を例に出すとわかりやすいだろうか。このような彼女たちのコンセプトや振る舞いのバックグラウンドには2005年の「電車男」ブームに端を発する、新しい秋葉原像、「オタク」的秋葉原像があったと考えられる。それまで「萌え」や「電波」は、アイドルのメインストリームにあったワードではなかったと記憶している(萌えは使っていたかも知れない、というのは個人的な記憶だ)。メイド喫茶やアニメ、ゲーム、そんな新しいアキバカルチャーが歩行者天国のライブと融合してメディアを中心に「アキバ系アイドル」を生み出したのではないだろうか。そしてメディアで彼女たちを知った引っ込み思案な少女が憧れを抱き、その門を叩く、という循環もあり、アイドル的なパフォーマンスに惹かれた女性が秋葉原に集まっていった。
その秋葉原を映像とともに残しているのが桜川ひめこの名曲「アキバに行くのん!」(2006年リリース)である。歌詞に当時のアキバ的要素が散りばめられ、50人のファンとともに撮影が行われたMVはもちろんオール秋葉原ロケ、貴重な映像として残っている。ひめめ(桜川)は2008年、サントリーの缶コーヒー「BOSS」のCMにまさに「アキバ系アイドル」役で出演した。歩行者天国でのひめめのライブ、ヲタ芸をする「オタク」、コスプレイヤー、メイド喫茶と「萌え」、とアキバ的コンテンツがCMには登場する。この頃に主にメディア上で人々に共有されてきた「アキバ」像は、今の秋葉原イメージにもつながっているだろう。さて、では秋葉原にはどのようなライブハウス(ライブ会場)があるのか。
同時期、そんな秋葉原に誘発されて2005年、秋元康氏は新しいアイドルプロジェクトの本拠地を秋葉原にすることを決める。それがAKB48であり、ドンキホーテの上階に誕生したAKB48劇場である。しかし、ここまで見てきた当時のアキバ系アイドルカルチャーとの相性はそこまで良くなく、アキバ系というよりもモーニング娘。、そしておニャン子クラブやチェキッ娘など既存のアイドル(と秋元康プロデュースのアイドル)ファンが集客の中心だった。その後メディアへの進出を中心にブレイクしていき、結果AKBが「秋葉原」を表しているということを知らない人も今では少なくない。現在も、劇場はもちろん、2011年にはカフェとショップもオープンし、AKB48の存在を秋葉原で感じることはできる(ちなみにこのAKB48 OFFICIAL CAFE&SHOPの第1号店は原宿にオープンしている)。
ハロー!プロジェクトオフィシャルショップが末広町の交差点にオープンし、突如「ハロプロ」が秋葉原に侵攻してきたのは2013年だ。ハロプロの本拠地は事務所アップフロントエージェンシーのある赤羽橋で、秋葉原に思い入れのあるハロヲタはそういないであろう。しかし、プロデューサーのつんく♂氏は2005年にミスマガジンのつんく賞に時東ぁみを選んでから、ハロプロエッグのメンバーを選抜してハロプロ外にユニットを作り時東ぁみと一緒に活動させるなどしていたのだが、その彼女たちのデビューの場はまさしく秋葉原であった。のちにチャオベッラチンクエッティとなる前出のハロプロエッグ出身ユニットTHEポッシボーの結成は、アイドルタレントやグラビアアイドル、AV女優などのイベントで有名な石丸電気ソフトワン(2011年閉店)だった(「つんく♂タウンTHEATER」旗揚げ公演第一弾時東ぁみ座長公演「CRY FOR HELP!〜宇宙ステーション近くの売店にて〜」)。メガネがトレードマークのぁみにぃ(時東)の姿は、おそらくつんく♂流「アキバ系アイドル」だったのではないかと思う。
その後は、志倉千代丸氏と手を組んで神田明神通りのAKIBAカルチャーズZONE6階にアキハバラバックステージパス(現:AKIHABARAバックステージpass)というアイドル育成型コンセプトカフェ(2011年開店)、そして同キャストによるアイドルユニット「バクステ外神田一丁目」(2012年始動)を立ち上げた。こちらも秋葉原を拠点とした今も続くアイドルコンテンツの一つだ。なお、同ビル地下にはAKIBAカルチャーズ劇場(2013年10月オープン)がある。こちらはアイドルライブ専用として知られ、定期公演も多数行われている。
でんぱ組.incを生んだディアステージはそこから徒歩数分、ジャンク通り付近に店を構える。バクステ同様、そのステージではキャストはもちろん、キャストでないアイドルも出演して毎日ライブが行われている。この付近のライブハウスもオープン、クローズが相次いでいるがライブイベントはそれなり盛んだ。ダイコクが経営するAKIBAドラッグ&カフェ(2013-2016年)はメディアにも何度も登場し、2010年代では唯一「アキバ系」の色を持つ存在であったと言えるかも知れない。中央通りを一本入ったベルサール秋葉原のすぐ隣にはTwinBox、TwinBox GARAGE、ZESTが並び、そのすぐそばのソフマップ①号館8階ではCDなどのリリースイベントとしてライブが行われている。
末広町駅付近、ハロプロショップにほど近いCOSMIC LABは2017年にオープンした新しいライブハウスだ。ちなみにハロプロショップでもトークイベントを中心にハロプロメンバーに限らずアイドルが出演する催しを行なっている。
昭和通り側に行くと、ヨドバシカメラ(ヨドバシAkibaビル)7階のタワーレコード秋葉原店は、ほぼ唯一のCD店でこちらでもリリースイベントが日々行われている。昭和通り側のライブハウスは老舗CLUB GOODMANが中心、駅前のAkihabara MARZは特にDress HALL時代にアキバ系アイドルを支えたが2014年惜しまれつつ閉店した。他にあきちか/アキチカ(旧:ROCKET GATE)など。
しかしながら、2000年代のアキバ系アイドルライブは主に四谷(LIVE INN MAGIC)、阿佐ヶ谷 (あさがやドラム)、赤坂(天竺)の各ライブハウス、また亀戸のショッピングセンター(サンストリート)などで頻繁に開催されていたというのも実情である。現在も秋葉原には数百人を収容する大型ライブハウスが存在しないこともあり、ファンを多く集めるようなライブは秋葉原以外で行われるため、その意味で秋葉原の影はやはりやや薄いとも言える。
・渋谷
では、主要なライブはどこで行われるのか?まずは秋葉原の対極として描かれることもある渋谷を紹介する。
円山町:
道玄坂をほとんど上がりきった円山町の路地裏、そこはまさしくライブハウスの密集地帯、アイドルファンならずともライブハウスに集う人々にはおなじみの場所だ。
言わずと知れた大箱のTSUTAYA O-EAST、向かいにO-WEST、からそのすぐ隣にO-nest、クラブジーカンス、また反対に渡って階段をひたすら上がりO-Crest、EAST下のDuoは個人的にお気に入りだ、少し坂を下ってclub asia、すり鉢状の空間が特徴的なGlad、ラグジュアリーな雰囲気のVUENOS、そして最近渋谷の再開発により移転してきたDESEO及びDESEOmini…などなどがほぼ1箇所にまとまって存在しているため、日によっては多くの様々なグループのアイドルファンでごった返している。そこにヴィジュアル系バンドのファンやロックバンドのファン、メンズアイドルのファンなど別ジャンルのファンも混ざり合い、それぞれのマナーやファッションカルチャーを目で見て楽しめるほどの大賑わい、奔走する警備員、巻き込まれるタクシーというのは日常的な光景だ。LOFT9でもトークを中心としたアイドルイベントが度々開催されている。
ここでのライブはワンマンライブや誕生日やアニバーサリーの記念ライブ、コンテストやランキング形式のライブなどアイドルのステップにおいて重要なものがブッキングされることも多い。円山町で涙を流したアイドルファンも少なくない、かも知れない。
そして、渋谷でよくアイドルライブが開催されるライブハウスはこの場所だけではない。
道玄坂、神南、センター街:
代々木競技場、NHKホール、LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)、AiiAシアターあたりをライブハウスとは言えないだろうが、アイドルファンにとってはよく知ったライブ会場である。SHIBUYA-AX (2000-2014年)もこのエリアにあった。
そこから程近いEggman、東急ハンズの方に移動してMilkyway、aube、Star lounge、CHEALSEA HOTELはロックバンドのファンにも馴染み深いライブハウスだろう。CAMELOTはクラブだが、最近はメンズアイドルを含めアイドルライブの開催が目立つ。B2とB3で行われることが多いか(B1もあるのは知らなかった!)。
センター街に足を伸ばすとお笑いや演劇の公演などにも幅広く使われているTAKE OFF7がある。よしもと無限大ホールの目の前、隣は老舗クラブクアトロだ。クアトロでもワンマンライブはもちろん、アイドルの対バンライブが日々行われている。
スペイン坂にあるのはかつて映画館だったWWWそしてWWWX、キャパも大きくこだわりの対バンが多い。その隣はCYCLONE、GARRET、こちらも音やジャンルにこだわったライブのイメージが強いか。ちなみに両店をどちらも会場としたイベントもあり、筆者は間違えて目当てではない方のステージをずっと眺めていたことがある。ちょっとわかりづらい(はず)。
そして道玄坂に戻ってSOUND MUSIC VISION、ユニクロ上階のマウントレーニアホール、SBGK!もアイドルファンにはお馴染み。円山町のライブハウス群からほんの少し離れたところにwomb、近くにアイドルファン御用達の居酒屋「すみれ」がある。井の頭線の向こうには、REX、GUILTYなど。誤解を恐れずに言うとLa.mamaはまだアイドルに手を染めていない!
並木橋、代官山、恵比寿+桜丘町:
並木橋はともかく代官山や恵比寿は渋谷とは別の地域だろうと思う人が多いかもしれない。しかし、ここで紹介する「代官山」「恵比寿」と名のついたライブハウスは並木橋に程近く、渋谷から歩くオーディエンスも多い。新設のストリームホールを皮切りに、代官山、恵比寿方向にライブハウスがずらずらと続く。CRAWL、恵比寿CreAtoも定期公演の多いイメージ。代官山方面に向かう途中にSPACE ODDがある。近くのピザ屋が筆者のおすすめだ。
そして代官山にたどり着けばLOOP、UNiT、晴れたら空に豆まいて。恵比寿に着くと東京を代表するライブハウスの一つであるLIQUIDROOMがある。ここでのワンマンライブもアイドル達にとって特別だ。
少し場所がずれるが、桜丘町のRUIDO K2と伝承ホールも忘れてはいけない。伝承ホールは渋谷区文化総合センター大和田の中にある渋谷区の施設だが、実は定期的にアイドルライブが開催されている。ちなみに近くにはアミューズがあり、町名は「さくら学院」の名前の由来でもある。同様に恵比寿のスターダストプロモーション、並木橋のプラチナムプロダクションも町名に由来したアイドルグループを送り出していることもここに記しておく。
ここまで紹介したライブハウスは渋谷に存在する全ライブハウスの半数以上、ほぼ8割をカバーしていると考える。秋葉原よりも多数のライブハウスが並ぶ街で、そのほとんどが既にアイドルライブを開催している、それが渋谷である。
秋葉原のライブハウスは数少ないが、逆にほぼ全てでアイドルライブをやっていると考えられる。キャパの小ささから出演のハードルもやや下がる。そういった意味で、渋谷と比べるとアマチュア感が強まる。ある種の「アキバ系アイドル」っぽさを秋葉原は残しているとも言える。
・新宿
渋谷以外のエリアはどうだろうか。渋谷に次いでライブハウスが多いであろう、街の一つ、新宿を思い出してみる。
新宿には大型のライブハウスが2つある、BLAZEとReNYだ。どちらもキャパは800人で、まずはここでのワンマンライブをめざすアイドルも多い。そしてReNYでは週末はもちろん平日も昼間から長い時は8時間ほどの対バンライブを行っている。
そして新宿のライブハウスといえばかのLOFT、ここでもアイドルライブは行われている。時にはアイドルに楽曲を提供したバンドとのライブなどもあり、市松模様のステージは多様なジャンルに彩られ続けている。ラウンジの方では朝8時からの朝ライブもたびたび行われていた。
他に西武新宿側のMarble、MARZ、SAMURAI、区役所通りのRED NOSE、RUIDO K4、Zirco Tokyoなど。 キャパは100から200、初めてのワンマンライブや定期ライブ、小規模な対バンライブにちょうどいい大きさだろうか。
渋谷との大きな違いはライブハウスが密集していないことの他に、アイドルライブを行わ「ない」ライブハウスも数多くあるということである。
渋谷では新旧問わずほとんどのライブハウスやクラブ、ホールがアイドルライブをやっているのに対し、新宿にはまだアイドルファンの間でそうしょっちゅう名前の挙がらないライブハウスが多数ある。こちらも秋葉原のようにキャパの小さい箱(ライブハウス)が中心だが、出演者はバンドがメインだ。
前述のLOFTを皮切りにロックバンドの聖地とも呼ばれるようなライブハウスが数多く集まる新宿で、アイドルライブを「やらない」という選択が意図的になされている可能性はあるだろう。新宿もある意味で、秋葉原と対極のライブカルチャーの街なのかも知れない。
・下北沢、その他
まだまだ、言及すべき地域は多数ある。
下北沢はその筆頭であろう。完全なる憶測だが、ここでは渋谷とは逆にほとんどのライブハウスでアイドルライブをやっていないような気がする。いや、アイドルライブで下北沢を訪れる機会は多数ある。Garden、SHELTER…個人的にはあまり言及したくないが某ラジオ局はまさに「下北」、とアイドルファンに馴染みのあるライブハウスやイベントもある。しかし、そうではないライブハウスの方が下北沢では圧倒的に多いのではないだろうか。
他に池袋(LIVE INN ROSA、RUIDO K3、mismatch、BlackHole他)、原宿(クエストホール、ストロボカフェ、今はなきアストロホール、RUIDO他)、高田馬場(PHASE、mono、そしてムトウ楽器店のことは思い出しておきたい)、高円寺(HIGH他)、目黒(鹿鳴館)、鶯谷(キネマ倶楽部)、初台(DOORS)、大塚 (Deepa、Hearts、Hearts+)、上野(音横丁他)、神楽坂(今はなきTRASH-UP!!(旧:EXPLOSION))、六本木(morph-tokyo、Be、EX THEATER)…アイドルとアイドルオタクたちは日々電車を乗り継ぎ、都内を縦横無尽に移動している。朝は池袋、昼は鶯谷、夜は渋谷なんていうルートはアイドルオタクには「あるある」だ。
東京においてアイドルカルチャーは既に地域と結びつくことなく、移動を含めて文化になっていると考えられる。ライブがあればアイドルはどこにでも行くし、アイドルがいればオタクはどこにでも行く。オタクは秋葉原どころではなく、きっと東京に詳しい。
しかし、ここで最後に「アイドルがいれば」と言うのが大前提であることを確認する。つまり、当然だが、ライブハウスがあってもそこでアイドルライブをやっていなければ行かないのだ。何度か言及してきたが、ライブハウスが「アイドルライブ」をやっているかどうか、と言うのは綺麗に区別されるのではないだろうか、と考えながらここまでライブハウス探索を進めてきた。
冒頭で述べた通り、2000年代の前半はアイドルが出演できるライブハウスが限られていた。ライブハウスの懐事情とアイドルライブの隆盛によって、アイドルがライブをできるライブハウスが増えていったのだろう。筆者は2006年7月、メロン記念日によるクラブイベント「MELON LOUNGE」のために初めてclub asiaに足を踏み入れた。これはかなり先進的な試みであったと記憶しているので、この頃、アイドルファンが円山町に集うというのは珍しい光景だったと考えられる(相違があれば是非ご指摘いただきたい)。
そう考えるとアイドルにとってライブハウスとの関係はまだそう長くない。アイドルのことはあまり知らないが、ここに名前の出たライブハウスはよく知っているという人も少なくないだろう。錚々たるライブハウスに今やアイドルが毎週出演しているというのは、大きな変化だ。
「秋葉原」に結びついていたはずのアイドルが特定の街と結びつかなくなったのは、こうしたライブハウスとの関係の変容によるものではないかと考える。アイドルの職能は、純粋に音楽のみに結びつくものではない。しかし、多くの場合、音楽活動がその活動の土台になっていることは間違い無いだろう。アイドルの活動の場としてのライブハウスを考える時、同時に日本の音楽の中でのアイドルの立ち位置を考えることになるのかも知れない。
参考資料:
姫乃たま『潜行 地下アイドルの人に言えない生活』サイゾー、2015。
他、各公式サイト、ニュースサイト。
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